ラステッド・フロンティア(2031)
うおーーー風邪風邪風邪風邪風邪
【サービス終了のお知らせ】
いつも『ラステッド・フロンティア』をご愛顧いただき、誠にありがとうございます。突然ではございますが、この度、『ラステッド・フロンティア』のサービス終了をお知らせいたします。
長い間、多くのプレイヤーの皆様にお楽しみいただき、心より感謝申し上げます。しかしながら、安定的にサービスを提供することが難しい状況が続いており、当社としても慎重な判断を行った結果、サービス終了という選択をいたしました。
この決断は、多くの要素を考慮し、将来的なサービス品質やプレイヤーの皆様への満足度を最優先に考えた結果です。お客様に安定したプレイ環境や充実したゲーム体験を提供できない状態では、十分な満足をいただけないと判断しました。
サービス終了の日程については、以下の通りとなります。
[サービス終了日時]
日付: 2031年1月10日
時間: 午後11時59分
なお、サービス終了後に関するアカウントやプレイデータの保管・引き継ぎについては、現在検討中であり、後日詳細をご案内させていただきます。今後のお知らせにご注目ください。
サービス終了により、長い間お楽しみいただいたプレイヤーの皆様には多大なご迷惑をおかけいたしますことを心よりお詫び申し上げます。また、この場をお借りして、『ラステッド・フロンティア』の運営チーム、開発スタッフ、そして関係者の皆様に感謝の意を表明いたします。
最後になりますが、『ラステッド・フロンティア』を愛していただいたすべてのプレイヤーの皆様に、心からの感謝の気持ちをお伝えいたします。今後も新たなサービスやエンターテイメントを提供できるよう、努力を重ねてまいりますので、引き続きのご支援をいただけますと幸いです。
何卒、ご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。
『ラステッド・フロンティア』運営チーム
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喉が渇いて仕方ない。
フェイズというプレイヤーネームの女が抱いたそれは、別に比喩的なものではなかった。ただ純粋に、家庭用VRヘッドギアに収められた彼女の脳は、先ほどからひどい喉の渇きを訴えていたのだ。現実世界の日付は1月、今日の湿度はそう低くない。現実での水分補給も十分にしている。それでも産まれるこの渇きは、紛れもなく、彼女の仮想体そのものに宿ったものだった。
フェイズはあたりを見渡した。そこには、ありていに言って何もなかった。ただ『ラステッド・フロンティア』の広大な砂漠が、夜闇のヴェールを被って広がっているだけだった。
天空に浮かぶ三日月が、闇を切り拓いて輝光を届ける。それを受けて輝く砂粒たちは、奇しくも夜海で犇めく荒波たちに似ていた。実際は真逆だ――海が上げる水飛沫の一片も、この砂海には存在しえないのだから。
「……誰もいない、か」
フェイズの呟きは一切の障害物に阻まれず、然るべき減衰処理を受けながら、砂々の上をばらばらと駆け抜けていく。
サービスの終了まで30分も残っていないというのに、せめてこのゲームの思い出を噛み締めようとログインしたプレイヤーはフェイズ一人だけらしい。いやむしろ――フェイズ一人だけだからこそサービスの終了まで30分も残っていないのだ、とも言えるだろう。運営は『安定的にサービスを提供することが難しい』などと言っているが、結局のところこのゲームで起きているのは過疎だ。
大量のプレイヤーを前提に設計された広大なマップも、見捨てられれば空虚な、無駄に大きい棺桶でしかない。
このゲームはフィールドのリアリティをあまり重視していない。だから月は満ち欠けを起こさず、砂漠に風が吹くこともない。彼女の周りに広がっているのは誰にも乱されない静寂で、それはちょうど葬儀場に似ていた。
あるのは暗闇だけだ。
それにしても――とフェイズは思う。
喉が渇いて仕方ない。
実のところ、それこそがこのゲームが終わった原因であったりする。
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フルダイブVRゲームの開発は、「どこに線を引くか」を追求し続ける作業であると言える。
最も大きな例を挙げるなら、VとRの境界線をどこに引くかという問題がある。完璧なリアルはもはやゲームではなく、完璧なバーチャルではフルダイブの意味がない。両者がミックスされている状況が必要だ。だから悠々と広がるバーチャルのどこかに線を引いて、そこから先はリアルの――作り物の領域だと宣言してやる必要がある。あるいは逆でもいい。
より狭い観点で言うなら、感覚に関する線引きが必要だ。
フルダイブVRのプレイ中、ゲーマーの脳は偽の感覚を送り込まれ続ける。偽物の視覚で空を見上げ、偽物の聴覚で声を聞く。しかし、その調子で全ての感覚器官を仮想のものに代替すると、色々と不都合が発生する。
簡単な話、現実とゲームで心臓の鼓動にズレがあっては困るのだ。
近年のフルダイブVRにおけるスタンダードは、脳だけでなく、プレイヤーの体内臓器からのフィードバックのほとんどをそのままゲーム内に持ち込むことだ。ここについてはどのゲームも揺るがなくて、線引きの余地が現れるのはもっと些細な観点でだ。例えばストレスからくる胃痛をフルダイブ時にシャットアウトするかしないかとか、「全身が総毛立つ」状況における全身をゲーム内のものにするか現実のものにするかとか、心臓は現実に置くので良いとして血液についても同じようにするのかといった部分で、各ゲームに微妙な差異がある。またスタンダードとなっている部分についても、開発元によって実装方法には違いがある。そのうち何かしらの団体による標準化が行われるだろうと言われているが、まだ仕様はバラバラのままだ。
このゲームは、その些細なところを間違えた。
喉を置く世界を見誤ったのである。
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喉の渇きはアイテムでは抑えられない。
このゲームは、アイテムの使用に関しては完璧なコンソールコマンド方式を採用している。つまり例えば回復ポーションを飲みたい場合、インベントリから実体化した瓶に口を付けるのではなく、インベントリで瓶のアイコンを押した後、表示されるコンテキストメニューから『飲む』ボタンをタップすればいい。ここ数年でフルダイブVRのリアリティは飛躍的に向上したが、未だプレイヤーのアクションとアイテムの使用を結びつける方式は浸透していない――単に実装が難しいというのもあるし、一概にコマンド入力の完全上位互換であるともいえないからだ。
そういうわけで、いくら液体が手元にあっても、それがフェイズの喉を潤すことはないのだ。
雨は降らない。砂漠だから。
果実は生えていない。砂漠だから。
オアシスはない。砂漠なのに。
運営がテストプレイをしていないのは明白だったし、そもそも運営などというものが本当にいるのか怪しかった。というか、このゲームは全体的に怪しいのだ。彼女がこのゲームに出会ったのは、漫画アプリで無料チケットを手に入れるために渋々視聴した30秒の感覚挑発広告を誤エンターしたのがきっかけだった(思い返せば、彼女が出会ったプレイヤーはほとんど全員誤エンター勢だった)。広告の出来はお世辞にも良いとは言えず、ゲーム内容も同様にお粗末なものだった。砂漠を開拓すると言えば聞こえはいいが、要するにNPCの一人もいない丸裸の大地を延々彷徨うだけなのだ。アイテムも増えない。イベントも開催されない。だいたい、運営にやる気があるなら喉の渇きに何かしらの対策を講じたはずだ。それすらしなかったから、数少ない誤エンター勢も数十分のプレイでゲームを去った。サービス終了のお知らせすらも、低級の言語モデルに1秒で生成させたような低品質極まりないものなのだ。
今際の際にあるこのゲームを見送ってくれるのがフェイズだけなのも、因果応報というやつだ。
それにしても、とフェイズは思う――本当に喉が渇いた。こんなゲームをあえて遊ぶような物好きが集まっていたころは、渇きを癒す方法が一つだけあった。けれどもフェイズ一人では――。
「……あ」
そこまで考えて、フェイズは目の前に光が立ち上るのを見た。それは久しく目にしていなかった、新たなプレイヤーのログインを知らせるエフェクトだった。
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「久しぶりだね」
ピッパという名前をした小柄な少女は、闇の向こうでフェイズを見上げて言った。
このゲームは現実の声をそのままアバターの声として使用する。濃霧のように深い闇は少女の姿を隠し去ったから、あるいは本質的な話をすれば、フェイズの目の前にいたのがピッパではなく、ピッパを操る中の人本人であっても、この構図は成立するかもしれなかった。
けれどもピッパは一歩踏み出し、縮まった距離は闇を掻き消した。良化した視界は細い線を正確にとらえ、フェイズが対面しているのが確かにピッパそのものであるということを確定させた。
「他のみんなは?」
「あなたが最初」
「……そっか」
「ねえ」
「なに?」
「喉が渇いた」
「いいよ」
それが、『ラステッド・フロンティア』で交わされた最後の会話になった。
フェイズはそれ以降何も言わず、ただ、ピッパを持ち上げた。月光が二人の影を引き伸ばしたうえで融合させ、まるで尋常ならざる怪物のように見せた。けれどもこのゲームにモンスターは実装されていない。実装されていればよかったのにと、フェイズはいつも思っていた。
『ラステッド・フロンティア』にはただ一つだけ水分補給の手段がある。それは絶対に二人以上いなければできなくて、理由は自傷行為が禁止されているからだ。
フェイズは口を大きく開いた。
そして、ピッパのうなじに思いきり噛みつき、仮想の肉体をめぐる新鮮な血液を吸い取り始めた。
サービスの終わりまで5分を残した嫌われ者の墓には、もはや一体の吸血鬼と、一人の生贄が残るだけだった。