山を越えて
それは、街道の小さな分岐点にさしかかった時のこと。
ティアは小さな分岐など気にせず、街道に沿ってそのまま東に進もうとする。
すると、突然フィヌイが呼び止めたのだ。
――ティアてば!街道を進むんじゃなくって、こっちの道だってば!
振り返ればフィヌイ様は、分岐のベルヒテス山へ向かう山越えルートを、前足で示していたのだ。
「えぇ~ だって・・街道を進めば次は街ですよ。このまま進んでも商業都市ディルに着くと思うんですが・・」
――この、山越えの方が近道だからこっちから行こうよ!街道だと道は綺麗だけど、すごく遠回りになっちゃうよ。
「でも、泊まるところが・・山の上じゃ登山用の装備もないですし、野宿は無理ですってば」
「大丈夫。このベルヒテス山は聖域だけど、そんなに大変な山じゃないから。山の向こう側には小さな村もあるし、今日の夜はそこで泊ればいいよ。日中の登山なら、この装備で問題ないてっば・・ねえ、行こうよ」
フィヌイ様はウルウルした目で私を見上げてくる。
考えてみれば確かに・・今、履いているこのブーツなら登山にも耐えられそうだし、水筒にも水が満タン。手袋だって持っている。これなら、日中の山登りだけなら大丈夫かもしれない・・
ただ・・携帯食はもう少し多めに買っておくんだったと後悔は残ったが・・
だが、私の返事など聞かないうちに、フィヌイ様はいつの間にか大きな白い狼の姿になり、山越えルートを歩き出していた。
・・あぁ、どちらにしろ山越えで進むしかないのだと半ば諦めつつ、
――わぁ、ここの岩山なんか起伏があって面白い!やっぱりこのルート選んで正解だったね。
岩の起伏を楽しみながら切り立った岩から岩へと、軽やかに跳びまわっているフィヌイとは違い、ティアは死にそうな顔になっていた。
「・・・。」
プルプル震えて、泣きそうだ。もう、下を見るのは止めよう。
面白いどころの騒ぎではない。足を踏み外せば、底の見えない谷底に真っ逆さま。
人がやっと一人、ギリギリ歩ける崖っぷちに作られた狭い道を、横に這うように移動している。これは恐怖でしかない。
フィヌイ様の言葉を鵜呑みにした私が間違いだった。
神様にとっては面白い岩山も、私にとっては命がけの登山でしかない。
ベルヒテス山への山越えは、商業都市ディルへの近道とはいえ、とても旅行者が行く道ではなかった。
神の聖域と言われるだけあって、隠者もしくは戦士とかが、己の精神を鍛えるため修業を行うための山だと、今さらながらに気づいたのだ。
聖域とか言ってたし、完全に騙された・・
始めは森林地帯の緩やかな登りが続いたが、そこを抜けると今度は積み上げられた大きな岩をよじ登ることになる。そして、それがいつの間にか奇形の岩がむき出しのがれ場へと変わり、気がつけばこの有様だ。
崖登りよりは幾らかましだが、強風が吹けば谷底に落ちてしまう。
そろりそろりと、慎重にティアは歩き続けたのだ。
もう引き返すこともできないし、このまま進むしかない。顔がみるみる青くなる。
へとへとになりそれでも歩き、登り続けていると、景色はいつの間にか草原へと変わっていた。
前方を足取り軽く歩いていたフィヌイは、ぴったと足を止めると振り返り、
「ティア、お疲れ様。ここが頂上付近だよ」
白い尻尾をふりふり、晴れ晴れとした笑顔を振りまいていたのだ。




