静かな夜~後編~
扉のノックの音とともに、ティアはフィヌイと顔を見合わせる。
「どうしよう。夜中に騒いでいたから苦情かな・・?」
「キャウ?」
フィヌイに助けを求めたが、小首を傾げて何を言っているのかわからないという顔をしている。
完全に子犬のフリを決め込んでいた。
拳を握りしめフィヌイの態度にちょっと腹も立ったが、考えてみれば騒ぎだしたのはそもそも自分だし・・渋々だがティアは自分で対応することにした。
「はい、どなたでしょうか」
「ティア、私よ。アイネ――夜遅いけど少し話をしてもいいかしら?」
その言葉に慌てて扉を開けると部屋の中へと入ってもらう。
「ごめんなさいね。こんな夜中に・・」
「い、いえ、そんなことないです」
さっきまで騒いでいたので大それたことなど言えるわけもなく、しどろもどろで答え、
「ふふふ・・それなら良かったわ。貴女、夕飯を食べていないって聞いたから少し持ってきたのよ」
「食事をもってきてくれたんですか!ありがとうございます!」
ティアの目がキラキラと輝いている。
「ティアは孤児院にいた時から食いしん坊だったからお腹を空かせているじゃないかと思って、当たりだったわね」
「はい。ちょうど何か食べたいって思っていたので助かります!」
――さっきまで厨房へ、突撃する勢いだったもんね!
フィヌイに思いきり痛いところを突かれたが、完全にスルーすることにした。
そんな様子など気づかずに押してきたカートの上段から、アイネは器とパンを取りだしてくれている。
食事の内容は、少しのベーコンと、野菜と豆がたっぷり入ったトマトスープそれに白パン。
器は木で作られているため、保温性が高くスープはまだ温かいし器の底も深く具もたっぷり入っているので、お腹も膨れる。美味しくって至福のひと時だ。
ティアはあっという間に食べ終わると、ようやく人心地着いた気分になり、
「昔からちっとも変わっていないのね。ティアは・・」
「先生・・」
アイネは優しく笑い、ティアを慈しむように見つめていた。
だが、ふと我に返ると軽く手を叩き、
「そうだわ。ここに来た理由、忘れるところだったわ」
そう言いながら、カートの下段に載せていた荷物をごっそりと取り出したのだ。
「貴女が旅に出ると聞いて。私が昔、巡礼の旅でたときに使っていた物を引っ張り出してきたのよ」
床に並べられたのは、旅装用で使う修道女のローブ、ブーツ、カバンに薬草等々。
「ほとんど、お下がりで申し訳ないんだけど」
「こんなにたくさん・・少しでもお金を支払わせてください」
「そんなものはいらないわ。ほとんど物置の奥に眠っていたものよ。使ってくれればそれだけで助かるわ」
――ティア、せっかくなんだし全部もらっちゃいなよ。
神様の助言もあり、ティアはその好意を有難く受けることにする。
「それじゃ、お言葉に甘えて」
「フフフ、受け取ってくれて良かったわ。ほら、この修道女のローブ。ちょうどティアぐらいの年に私が着ていたのよ。サイズもちょうどいいみたい」
アイネの木苺のような赤い瞳が優しく微笑んでいる。どことなく少し寂しげな微笑みで、
「私ね・・。貴女と同じぐらいの年に家を出て修道女になったのよ」
「先生は貴族の出身だって、ほかの人が言ってたの聞いたことがあります」
「そうね・・確かに似たようなものかしら・・家督は兄が継いでいるから問題はないのだけど・・」
歯切れの悪い話し方だった。ティアはこれ以上聞くことが出来なかった。誰だって、話したくないことのひとつやふたつはあるものだ。
「結局、家のしきたりに我慢できずに飛び出したの。でも、今はそれで良かったと思っている。自分が進みたい道を歩んでいるのだもの。後悔はしていない。だから、ティアにも後悔のない道を進んでもらいたいの。ただ流されるだけじゃない自分で選んだ道を――きっと、昔の自分と重ねていたのかもしれないわね」
「私、アイネ先生に出会えて良かったです」
「ほんと、そう言ってもらえると私も嬉しいわ。それじゃ、そろそろ部屋に戻るわね。おやすみなさい、ティア」
「はい、おやすみなさい」
アイネはカートを押し部屋を出ていく。
だが、何かを思い出したのか扉の前で後ろを振り向くと、
「肝心なことを言ってなかったわね。ティア、それにあなたも夜中は静かにしましょうね」
アイネはいつものように優しく微笑んでいたが、
その瞬間・・ティアとフィヌイは動きを止めピッキと固まったのだ。
周りの空気が一気に真冬の氷点下まで下がたような錯覚に陥り、
笑顔なのに怖い・・怖すぎるのだ。威圧感が凄すぎるとでもいうべきか・・
だが部屋の様子など気にもせず、アイネは扉を静かに閉めると自分の部屋へと戻っていったのだ。