義妹が精霊の愛し子を名乗ったら
こんばんは。寒くなりましたね。
さて、この拙作ですが、
『作品の世界の常識、我々の非常識』
となっております。
不穏な発言等ありますが、どうぞフィクションということでスルーして頂ければ幸いです。平に、平に!
緊急の面会を申し込まれ待っていると、目の前の席に我が婚約者殿がドサリと音がするほど乱暴に座った。珍しい。いや、初めてではないか。完璧な淑女と呼ばれる彼女が。私は目を丸くした。
「何事かあったのか?」
挨拶もそこそこに、私は声をかけた。よく見ると彼女の顔色は悪く、化粧でも隠しきれない隈がある。これはただ事ではない。
「殿下のお手を煩わすのが心苦しく、また我が家の醜聞ともなりかねない事柄を晒すのに躊躇するあまり、これまでご報告せずにおりましたが……、もうわたくしの手に負えないのかもしれません」
視線を下に落としたまま、彼女は口を開いた。いつでもまっすぐに私の目をひたと見つめて話す彼女が。一体なにが起きたのだろうか。
私は手を挙げて人払いをした。侍従たちの背を見送ってから、私は隣の席に移動すると、彼女の手袋に包まれた指先をそっと取り軽く握ってやった。
「遠慮せずに話しなさい。私たちは長年の婚約者同士ではないか。内密の話ならこの部屋から出ることは決してない。安心して話してごらん」
すると驚いたことに、彼女の瞳に涙が盛り上がったのだ。なんということだろう。私は内心、慌てふためいた。もちろん、それを表に出すことなどしなかったが。
彼女も、ぐっと堪えた。矜持にかけても涙を流すことなど自分自身に許さないのだろう。誇り高い淑女なのだ。そんな彼女が涙を浮かべるほどの出来事とは?
彼女はゆっくりと、だが深く息を整えている。震えているのは明らかだ。それを必死で隠そうとして……。なんとも、いじらしい。彼女の憂いをはらってやらねばと奮い立つ。
彼女との婚約が調ったのはもう十年も前だ。それから私たちは、形式的ではあるが穏やかな交流を重ねてきた。激情に駆られたり心を燃やしたりといった間柄ではなかったが、平穏で平らかな交流だ。その間、彼女も私も、国の代表、模範となるべく研鑽を積んできた。静かに同じ方向を向いているような関係だと思っている。
そうやって向ける私たちの視線の先には、常に民や国があり、お互いのことが視界に入らなさすぎていたのかもしれない。私はそっと彼女の肩を抱いた。こんなことをするのは初めてだ。彼女の涙は衝撃のあまり引っ込んだようだ。よろしい。
「君の悩みにこれまで気付けずすまない。だが君ほどの人物が手に負えないとまでいう事態とは、どのようなことだろうか。私にできることなど少ないのかもしれないが、少しでも力になりたい」
彼女はようやく私をまっすぐに見た。こんな近くで彼女の顔を見るのは初めてだ。紅潮した頬。少し開いた唇。そして、まだ潤う瞳でじっと私を見つめる。
ぐっときた。彼女の肩を抱く手に力が入った。
「ご謙遜を。殿下にお縋りすれば必ず良い結果になることは承知しております。ですから……、恥を忍んで申し上げます。わたくしの義妹のことなのです」
義妹。思い出した。行儀見習いとして預かっている、従姉妹にあたる少女だ。従姉妹と言っても、確か彼女の亡くなった叔父の庶子だったはず。その叔父は未婚だったのだ。相手の女性は婚姻はおろか、関係すら認められない身分だったのだろう。それでも、私の心優しい婚約者は、そのような娘でも本当の妹のように可愛がっていたと聞いていたが。
このところ、彼女の邸宅を訪れると、その少女も必ず姿を見せるようになっていた。野生の小動物のようだと思ったことを思い出した。気ままで愛らしく、見れば微笑まずにはいられないが、決して理解も飼い慣らすこともできない存在だ。
「義妹が昨年、大病を患いましたことはご存知でしょうか」
「ああ、そうだったな。それこそ生死をさまようような重い病だったと聞いた。あの頃の君は、ずいぶんと暗い顔をしていたね」
「そ、そんなに表情に出てしまっていましたでしょうか……」
「大丈夫、王宮では私しか気付いていないよ。母はもしかしたら、気付いていたかもしれないが」
王妃である母は殊の外、彼女に目をかけているのだ。
「っ、そうでしたか、ご心配をおかけしていたのですね」
彼女は言葉を切って俯いた。まだ逡巡しているのだろう。私はじっと待った。
「あれ以来、義妹は、人が変わったようになってしまいました。……いえ、荒唐無稽に聞こえるかもしれませんが……、あれは全くの別人です」
私は驚愕のあまり、彼女の肩を抱いていた手を離した。
「もしかしたら殿下もあの子の変化にお気付きかもしれませんが……」
「いや、私は、以前のその者を全く知らない故、村娘とは、ああいったものかと考えていた」
「……お恥ずかしい限りです。でも、以前のあの子なら、殿下の前に許可もなく姿を現したり、不躾にもあの子から話しかけたりなどという無礼な振る舞いを、決してする子ではなかったのです。ところが近頃のあの子ときたら……」
彼女は口を噤んだ。他人を貶める発言をするべからず。その教育が、彼女の口を閉ざしているのだろう。
「君はただ、事実を述べようとしているだけだ。勇気を持って聞かせてくれないか」
私は彼女の頬にそっと触れた。彼女は明らかに狼狽える。可愛い。
「は、はい。じつは……。大病以来、義妹はそれまで言ったことがなかった我儘を言うようになりました。わたくしどもも、あれほど重篤だった義妹が回復したことで、甘やかしてしまったのかもしれませんが……、それにしても」
彼女はまたしても俯いた。私は励ますように手を握ってやった。
「まずは、さまざまなものを欲しがるようになりました。特に、わたくしの持ち物などを……。父は当初は、「大病で行く末が不安になっているのだろう。差し支えない範囲ならば与えてやれ」などと申しておりましたのですが、どんどんと度を越すようになって、わたくしの部屋を要求したりわたくしに代わって夜会に行くと言い出すに至り、さすがの父も義妹を諌めるようになりました。すると義妹はひどい癇癪を起こすようになり……、罵ったり、物を投げたり……。最近では、全く意味の通らないことを喚いたり、聞いたことのない言葉を話したり……」
なんと。私の知らないところで彼女がそんな目にあっていたとは。
「まだ小さな弟が怯えるようになったことで、これはもう、医者に相談するか戒律の厳しい神殿にでも入れたほうがいいのではという話になっていたのですが……。それをどこからか聞きつけた義妹が……、昨夜……」
彼女は両腕でぎゅっと彼女自身を抱きしめるとガタガタと震えはじめた。
「と、突然部屋に現れて、殿下との婚約を破棄しろと。「殿下はアタシのおーじサマなんだから、おねーサマは早めに諦めたほうがいい」などと言い出したのです。「おねーサマのためを思って言っているんだからね。この体の持ち主に、優しくしてくれたから」と……」
「ま、まさか、それは……」
彼女は唇をワナワナと振るわせた。
「さらに、「アタシを逆断罪しようとしても、おねーサマはぜったいアタシには敵わない。だって、アタシは、未来を予言できるんだから」などど申すのです!」
私は勢いよく立ち上がると呼び鈴を鳴らした。慌てて入ってくる侍従たちに、彼女の義妹を拘束するよう指示する。婚約者の義妹を拘束?と訝しげな侍従たちを叱咤すると、彼らは慌てて指示に従った。
「あの者は今?」
「は、はい。今日は屋敷に。侍女たちに見張らせております」
私は彼女に微笑みかけ、背をポンポンと叩いてやった。駆け出す侍従たちを呼び止め、もうひとつ指示を出す。
「大神殿に至急事情を説明し、力の強い祓聖師をよこすように言ってくれ。緊急事態だとな」
慌ただしく動く侍従たちを横目に、我が婚約者殿は全身を震えさせはじめた。
「では、では、あの子は、まさか……」
「ああ。残念だが、おそらく「精霊の愛し子」だろう」
彼女は音もなく崩れ落ちた。慌てて抱き起こす。完全に気を失っている。
かわいそうに……。可愛がっていた者が精霊憑きなど。
やはり、「野生動物」を拾って飼ったりしてはいけないのだと、彼女には言い聞かせよう。
事態が落ち着いて、彼女はしきりと恐縮していた。
「殿下にはどう感謝を申し上げればいいか……。お手を煩わせましたことにも……」
「もういいから。君が早期に気付いたことで、私も早々に対応できた。我らが魔の国に、精霊など一匹もいさせはしないさ。安心しなさい」
彼女は嬉しそうに微笑んだ。あれ以来、彼女が私の前ではずいぶんと感情を表すようになったのは嬉しいことだ。災いの中にも幸はあるといったところか。
「……あの子は……どうなりましたでしょうか」
彼女がポツリとこぼした。さて、知らせるべきか否か。
「あの娘は、確かに精霊憑きだった。自ら『精霊の愛し子だ』と告白したよ」
彼女は寂しげに頷いた。覚悟していたのだろう。
「祓聖師たちが数人がかりで、なんとかあの娘に取り憑いたモノを祓ったよ。おそらく人界か天界へと堕ちて行ったのだろう」
「そうですか……」
彼女は遠い目をして天井を見上げた。涙を流すまいとしているのだ。なんと心優しい。
「気の毒だが、退聖は成っても、義妹さんはまだ意識が戻らない。神殿の者たちが世話しているが、このまま目覚めるかどうか……」
「……覚悟しておりました。ありがとうございます」
しんみりとしてしまった空気を変えようと、私はことさら朗らかに告げた。
「それにしてもだな。人界とは恐ろしいところだな。あのようなモノがもてはやされるとは」
「もてはやされる?」
「あ、いや。あのモノが供述したところによると、あのモノは主人公、つまり世界の中心人物で、世界は全てあのモノのためにあるらしい。身分ある者と結婚して、崇められ尽くされて暮らす運命なのだとか。そのために、天から未来を予知する力を与えられたと言ってな」
「……なんて恐ろしい」
全くだ。未来を予知するなどと、そのような強力な「悪の力」を、なぜ天界は魔族やヒトに与えたりするのか。結果、あのような狂ったモノが出来上がるのだ。私はあのモノを取り調べた時の様子を思い出し眉をひそめた。最後まで「こんなのおかしい」と喚いていた。
これまでも「未来を予知できる」と宣言する者が現れ世界をかき乱したことがある。我々魔族はそれらを「精霊の愛し子」と呼び忌避するのだ。
結界をさらに強化して、天界とも人界とも関わらないよう手配しなければならない。もう我らの中から「精霊の愛し子」など出さないように。
彼女は、ほうと息をついた。一度目を閉じると、しっかりと見開いて私を見た。
「何度も申しますが、本当にありがとうございました。恥を忍んで殿下にお縋りして、本当に良かった」
そう言って彼女は微笑んだのだ。なんと愛らしいことか。
「君は私の前では、ずいぶんと柔らかく微笑むようになったね」
そう言ってやると、彼女は尖った耳の先まで真っ赤になった。私はあまりの愛おしさについ笑いだし、初めて彼女を抱き寄せ口付けると、彼女の少し長い八重歯を味わった。
祓聖師→祓魔師、退聖→退魔
魔界なので逆にしてみました。作者の勝手な造語ですので良い子は使わないほうがいいでしょう。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。