沈黙の旋律、再起動
学院は、まだ幻覚の余韻に包まれていた。
ヴァレリオの召喚した旋律――“Tomorrow Never Knows”――は、空間だけでなく、心の奥まで侵食していた。
譜面は乱れ、感情は混線し、誰もが自分の“音”を見失っていた。
ルナは、音楽室の片隅で膝を抱えていた。
彼女の譜面は、黒く染まりかけていた。
無音だったはずの譜面が、濁った旋律を孕み、震えている。
それは、恐れ。
それは、怒り。
それは、孤独。
「……私は、壊れかけてる」
彼女は呟いた。
そのとき、扉が静かに開いた。
レオンが立っていた。
彼の譜面は、いつも完璧だった。
だが今は、微かに揺れていた。
「君の譜面が、壊れるのを見て、僕は……怖かった」
その言葉に、ルナは顔を上げた。
「あなたが、怖がるなんて」
「僕は、かつて共鳴で人を壊した。だから、譜面を閉じた。誰とも音を重ねないように」
レオンの声は、震えていた。
「でも、君の譜面は……無音なのに、響いていた。僕の譜面より、ずっと強かった」
ルナは、静かに立ち上がった。
「私は、沈黙の調律師。音を持たない譜面を、音に変える者」
彼女は、ハーモナイトを手に取った。
その瞬間、ノアが音もなく現れた。
「君の譜面は、まだ響いてる。僕には、聴こえる」
彼の譜面も、無音だった。
だが、ルナの譜面と重なったときだけ、微かに震える。
「……ありがとう、ノア」
その言葉に、彼は静かに頷いた。
そして、カイルが駆け込んできた。
「ルナ! 君は、君の音を信じろ!」
彼の譜面は、乱れていた。
だが、感情は真っ直ぐだった。
熱すぎるほどの旋律が、空間に響いた。
「君が壊れたら、俺の譜面も壊れる!」
ルナは、三人の譜面を見つめた。
完璧すぎて共鳴しないレオン。
無音同士で支え合うノア。
感情が暴走するカイル。
そして、自分の譜面。
沈黙の中に、微かな音が宿っていた。
「……私は、無音を恐れていた。でも、無音こそが、私の音だった」
彼女は、譜面を再構築した。
黒い音を、白に戻す。
濁った旋律を、澄んだ音に変える。
感情の断片を、音楽にする。
空間が、震えた。
幻覚の残響が、少しずつ消えていく。
学院の空気が、澄み始めた。
その夜、ルナは屋上にいた。
月が、静かに輝いている。
「沈黙の旋律は、誰にも聴こえない。でも、私には聴こえる」
ノアが隣に立つ。
「君の音は、強い。だから、僕は守る」
レオンが遠くから見ていた。
「彼女の譜面は、完璧じゃない。でも、美しい」
カイルは、下から叫んだ。
「ルナ! 次は俺の旋律も聴いてくれよな!」
ルナは微笑んだ。
そして、彼女の譜面に、淡い金色が差した。
それは、再起動の色。
それは、沈黙の中に宿る、強さの証。
それは、彼女が“調律師”として、再び歩き出す音だった。




