道化を演じたもの ~前編~
予想外の展開に、思わずアリアは呆然としてしまう。
だが、彼女はすぐに我に返ると自分のやるべきことを思い出していた。
そして――今までとは、うって変わった優しい口調で声をかける。
「ティア、その犬がフィヌイ様であることはわかりました。そして、あなた達の信頼関係が強いことも……残念ですがフィヌイ様のことは諦めます。ですが最後に、ほんの僅かな時間でもいい。お別れだけでもさせてもらいたいの」
「どういうことですか?」
「あなたが、私のことを警戒する気持ちもわかります。たしかに、私は今まであなたに酷いことばかりしてきました。今思えば自分が恥ずかしく、謝っても…謝りきれない。本当に申し訳ないと思っています。ですが、私もフィヌイ様を大切に思う気持ちは本物なの。最後にここを立ち去る前にフィヌイ様とふたりでお別れをさせてほしいの、どうかお願い」
「……」
正直、ティアは迷っていた。
自分が受けた理不尽な仕打ちを思えば複雑だが……。
でも、それよりもフィヌイ様の気持ちを考えれば……今でもアリアさんのことを気にかけているから。そのことはなにも言わなくても自然と伝わってくるものだ。
フィヌイ様は慈悲深くってとても優しい――できればフィヌイ様の気持ちに寄り添ってあげたいとティアは思ったのだ。
彼女たちのやり取りを見守っていたラースもまた、このまま何事もなくアリアが手を引いてくれることを、強く望んでいた。
その気持ちが、いつもなら冷静に周りを見渡せることができていた、彼らしからぬ失敗へと繋がっていったのだ。
そして、フィヌイと同じ神であるダレスは目の前の出来事よりも、周りの空間そのものが重く闇の気配が濃くなってきたことが気がかりだった。
邪神の封印は破られてはいない。
ここはもともと邪神の気配が強い場所。……だからこそフィヌイの加護を持つ娘に結界を修復し、再封印を依頼するつもりでいた。
――だが、あの女が現われてからこの地に僅かながら、変化がみられる。
なにかが起こるかもしれないと彼は周りに気を巡らせていた。それが、判断を遅らせてしまっていたのだ。
そしてティアは迷った末に、腕に抱いていた子狼姿のフィヌイをアリアに渡そうとしたその時――
「フィヌイ!! その女に近づくな――!!」
ダレスの声が辺りに響き、
アリアが口の端を笑みの形に歪めるのと、その右手首にはめられていた腕輪から無数の黒い蜘蛛の糸のようなものがでてくるのがほぼ同時。そして気がつけば、子狼姿のフィヌイをからめとっていた。
フィヌイは本来の姿にもどろうと必死に抵抗するが、あっという間にその姿も見えなくなり、アリアの手には黒い繭のようなものが出来上がり、宙に浮いていたのだ。
「やった…! やりましたわ。これで、フィヌイ様を取り戻せた…!!」
「さすがはアリア様、素晴らしい手際の良さです」
アリアの歓喜と共に、その影から音もなく姿を現した者がいた。
影は音もなく、見覚えのある黒いローブを纏った男の姿を形を作り、人の姿をとっていた。
そいつには見覚えがある。忘れるわけがない…。
王都をでるときに東の大門に、そしてザイン鉱山で対峙したウロボロスの構成員にして、幹部クラスではないかと睨んでいたクロノスの姿だったのである。