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月奏の調律師 〜無音の旋律は恋を知らない〜  作者: 寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
恋を知らない私の無音が、あなたの旋律と共鳴した日
15/50

魔奏病と最後の調律

夜の演習室は、静まり返っていた。

魔力灯の光が床の譜面を淡く照らし、白銀の線が夜気の中に浮かび上がっている。

レオン・アルヴェールは、一人で立っていた。


彼の譜面は、相変わらず完璧だった。

音の高さ、リズム、構造。すべてが整然とし、わずかな乱れすら許されない。

この譜面こそが、自分の“存在”そのもの。

幼い頃から、そう教え込まれてきた。

「感情は、譜面を濁らせる」――その言葉を何度も胸に刻み、感情を削ぎ落としてきた。


だが――


(あの日、確かに“音”が混ざった)


共鳴演習。無音の譜面と触れ合った一瞬。

完璧な旋律に、透明な和音が差し込んだ。

それはノイズでも破綻でもなく、“自分の譜面の奥から鳴った音”だった。

その記憶が、夜になっても消えない。


「……くだらない」

レオンは小さく呟いた。

譜面がわずかに震える。だが、彼はそれを無理やり押さえ込んだ。


そのとき、扉が開いた。

静かな足音。

振り返ると、ルナ・ミレイユ=クラウスが立っていた。


「……こんな時間に、何をしてるの?」


「君こそ」

レオンは冷たく言い返した。

だがその声の端に、ほんの僅かな揺れがあった。


「私は……調律の練習」

ルナは譜面を開き、《ハーモナイト》を掲げた。

彼女の譜面は、夜の空気に淡い光だけを放っていた。音はない。

だが、レオンの完璧な旋律の隣に並んだ瞬間、空間に“温度差”が生まれる。


「……相変わらず、音がない」

「ええ。でも、あなたの音は、揺れてる」


その言葉に、レオンの瞳が一瞬だけ動いた。

譜面の端に、ごく小さな波形が浮かんでいた。

彼自身も気づいていなかった“震え”。


「僕の譜面が、揺れるはずがない」

「でも……あの日、確かに共鳴した」


ルナは一歩、彼に近づいた。

譜面が重なる。完璧と無音。

再び空間がきしむ――だが、前とは違っていた。

氷の表面に、細い亀裂が走るような、かすかな音が響いたのだ。


(……何だ、これは)


レオンの胸が、わずかに鳴った。

その音は、譜面には記されていない。

だが確かに、自分の“内側”から聞こえた。


「……あなた、怖がってる」

ルナの声は、静かだった。

攻めるでも、責めるでもなく、ただ“聴いている”声。


「何を……」

「譜面が揺れること。音が混ざること」


沈黙。

レオンは《ハーモナイト》を強く握りしめた。

譜面の亀裂が一瞬だけ広がり、透明な光が漏れる。

だが彼は、それを一気に閉ざした。


「……君とは共鳴しない」

レオンは背を向けた。

その声音には、冷たさと――ほんのわずかな動揺が混ざっていた。


扉が閉まったあと、演習室には静寂が戻った。

だが床に浮かぶ譜面の“氷”には、確かに細いひびが残っていた。


(……氷の譜面に、音が届いた)


ルナはそのひびを見つめながら、小さく息を吐いた。

夜の風が、譜面をめくるように吹き抜けた。

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