死神の契約には小さな注釈がある
クロウが闇に溶けて消えたあと、 暫くして、洞窟にはサイレンの音が響いた。
誰かが呼んだらしい。 パトカーと救急車が次々と到着し、香月先生は、まるで操り糸が切れた人形のように力なく連行されていった。
私とミオを含む七人の女子生徒も、軽い取り調べを受けたあと、それぞれ自宅に帰された。
玄関を開けると、母さんが涙を流して私を抱きしめてくれた。
「ごめんね……! 怖い思い、したよね……」
その腕の温かさに、私はやっと涙を流すことができた。
それからしばらく、学校は休校となった。
加害者と被害者が同時に出たという前代未聞の事件に、街全体が静まりかえっていた。
数週間後、学校は再開され、授業が少しずつ戻ってきた。
加害者と被害者が同じ校内から出たという事実は、大きな衝撃を残した。
それでも、日常は少しずつ動き出す。
レンとも気まずい空気になっていたけれど──
「おう。久しぶりだな」
いつもの調子で声をかけてくれた。
やっぱり、私はこの人が好きなんだと思う。 この胸の高鳴りが、それを教えてくれる。
その日の夕方、自転車での帰り道。 私は、ぼんやりしたままペダルをこいでいた。
と、不意に子供が飛び出してきて、私は反射的にハンドルを切った。
視界がぶれ、電柱が迫って──
「きゃ──!」
衝撃。体が宙に投げ出された。
その瞬間、誰かの腕が私を抱きとめるように受け止めた。
ふわりと風が巻いて、黒いバラの花弁がどこからともなく舞い落ちる。 それはまるで、闇に咲いた花のように静かで美しかった。
私は地面に叩きつけられることなく、優しく着地する。
「……また死ぬ気か──沢城ユリカ」
聞き覚えのある、低く落ち着いた声。
「クロウ……!?」
振り返ると、そこにローブの裾をなびかせた彼がいた。
「……どうしてここに?」
「香月に憑依していた“影”の正体を追っている。まだ仕事が終わっていない」
「でも……私との契約は完了したんじゃないの?」
そう尋ねると、クロウはわずかに口の端を上げた。
「契約には、注釈がある」
「……注釈?」
「“人間が死神の鎌を振るった場合、追加の契約が発生する可能性がある”。読んでなかったのか?」
「そんなの聞いてない!」
「一番下に、細かく書いてある。お前が読み飛ばしただけだ」
「うそでしょ……」
私は、力なく地面にへたりこんだ。
クロウはその横に立ち、静かに続けた。
「黄泉の王の指令で、香月に憑いた影の正体を追う。それが──俺とお前の、新しい仕事だ」
風が吹く。 空気が、ほんの少しだけ冷たくなった気がした。
「人間が死神の鎌を使ったのは、史上初だ。なのに、鎌を振るわれた者は無傷で“闇”だけが払われた……」
クロウの赤い目が、じっと私を見つめる。
「その反応が、王の興味を引いた。お前は……面白い存在らしい」
「……面白いって、私は何も面白くないよ」
ため息混じりに皮肉を返すと、クロウはほんの少しだけ笑った。
この世界はまだ、何かを隠している。 私とクロウの契約も、まだ終わっていない。
むしろ── ここからが本当の“契約”の始まりなのかもしれない。
そして私は、そっと手の甲を見た。 再び浮かび上がった、黒い紋章。
これは、死神と少女が交わした、もう一つの契約の物語。
──『死神の契約には小さな注釈がある』。
それを、私は今、身をもって知った。