32話 込められた思い
光陰矢の如し。時は瞬く間に期末試験直前まで流れた。
今日は期末試験前の最後の平日――7月3日金曜日である。
そんな最後の放課後でも、俺たちは図書室に集まって勉強をしていた。
シャーペンをノートに走らせる音と、教科書やワークを捲る音だけが室内に響く。
こうしてコイツらと勉強会を始めて、はや一ヶ月。最初は基礎中の基礎のような問題すら解けていなかったが、今となっては基礎問題はだいたい解けるようになった。
発展・応用問題についてはまだまだ不安な点だらけではあるが……、それでも一ヶ月前に比べたら、格段に理解できるようになった。
もちろん藤原信長なんて馬鹿みたいな解答はもうしない。
ここまで成長できたのも、優しく教えてくれた浦上、分かりやすく教えてくれた難波、そして一緒に奮闘してくれた小牧のお陰だろう。
本当にコイツらには頭が上がらない。ずっと世話になりっぱなしだったし、いつかはお礼をしなければいけないな。
「……よしっ。そろそろ時間だし、今日は解散しようか」
静寂が室内を包む中、それを解くように難波が言った。
その言葉につられて顔を上げてみると、難波の後ろにある窓はまだ青々としていた。
しかし、西陽が差し込み始めているため、既に時は夕方であることは明白。実際、室内の壁掛け時計を見ればそれは17時50分を示しており、図書館が閉館する10分前を意味している。
「あ? もうそんな時間か」
「あっという間でしたねー」
俺の言葉に同調した小牧は、ぐでーっと机に体を伸ばす。
すると、その様子を見ていた浦上がふふっと笑って。
「陽奈ちゃん、ずっと集中して頑張っていましたもんね。お疲れ様です!」
「……っ!?」
小牧に労いの言葉をかけた。
一方の小牧は、推しからの労いの言葉がよほど嬉しかったのか、机に突っ伏したかと思うと頭を抱えて悶え始めた。
忙しいヤツである。
しかし、労ってくれるのは浦上だけではないようで。
「ははっ、本当にみんなお疲れ様。特に大和と陽奈ちゃんはここ一ヶ月頑張ってたしね。二人とももう大丈夫そうかい?」
「あぁ。完璧とまでは言えねぇけど、粗方はな」
「陽奈はまだ不安だけど……前よりは自信がつきました。お陰様で何とか頑張れそうです……!」
「そっかそっか。それなら僕らも教えた甲斐があったよ。ねぇ、浦上さん?」
「はい、そうですね!」
和気藹藹とした時間が流れる。
いよいよこの時間が終わると思うと、僅かな寂しさとともに、しんみりとした気分に浸ってしまう。
なんだからしくもないと、そう思えてしまうほどに。
「……お前ら、今日まで付き合ってくれてありがとな。この礼はいつか必ず返す」
俺は鞄に荷物を仕舞うと、椅子から立ち上がる。
「あぁ、楽しみにしてるよ。ちゃんと85点以上のテスト用紙を全て持ってきてくれよ? それが僕が欲しい1番のお礼だから」
「私も同じです。楽しみに待っていますから!」
「陽奈も先輩方にお礼できるように頑張ります! 不良先輩、頑張りましょうね!」
「あぁ」
ほんと、コイツらは善いヤツだな。
俺じゃなくて、コイツらが善行貯金箱を持つべきなんじゃないかと、そう思えてしまうほどに――。
そうして、俺たちは図書室を後にしようとした。――はずだった。
「……御堂先輩、待ってください」
図書室の扉に手をかけたその時、カウンターの方から俺の名を呼ぶ声が聞こえ、俺は足を止めた。
声のした方へ振り向くと、そこに居たのは――。
「どうした御厨?」
カウンター当番をしていた御厨が、椅子から立ち上がってこちらを見つめていた。
御厨が図書委員であることは募金活動以降に知ったのだが、御厨を知る前は勿論、今日まで御厨が当番中に話しかけてくることはなかった。
――それなら、いったいどうしたんだ?
そんな疑問を抱いているものの、御厨は何故か口を閉ざしたまま。明らかに様子がおかしかった。
「おい御厨、どうしたんだ? 聞こえてんのか?」
俺はカウンターの方へ移動し、御厨の顔を覗き込む。
するとその瞬間、御厨の唇が動いたかと思うと、その言葉が発せられた。
だが、俺はすぐにその意味を理解することはできなかった。
「御堂先輩、何があっても試験は受けてくださいね……。絶対、ですよ……?」
★―★―★
帰宅してからも俺は勉強を続けていた。
だが、御厨の言葉が魚の小骨のように心へ引っかかり、集中できずにいた。
『何があっても試験は受けてください』
あの時は「そりゃ当然だ」と応えはしたものの、御厨の言葉といい態度といい、違和感が拭えなかった。
思い返せば、募金活動が終わった時にも急に俺を呼び止めている。
「御厨のヤツ、マジでどうしたんだろな……」
不意に漏れ出た言葉。それは紛れもない俺の本心だった。
すると、その時。
「ただいま〜」
「あぁ、おかえり」
姉さんが帰宅してきた。
買い物帰りなのだろうか、大学用のバッグに加えてエコバッグも肩に掛けている。
すると、姉さんは大学用バッグの中を漁りながら俺の方に近づいてきて。
「はい、これ」
俺に一枚の小袋を渡してきた。表面には"明星天満宮"の文字が書かれ、中身が少し膨らんでいるのが見てとれる。
――まさか。
俺は受け取るや否や、封を開ける。そうして中から現れたのは――。
「……お守り」
"学業成就"の四文字が記された、紫色のお守り袋だった。
「いいのか、これ?」
「そりゃあ勿論だよ! 大和のために買ってきたんだからー!」
えっへんと言わんばかりに胸を張る姉さん。
きっと、俺の期末試験のために買ってきてくれたのだろう。
傍から見れば、たかが定期試験ごときで大袈裟だと思うかもしれない。
けれど、たとえそうだとしても、俺のために態々買ってきてくれたという事実が――俺のためにというその気持ちが、俺は何よりも嬉しかった。
だから。
「ただの定期試験でここまでしてくれるヤツは、姉さん以外見たことねぇよ。……はっ、さんきゅー姉さん。ちょっとばかし気が楽になったわ」
「そっかそっかぁ。ま、可愛い弟のためだもん。これくらいワケないってことよ〜!」
まったく、どこまでもお人好しな姉である。
「あっ、因みになんだけどね」
すると、姉さんはそう言ってバッグを再び漁り始めて。
「私もついでに買っちゃったんだよね〜!」
と、何やら桃色のお守り袋を取り出した。
書かれていたのは"交通安全"の四文字。確かに、電車で大学に通う姉さんにとってはうってつけの物だ。
「へぇー、いいじゃねぇか」
「でしょでしょ! デザインが可愛くてつい買っちゃったんだ!」
そう言って心底嬉しそう表情を浮かべる姉さん。
そんな笑顔の姉さんを見ていると、がっかりした表情にはさせたくないと思えてしまうな。
俺は左手に収まっているお守りをぎゅっと握る。
そしてそれをノートの横に置くと、再びシャーペンを手に取った。
けれど、いつの間にか御厨のことは頭から抜け落ちていて、不思議と集中することができたのだった。
お読みいただきありがとうございました。
次回、遂に期末試験が始まります。
果たして大和君は全教科85点以上を取れるのか……?
そして、御厨君の言葉の意味とは……?
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