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宮沢賢治、「銀河鉄道の夜」に存在する研究者の視点

作者: 青海 鳩子

 論文を作成中である。

苦手な英語で書く事もさることながら、苦痛なのはIntroduction部分である。

自分の研究内容を出典された論文に照らし合わせ、過去にさかのぼって関連論文を探していかなければならない。今はEndNoteという便利なソフトがあるので論文を探し易いが、大昔の研究者はこの作業をいったいどうやっていたのだろうと思う。たぶん想像を絶するような時間と労力を費やしていたのだろうと推測している。

 しかしこの作業についての認識を変えてくれた人がいた。

それは宮沢賢治である。

 宮沢賢治はご存じのように多くの童話を書き、その一方で農学校の教師として教壇に立った人である。地質学と農学の研究者でもあった。

その著作の中の一つ「銀河鉄道の夜」は、川で溺れた友人の死に際して、その別離をテーマにした物語である。この作品は賢治の死後に未完成の作品として世に出された。

 原稿が途中何枚か消失していたり、賢治が自分自身で削除した部分などが混在しているため、初期形、最終形と形を変えて世に出されている。

その初期に書かれたものの中ではカムパネルラと別れたジョバンニに対し、ブルカニロ博士という人が出てきて、こう言っている。

「・・・・おまえは化学をならっただろう。水は酸素と水素からできているということを知っている。いまはだれだってそれを疑いやしない。実験してみるとほんとうにそうなんだから。けれども昔はそれを水銀と塩でできていると言ったり、水銀と硫黄でできていると言ったりいろいろ議論したのだ。・・・・

ね、ちょっとこの本をごらん。いいかい。これは地理と歴史の辞典だよ。この本のこのページはね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。よくごらん、紀元前二千二百年のことではないよ、 紀元前二千二百年のころにみんなが考えていた地理と歴史というものが書いてある。だからこのページ一つが一冊の地歴の本にあたるんだ。いいかい、そしてこの中に書いてあることは紀元前二千二百年ころにはたいていほんとうだ。さがすと証拠もぞくぞく出ている。けれどもそれが少しどうかなとこう考え出してごらん、そら、それは次のページだよ。紀元前一千年。だいぶ地理も歴史もかわってるだろう。このときにはこうなのだ。」

 このように、過去の事実だけではなく、その時点での人々の思考の変遷についても歴史の流れとして捉える見方は、研究の背景を説明する際によく用いられる。そして賢治のこの歴史の捉え方は、自分が研究に携わる以前はほとんど理解不能であった。今は読み返してみて、とてもよく理解できる。

 過去に様々な研究者が結果を出し、新たな視点や見解にたどりつき、結びつき発展し、それをもとに現在の自分の研究の進め方があるのだということが。そう思うと過去に報告された研究論文ひとつひとつが連結して現在に至っているのだと、畏怖にも似た思いがよぎるのである。


「さあいいか。だからおまえの実験は、このきれぎれの考えのはじめから終わりすべてにわたるようでなければいけない。それがむずかしいことなのだ。けれども、もちろんそのときだけのでもいいのだ。ああごらん、あすこにプレシオスが見える。おまえはあのプレシオスの鎖を解かなければならない。」

 博士は最後にこの謎の言葉を残している。

「プレシオスの鎖」とは何か?インターネットで調べたところ、旧約ヨブ紀の「プレアデスの鎖」のことで、それは「人間の手によっては解くことのできないものの象徴であるとされている」という意見が寄せられていた。

 私たち研究にかかわる者たちは、日夜この鎖を解こうとしているのだろうか。


 四次稿と呼ばれる最終形では、博士は現れないままに物語は終わってしまう。死の二年前、大病して遺書まで書いた同時期になされた加筆改訂。

なぜ賢治はこの部分を削除してしまったのだろう。

こんなことはもう自明の理として、あえて載せなくてもよいと思ったのか。

あるいは法華経の熱心な信者であった賢治にとって、科学に対するこの視点が最終的に必要悪だと考えたのかは、新たな謎である。



勤務先の小冊子用に以前書いたものです。


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