22話 存在に揺れる
その日の夕方、俺たちは下校途中に公園へ立ち寄っていた。俺は止めている自転車に跨がりつつ、公園内の自販機で買った缶コーラを開ける。プシュッと炭酸の抜ける音が気持ちいい。
「へへっ、いただきまーす」
俺は早速それをグビグビと飲んでいく。喉に伝わる刺激と飲み慣れたこの味、やっぱり――。
「くぅー、最高だぜっ!」
「ははっ。ほんと美味しそうに飲むね」
「そりゃあ美味いからな!」
俺の隣で同じく自転車に跨っている瑠唯は、俺の飲みっぷりに感心したように微笑む。
「勝烏を見てたら、俺も飲みたくなってきたよ」
そう言うや否や、瑠唯も自転車のカゴに入れていたオレンジジュースの缶を取り出し、プシュっとフタを開けた。ゴクゴクとそれを飲み込む音が聞こえてくる。
「ぷはぁー。やっぱりいいね、美味しい」
満足そうに笑みを溢す瑠唯。整った顔立ちをしている彼だが、こんな感じで笑った時の表情は可愛らしく、女を虜にしてしまう――と、クラスの女子がヒソヒソと盛り上がっていたのを思い出した。
正直、女子受けがいい点だけは瑠唯に嫉妬してしまう。
「……どうしたの、勝烏? 俺をずっと見つめて」
「え? あぁいや、何でもねぇよ」
俺は瞬時に瑠唯から目線を逸らす。無意識のうちに瑠唯をジッと見つめていたらしく、少し小っ恥ずかしい。
とにかく話題を変えようと、俺は本題を切り出す。
「……それより瑠唯。アイツの事だが、上手く混乱させられたと思うか?」
俺の言葉に瑠唯は、缶ジュースを持ったまま自転車のハンドルに両肘を掛けて応える。
「いや、ダメだろうね。ウワサ自体は割と広がったみたいだけど、それでもウワサはウワサ。根拠がないって事で一蹴されただろうね」
「だよなぁ。あの場にいた時は面白いネタが手に入ったと思ったけど、いざ実行してみたら手応えがないなんてなぁ」
そう。今朝俺たちが教室で話をしていると、アイツが突然ウチの教室に入ってきて、浦上さんに「放課後ちょっといいか? 話がある」なんて言ったのだ。
アイツ自ら己を辱めるネタを持ってきた――そう思ってワクワクしながら告白のデマを流したというのに……。
「まぁあれはその場の思い付きだったからね。ある程度は予想通りだよ。……でも大丈夫、本命はこれからなんだからさ。だから――」
その瞬間、瑠唯はニヤリと口角を上げたかと思うと、驚きの言葉を口にした。
「共犯者を増やしてみない?」
刹那、俺の胸はドキッと脈打つ。
「コマってお前、いったい誰を……」
「実は一人アテがいるんだ。昨日の自己紹介の時、みんなが拍手する中、ただ一人拍手しなかった男――。きっと彼も反対派だと思うんだよね」
瑠唯は右手に持った缶ジュースをくるくると回す。中で液体が跳ねる音が微かに聞こえた。
「俺は全く気がつかなかったけど、よく見てるなぁお前」
「まぁ俺の左の方に座ってたからね。俺の右側に座ってた勝烏には見えなくても仕方ないよ」
「瑠唯の左側――」
と言いかけたその時、俺の脳裏には一人の人物が浮かんだ。
「……あぁ、アイツか」
「そうそう、彼だよ」
確かに思い返せば、瑠唯の隣は空席だったが、その一つ左の席はアイツが座っていた。
ただ――。
「けど、アイツを引き入れるのか? 俺ははっきり言って苦手なんだが……」
「まぁまぁ、これもあの不良を退部させるためだと思って」
目的はアイツの退部。であれば、どんなに苦手だとしても、同じ気持ちを抱くヤツと手を組む方が、きっとメリットがあるのだろう。
「……分かったよ。お前を信じるからな?」
「うん、俺に任せてよ」
そう言うと、瑠唯は再び缶ジュースに口をつけ、それをグイッと飲み干した。
「ふふっ。これで上手くいきそうだよ」
先程みたいに、再び屈託のない笑顔を浮かべる瑠唯。けれど、その表情はどこか不気味な感じもした。
どんな計画を立てているのかは分からないが、瑠唯が共有してくれるまでは、ひとまず瑠唯に任せることにしよう。
そう判断をした俺は、残っていた缶コーラをグビグビと飲み干した。
「よしっ。話もついたし、帰るかぁ〜」
「そうだね〜」
そうして俺たちは、自動販売機の横にあるゴミ箱に空き缶を捨てに行き、再び自転車に跨がった。――その時だった。
「すいません、少しお尋ねしてもよろしいですか?」
俺たちの後方から、男の声が聞こえてきた。
俺と瑠唯は声の主を確認すべく、後ろを振り向く。
すると、視界に映ったのは一人の警察官だった。
まだ二十代だろうか、若々しく清潔感のある風貌だが、どこか威厳らしさも兼ね備えているようにも見える。ちょうど西陽と警察官の姿が被っているため、後光が差しているように見えて、思わず気後れしてしまう。
そんな俺に代わって、瑠唯は微笑みを浮かべて応えた。
「もちろんです。どうなさいましたか?」
「ありがとうございます。実は、聞き込み調査をしておりまして」
「聞き込み、ですか。それはご苦労様です。一体何を調べていらっしゃるんですか?」
瑠唯が質問すると、警察官はフッと笑みを溢して、その言葉を紡いだ。
「"善行貯金箱"って、ご存知ですか?」
「善行貯金箱? 初めて聞きましたが……」
そう言って、瑠唯はちらっと俺の方に振り向く。
俺もそんなモノは知らない。そのため、俺は瑠唯に首を振り返す。
そんな俺たちの様子を見て、警察官は続ける。
「そうですか。では、簡単にご説明いたします。その善行貯金箱を持っていれば、善行を積めば積むほど、お金が貯まる――そういう貯金箱です」
「そんなものが世の中にはあるんですね。俄には信じられませんけど……」
「まぁそれが当然の反応です。ですが、貴方たちの周りにこんな方はいらっしゃいませんか?」
警察官はそう前置くと、驚くべき言葉を口にした。
「例えば、今まで不良のような振る舞いをしていた人物が、急にゴミ拾いを始めたとか――」
瞬間、俺の心臓はドクンと大きく脈打った。それと同時に、一人の男の名前が脳裏を過る。
――御堂大和。
確かに最近、「御堂という不良は学校に行かない代わりに、地域のゴミ拾いをしている」というウワサを耳にした事はあるが……。
だがそんな物がこの世にあるとすれば、アイツの行動全てにおいて辻褄が合ってしまう。
ウワサの事も、商店街の清掃活動にいた事も、そして生徒会執行部に入部した事も――。
すると、今度は瑠唯が警察官に尋ねた。
「仮にそんな人がいたとして、どうするつもりなんですか?」
瑠唯の質問に対して、警察官は笑みを崩さず淡々と答える。
「もちろん逮捕して、貯金箱を押収しますよ。現状の通貨法では、政府以外による貨幣の製造・発行は禁止ですからね。仮にそれが実態を伴わない仮想通貨だったとしても、審議されるべき対象ではありますので」
警察官のその言葉に、俺は段々と気持ちが高揚してくる。
もし、御堂が貯金箱を所持していたとすれば、御堂は逮捕される事になり、必然的に生徒会執行部から姿を消す……いや、なんなら学校から姿を消してくれるのだ。
それならこの警察官にアイツの存在を伝えるのが得策。
そう思った俺は、初めて警察官に対して口を開こうとした。――だが、その瞬間だった。
「申し訳ないですが、俺の周りにそんな人はいないですね」
なんと、瑠唯は御堂の存在を伝えなかったのだ。
警察官の例え話で、御堂を連想しないはずはない。
だとしたら、御堂を逮捕してもらうという発想に至らなかったのか……?
しかし、策略家である瑠唯がそれに気づかないなんて事があるだろうか……?
そうなったら、瑠唯は御堂を守ろうとしたのか?
何のために? ワケが分からない。
俺はただ、澄ました顔で警察官を見つめる親友を、疑う事しか出来なかった。
「そうですか……。分かりました、ご協力いただき感謝いたします」
そう言うと、警察官の男は公園を出て、先の方へと行ってしまった。
「……ふぅ。さて、今度こそ俺たちも帰ろうか」
「なぁ瑠唯。お前気づかなかったのか?」
「何が?」
「御堂の存在を伝えてアイツが逮捕されれば、必然的に生徒会からアイツが消えるって事だよ」
俺はブレーキハンドルを強く握り締め、声に僅かな怒りを乗せる。自分でも不思議だった上に、親友にここまで気持ちが荒ぶるのは初めてだ。
そんな俺の様子を見て、瑠唯は溜め息を吐く。
「……もちろん気づいてたよ」
「ならなんで……!」
ますます声に怒りがこもる。
「だって、面白くないでしょ?」
「お前何言って――」
と、俺が言い掛けた直後だった。
瑠唯は俺の言葉を遮るように口を開いた。
だが、その言葉はいつもの瑠唯からは信じられない言葉だった。
「俺はね、誰にも邪魔されずに、俺のやり方でアイツを排除したいんだよ……俺が自分の手で潰してやったっていう実感が欲しいんだよ! ……だからさ、これからも俺に協力してくれるかな? 親友」
そう言って、瑠唯は屈託のない笑顔で手を差し伸べてきた。だが、その表情に対して抱いた事のない感情によって、俺の腕は鳥肌を立ててしまう。
この手を握り返さなかったら、俺はどうなってしまうのだろう。そんな恐怖心さえ覚えてしまう。
でも、他ならぬ親友の頼みなのだ。
だったら――。
俺は意を決し、その手を握り返した。
一方、酷く黒ずんだ眼を持つその存在は、確かに握り返された手を満足そうに見つめていた。
お読みいただきありがとうございました。
今回は珍しく、主人公の大和君が一切登場しない回です。
物語が動きそうな展開ですが、今後はどうなっていくのでしょうか……?
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それでは、次回もまたよろしくお願いします(→ω←)




