釜を下ろせぬ死神
事故から一週間が経ち、母さんはまだ松葉杖をついていた。
私はというと、驚くほど元気だった。
打ち所が悪かっただけで外傷は殆どなく、学校にも復帰していいと医者に言われた。
「……大したことなくて、本当に良かったよ、不審者に気をつけてね…」
「うん、大丈夫だって!ありがとう!」
「…でもねっ…」
母さんは玄関先から、自転車を押しながら登校する私を心配そうに見送った。
通学路は思ったよりも明るく、自転車からそよぐ風がとても気持ちいい。
一度心臓が止まったなんて嘘みたいに、私はすぐに普通の高校生としての日常に戻っていた。
校門の前で親友のミオが駆け寄ってくる。
「ユリカ! 本当に大丈夫!? もう、心配したんだから!」
「うん、平気。ミオのほうこそ、ありがとね」
「香月先生から事故の話聞いて心臓とまるかと思ったんだよ!」
「…えへへ…ごめん」
こちらの心臓が止まったとか、冗談でも言えないな…。
そんな事を考えてると…
「おーい!沢城!!!」
クラスメイトの男の子──サッカー部のエース・レンが声をかけてきた。
「沢城、退院したんだ!よかったな。無理すんなよ」
「う、うん……ありがとう」
実をいうとレンは私の初恋の人だ。
レンからも心配されて、事故に遭っても悪いことだけじゃなかったかも。
赤くなる顔を必死で隠していると、そこへさらに担任の香月先生が現れる。
「沢城くん。もう大丈夫なのか?少しでも調子悪ければすぐに言いなさい。」
「はい……」
香月先生はイケメンで優しくて女子生徒の憧れの的だ。
心配されるのはありがたいけど、他の女子の視線が痛くて何だか落ち着かない。
日常に戻ってしまえば、事故のことは──もう遠い夢のような気すらしていた。
放課後ーー
夕焼けに染まる通学路を、自転車でのんびり走っていると、人気のない公園の前でふとペダルを止めた。
そこに、見覚えのある後ろ姿があった。
ミオだ。
スマホを見ながら歩いている。
だけど、そのすぐ後ろに──
黒づくめの男。 ロングローブ。銀髪。赤い目。
あれ?……どっかで見覚えが…
いや、そんな事よりっ! あんな怪しい奴、連続失踪事件の犯人かもしれない!!!
私は反射的に自転車を飛び降り、男のあとを追いかけた。
「待って……ミオの後ろ、離れなさいッ!」
男の背中に体当たりするようにぶつかり、腕を掴んで引き倒す。
──が、次の瞬間。 私は地面に押さえつけられていた。
「……お前、俺が見えているのか?」
見下ろしてくるその顔。 真紅の瞳。冷たい笑み。
彼はゆっくりと立ち上がり、私に背を向ける。
「なぜだ。なぜ、お前は俺が“見える”? なぜ追えた?」
「何変なこと言ってるのよ……!貴方こそ誰?」
「俺はクロウ…死神だ。」
「はっ!?し、死神!?」
死神はひとつ、深く息を吐いた。
「な、何でっ!死神がミオをつけ狙ってるのよ!」
「死ぬ運命にあるからだ」
息を呑んだ瞬間、私はミオの姿を見失ってしまった。
「……ミオ!?」
思わず声を上げて駆け出す。
だが、次の瞬間、彼女の姿は夕日の影に溶けるように消えていた。
「……どこ!? どこ行ったの、ミオ!!」
私が辺りを必死に探し回る横で、クロウは静かに呟いた。
「……消えた?…まさかそんなことが…」
「え!? 何それどういうこと!? さっき死ぬ運命だって──死神なら死ぬターゲットの居場所が分かるんじゃないの!?」
「いや、その通りなんだが…関知できない。」
「はあ!?あなた本当に死神!!?」
「落ち着け人間!」
彼は手に持った黒革の名簿のようなノートを開き、ページをめくる。
「……彼女の名前はまだあるのだがな…これは非常に困った事だ…。」
ページの隙間に残された名前を確認すると、クロウはパタンとノートを閉じる。
「……じゃあ、ミオはどこに行ったの?まだ名前があるって、どういうこと?助けてよっ……!」
クロウは黙って私を見つめたあと、ゆっくりと口を開く。
「ターゲットを追えないことは、本来ありえない。……何らかの黄泉の法則が、破られたということだ。」