ディルの街の迷宮(1)
フィヌイは素早くカバンから飛びだすと、ティアの前に音もなく着地する。
前かがみになり上半身を低くすると、狼の嗅覚で空気のにおい、耳で周りの気配を慎重に探ったのだ。
ティアは一瞬、呆然としていた。
何が起きたのか理解できなかったのである。
だがほどなく我に返ると、周りを見回し、そして正面の地面を刺さっている針をじっと見つめたのだ。
あのまま歩いていたらと思うとぞっとする。
よく見れば針の先には紫の液体も塗られているし、どう見ても毒だと簡単に想像ができる。
ぞくとした寒気に、思わず両腕をさする。背筋に冷たいものが走ったのだ。
間違いなく、私めがけ放たれたものだと今更ながらに実感が湧いてくる。
――ティア、油断しないで!この吹き矢を放った奴はまだ近くにいる――!
頭の中にフィヌイ様の声が響く。
いつの間にカバンからでていたのか、フィヌイ様は子狼の姿でティアの正面にいたのだ。周りを警戒するように上体を低くし、いつでも飛び掛かれるような態勢を取っている。
再び風を切るような甲高い音が響く。
だが、彼女を狙った吹き矢は到達する前に見えない壁に弾かれ、力なく地面へと落下する。
フィヌイ様が見えない防壁を作って守ってくれているのだとティアは直感したのだ。
それから間を置かず、一つの影が建物の死角から躍り出る。そのまま真っすぐにティアに向かってきている。手には銀色に光る刃も握られていた。
そいつは全身黒い服を着て、布で顔は隠している。見たのは初めてだが、どうみても暗殺者の格好だ。
ティアはあまりのことに驚き、その場から動けないでいた。
その両者の間に、横手からティアを守るように小さな動物が刃物を持った影に跳びかかる。暗殺者は難なく片手で払って弾き飛ばしたのだ。
「――キャンっ!!」
甲高い、子犬の短い悲鳴がティアの耳に聞こえる。
フィヌイ様の声だ。
そしてティアは迫りくる刃物を避けようとしたが、足がすくんでいうことを利かない。そうこうしている間にも刃物は目の前に迫り、
駄目だ・・このままじゃ殺される―!
ティアが目を瞑ったその時だった。
突然、刃物を持った暗殺者が強い力に弾き飛ばされ、近くの壁に激突したのだ。
フィヌイ様・・?
ティアの目の前には、大きな白い狼になったフィヌイ様の姿。どうやら刃物を持った暗殺者を、フィヌイ様の白い大きな尻尾で弾き飛ばしたのだ。
壁に激突した本人は何が起きたのか理解していないようで困惑している。おそらく、見えない何かに急に弾き飛ばされたような、そういった印象しかないのだろう。
――ティア、大丈夫・・
フィヌイ様は私の傍に近づくと、気づかわしげに鼻先を寄せてくる。
傍にいてくれると、こんな緊急時でも白いもふもふの毛並みに触れることができとても安心する。
――動けそう。
「はい、心配をかけてすみません」
ティアは気を取り直すとぎこちなく微笑んだ。それでも脚がまだ震えてはいたが気持ちはしっかりしていた。その様子を見て大丈夫そうだとフィヌイは判断すると、
――聞いて・・詳しい話は後でするけど今、この場にはティアを狙う暗殺者は二人いる。僕が足止めをするから、目で合図をしたら走って、そこの路地を曲がって突き当りにいったら潜るんだ。その意味はわかるよね。
その言葉に、ティアは静かに力強く頷いたのだ。




