35話 望み絶たる
全力で走った。無我夢中で走った。
どうか生きていて欲しい。ただその一心で、俺は町を駆け抜けた。
まず目指したのは明星駅。そこから三駅先にある太白医科大学附属病院――通称"医大附病院"を目指すためだった。王子曰く、そこに姉さんは運ばれているという。
しかし、学校から駅まではそこそこの道のりがある。歩いて行こうものなら優に三十分はかかり、ランニングで行けばおおよそ二十分程度といったところだ。
だが、それを俺は十五分ほどで駆け抜けた。一刻を争う事態ゆえに、ちんたらしている余裕などなかったのだ。
途中、両施設のほぼ真ん中に位置する俺の家が見え、一瞬「もしかしたら姉さん家にいるんじゃないか」と思った。だが、今日は「朝から講義がある」と言って出て行ったので、流石にその可能性は薄く、俺はそのまま駅を目指した。
駅に着いた時の俺は、額に汗を滲ませながら肩で息をしていた。焦りや不安が、必死に酸素を取り込もうとする働きに追い打ちをかけ、嘗てないほどに心臓を拍動させた。
電車が到着したのは、呼吸が落ち着き始めた頃のこと。
時刻にして午前十時前だ。電車に乗り込むと、車内は大学生やお年寄りでなかなかに混雑していた。
そんな状況の所為もあったのだろう。俺はまだかまだかと到着を焦り、苛々してしまっていた。
ただでさえ目つきが悪いのだ。きっと他の乗客には不快な思いをさせてしまっていただろう。
それから駅に着くや否や、俺は弾かれるように電車を降り、改札口を出た。そしてまた全力で駆けた。
やがて見えてきたのは、白く大きな建物。その上の方には、太白医科大学附属病院と大きく書かれていた。
ここが王子の言っていた医大附病院。
――ここに姉さんが搬送されているはず。
額の汗を腕で拭うと、俺は救急外来へ飛び込んだ――。
「すいません! ここに御堂舞香って人、搬送されて来ませんでしたか!?」
「……え?」
突然押しかけて来た俺の質問に、受け付けに立つ若い女性は呆けたような顔をした。だが、僅かに困惑の色を残しつつも、すぐにその表情を戻す。
「あ、あの、ご家族の方でしょうか?」
「あぁ、そうです」
「でしたら、身分証などございますでしょうか?」
「生徒証なら」
俺は鞄から生徒証を取り出し、女性に手渡した。すると女性は「分かりました、少々お待ちください」と告げ、傍にある機械を操作し始めた。
――姉さん、どうか。
確認処理が進む中、俺は祈るようにして待ち続ける。
神も仏も信じちゃいないはずなのに、自然と何者かに縋ろうとしてしまう。所詮、俺も弱い人間なのだろう。
思考がだんだんとネガティブに陥っていくその時。
女性が「ぁ」と呟くのが聞こえた。
「どうしたんですか……!?」
情報が見つかったのだろうと思った俺は、やや前のめりで女性に尋ねた。
だが、返ってきた言葉は予想だにしないもので、俺の心はより一層の混沌に苛まれることとなる。
「御堂舞香さんは、当院に搬送されておりません――」
★―★―★
分からない、分からない、分からない。
意味が分からないし、何が起きているのかも分からない。
リビングのソファに腰を沈め、俺は悶々と頭を抱える。
あの時、王子は兄から事故現場の写真を見せてきた。
そこに映っていたのは、確かに姉さんのバッグだったし、姉さんが付けていた"交通安全"のお守りだった。
何よりあの鮮やかな茶髪は、姉さんの代名詞とも言えるもの。弟である俺が見間違えるはずなかった。
その、はずなのに――。
「じゃあ本当の姉さんはどこいんだよっ!!」
両拳で思いっきり机を殴りつける。
ガチャンという振動音がリビングに鳴り響く。――が、すぐにまた静寂が訪れる。
じわりじわりと、拳が熱を帯びてゆく。
クーラーを付けているはずなのに、全身が熱い。
八つ当たりをしたことで僅かに気持ちが落ち着いた俺は、再び思考に戻る。
よく考えてみれば、おかしな点はいくつかあった。
一つ目は情報の伝達。仮に姉さんが事故にあったのだとしたら、普通は搬送先の病院から学校に連絡が行く。そして、教師づたいに俺へと情報が伝わるはずだ。
二つ目は事故の写真。写真にあった物は、クリーム色のトートバッグと"交通安全"と書かれた紫色のお守りだった。しかし、事故に遭ったのであれば、その衝撃で中身が飛び出すはず。にも関わらず、筆箱やファイルなどの中身は一切写っていなかったのだ。
三つ目は王子の兄の行動。事故を起こしてパニックになるのは分かるが、とりあえず救急車は呼ぼうという思考にならないのだろうか? "110"でも"119"でもいいから、耳馴染みのある緊急番号にかけてみようとは思わないのだろうか?
とりあえず写真を撮ってみようとはならないはずだし、逆に、学生証は写さないでおこうとはならないはずだ。
他にも、なぜ講義時間中であるはずの姉さんが外にいたのか、とか。そもそもどうして、王子は試験前に教室でスマホを使うという危険を冒していたのか、とか。
考えてみればみるほど不可解な点が、まるで綻んだ糸くずのようにポロポロと出てくる。
やがて俺は、一つの結論に辿り着いてしまう。
「――王子が、俺を騙した?」
考えたくもなかった結論。
だが、もしそうであれば、いったい何のために?
俺が気に入らないから?
俺に恨みを持っているから?
答えは分からない。
俺を貶めようとする意味も、貶めようとする行動原理も分からない。
過去にアイツへ暴力沙汰を起こしたことなんてないし、接点なんて同じ生徒会執行部所属というだけで、関わりはこれっぽっちもなかった。――はずなのに。
「……なんなんだよマジでっ!」
両掌に爪が食い込む。
と、その時。俺はふとある言葉を思い出した。
『御堂先輩、何があっても試験は受けてくださいね……。絶対、ですよ……?』
一週間前、御厨が図書室で俺に伝えたこの言葉。あの時の俺は、この言葉に違和感を持ちつつも、御厨なりの励ましだと思っていた。
だが、もしこの言葉が、王子の行動を示唆する言葉だとしたら……?
もし、御厨が遠回しにその事を伝えようとしていたのだとしたら……?
「……っ」
刹那、バラバラだった点と点が線となって繋がっていく。
そしてそれを認識すると同時に、俺は自分の行動を酷く後悔した。
「――っぁ!!」
声にならない声が出る。吐き出したいはずのくぐもりが、喉元で激しく蠢く。
それから少しして、漸く口から出てきたのは――。
「……ハ、ハハっ」
渇いた笑い声だけだった。
結局のところ俺に残った事実は、最終日の三教科の試験を受けられなかったということ。それ則ち、『全教科で85点以上を取る』という約束が果たせなくなったということ。
つまり、点数が判明する以前に、生徒会執行部からの退部が決まったも同義なのだ。
王子に嵌められたとナマハゲに直談判すれば、可能性はまだあるかもしれない。だが、厳格で有名なナマハゲもとい巌光という教師のことだ。仮に嵌められたとしても、「約束は約束だ」と言って訴えを却下するだろう。
詰み――。
まさにそんな言葉が当てはまる状況だった。
「……ハハっ。なんかもう、どうでもいいわ」
俺は脱力させるようにソファに身体を横たえる。
そもそも、わざわざ医大附病院に行かなくたって、姉さんの携帯に直接メッセージを送って、確認すればよかっただけの話。感情的になってしまったとはいえ、少し落ち着いて考えれば分かることだった。
結局、俺の頑張りはなんだったのだろう?
アイツらとの時間はなんだったのだろう?
そんな疑問が浮かんできたが、これまでの全てが水泡に帰した今、もう何も考えたくなかった。
三教科目の試験が終わろうかというお昼前。
俺はただ現実から逃げるように、夢の中へ意識を落とすのだった。
お読みいただきありがとうございました。
王子くんに嵌められた事に気づいた大和くん。これまでの時間と努力が水の泡になってヤケになった彼は、今後どうなるのでしょうか?
そして、彼を取り巻く人物たちの心境は……。
次回は年末か年明けに投稿予定です。
それでは、次回もまたよろしくお願いします(→ω←)




