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番外編 イタズラ 2


「へぇ、君はベリルって言うんだね」

「はい旦那様」

「僕はこんなに綺麗な奥さんが居るのか、なんだか信じられないなぁ」


 執務室、いつも並んでいる机を見て、旦那様は驚いたように目を丸めていた。「奥さんになる人も一緒に仕事をしてくれているんだね」そう言うと、そっと机を撫でた。

 毎日書類を書く机は、インクのシミや傷が目立つ。よく働いている証拠で私は好きだが、そろそろ文字を書くたびに溝にペンが刺さり紙を貫通してしまうので、買い替えなければいけないだろう。


「『今』の僕は幸せ者だね」


 カラカラと笑う旦那様は、どこか寂しそうにそう言った。

 笑っているのに、瞳はどこか遠くを見ていて、まるで感情が乗っていない笑い方だ。

 どこかで諦め、でも諦めきれなくて。

 なんだか少し悔しそうな感じもする。

 そんな笑い方だった。

 

「よかった。今の僕はうまくいってるって事かな」

 まるで人ごとのような言葉だった。


 無理もない。

 目の前には、名前も顔もまるで知らない、自分よりも年上の自称妻。そして知らない使用人に、歳をとったレオンさん。

 彼が、体も記憶も『戻って』いる状態であるなら、こんなに心細いことはない。

 

 彼が言うには今は17歳なのだそうだ。

 以前聞いた話では、旦那様はこのお年の頃にご両親を亡くしている。

 それを思っても辛く悲しいだろうに、それでもこちらの事情もしっかり飲み込もうとする姿勢に驚いてしまう。

 自分であれば怖くて泣き出すだろう。


 それは孤独や悲しみから彼が早く大人にならねばと考えているせいかもしれない。

 少し進んで、一人ではない自分の先の人生を見て、安心してるのかもしれない。

 少しだけ自分に重なる部分を見てしまい、どうにも胸が締め付けられる思いだ。


 私も、つい最近まで、お父様にもお母様にも認めて欲しくて、褒めて欲しくて。毎日頑張っていた。

 お姉様が言うことで、私とお姉様を比べて欲しくなくて。


 そんな事を思い出せば、旦那様もきっと、波のようにやってくる仕事やお屋敷の切り盛り、そして社交界に、期待に応えなければと必死になっているのかもしれない。


 どこか無理をしているような大人びた言葉に、そっと旦那様の手を握ると、一瞬嫌そうに目を細め、振り払う様子を見せたが、すぐに手から力が抜けた。

 青い瞳が私を見る。

 熱っぽい視線でもなければ、甘い視線でもない。申し訳なさそうに笑う旦那様の瞳よりもずっとずっと空虚なそれが私を見やる。


 手をそっと両手に包み込んで、自分の熱を旦那様にゆっくりと伝わるようにと優しく握る。深呼吸をして、ゆっくりと話すように心がける。


「旦那様、ご無理なさってはいけません。今は私がおります。できない事、したくない事、難しい事、相談しても良いんです。頼っても、甘えても良いんですよ」


 これは、自分が誰かから欲しかった言葉に違いない。甘えてもいい。頼ってもいい。

 旦那様の手が、ぴくりと動いた。

 振り解く様子はない。


「大丈夫です。旦那様はとても頑張っておられます」


「……僕が?」


「はい」


 驚いたような青い瞳が、徐々に見開かれ、まんまるになる。

 

「とても信じられないけど……そっか」

「はい。素晴らしいお仕事をされておられますし、皆に優しく、精霊にも好かれておりますよ」

 

「……それは……」

 

「それに、殿下も、アーノルド様も、トム様も」


 旦那様の顔が密かに赤らみ、パッと下を向いてしまう。もう顔は見えない。

 しばらくすると、グズ、という鼻を啜る音が聞こえた。


「……君は?」

「はい?」

 くん、と腕をひかれ、前につんのめった。

 いつのまにか包み込んでいた手が、そこを抜け出し私の腕を掴んでいる。

 倒れそうになるのを寸のところで踏ん張ると、旦那様は私の顔を覗き見るように首を傾げた。 


「君は?『今の僕』を好き?」

「今の…」

「そう。今の、大人で、君の旦那である、僕」

「大人の旦那様」

「そう」


 私を見る瞳が不安気にゆらりと揺れる。 

 青い瞳が私を覗き見る。


「もちろんですよ」

 顔を包み込むように、そっと旦那様の顔に手をそえる。


「……もちろん。私も旦那様が大好きです」


「……ありがとう」


 添えた手に体を預けるように目を閉じた旦那様は、そう答えると、ゆっくりと瞳を開け、うっとりとするような笑顔で私を見た。青空のような目が、ふにゃりと細められて、私をまっすぐに見る。


 あまりにも真っ直ぐな視線に、つい恥ずかしくて顔を赤らめてしまう。


 子供相手にこんな、照れてしまうなんて。

 そう思うけれど、一度熱を持った頬はなかなか冷めてくれない。顔に風を送りたいけれど、仰ぐための両手は旦那様に捕まって、動かせない。そっと手を外そうとするも、強い力で阻まれた。


 ニコニコとする旦那様が「もう少しだけ」と甘えた声を出した。

 私には弟などはいないけれど、もしも弟がいたらこんな感じなのかもしれない。ニコニコと微笑まれ甘えた声で強請られたら、拒否できそうにもない。

 とことん甘やかしてしまいそうな予感が胸を掠める。



「僕も、ベリルみたいな奥さんが欲しいな」

「え?」

「おかしい?未来じゃなくて、今がいいなぁ……君とは、なんでだろう……離れたくないって思うんだ。今日始めて会ったのに、おかしいよね?」

「きゃ、」

「離れたくないんだ」

 ぎゅっと抱きしめるその体は、大人の旦那様よりも一回り小さく細い。

 その手が回され、力強く抱きしめられた。

 奥さん。

 お姉ちゃん、じゃないくて、奥さん。


 体の大きさも、年齢も違うのに、その抱きしめ方はぎこちなく、それなのに力強い。


 それは見た目が違っていてもしっかり旦那様で。ついドキドキと胸が大きな音を立てる。赤かった顔がさらに熱を持って、ついには恥ずかしさで目に涙が浮かぶ。心臓の音があまりにも大きくて、旦那様聞こえているのではと考えると、余計に早く、大きな音になる。


「あの、旦那様」

「いいな、君の『旦那』は」 

 チラリとこちらを覗き見る顔は、とろけたように青い目をきらりと光らせこちらを見つめている。甘い視線に焼けてしまいそうだ。

「離れたくないな」

 掠れた声が耳の端で聞こえて、ゾクゾクと背筋に変な感覚が走る。こんな旦那様は知らない。


 そっと、優しく頬に手が添えられて、慌てて何か言わなくては、と顔をあげれば、ぼんっという音と、金の粉が雨のように舞い、目の前の幼かった少年がいつもの旦那様に戻っていた。


 金の粉の隙間から、旦那様の真っ赤になった顔が見える。


 旦那様が、赤い顔のまま声にならない声をあげる。


「うわ、うわうわわ」

「どうしました?」

「ぁ、うぅ……全部、覚えてる……」

 蚊の鳴くような声だがなんとか搾り出した旦那様は、抱きついた体勢のまま体重をかけて私の肩口に顔を埋めた。


「ベリル……君……はぁ」

「? 可愛かったですよ、旦那様。小さな頃は甘えん坊なんですね」


 最後の、私が変な感じになってしまったことは内緒だ。恥ずかしくて口に出せない。出さないと自分に誓う。


「ベリル、君『僕』のこと完全に子供だと思っていたが」

「? はい」

「いや、いい」

「?」

「本当、僕の居ないところで男と会わないでほしいよ……子供でも」

「え、でも、子供ですよ?彼も旦那様でしたし……とっても、素直で可愛かったです」

「……ううう」


 きゅう、と肩口に顔を埋めた旦那様は唸るような、悩むような声を上げた。

 ふわふわと光る妖精のわーいわーいなんて声があちこちから聞こえた気がした。

 妖精に貰った宝石は、もう輝きを失っていて、透明になってしまった。こうなれば、ただの石だ。


 旦那様は疲れたように項垂れて、「二度とごめんだよ」と言っていたが、私はなんだか旦那様の違う顔も見れたようで、こんな日も悪くないな、なんて思ったのだ。











 自室のベッドに横になると、今日の出来事が頭の中で、クリアに、実にリアルに思い返されてくる。触れた肌、触られた手、頬。抱きしめた体。

 あれは確実に、子供の僕もベリルが好きだった。どうせ未来で自分の妻なんだから、と言う邪な考えまで、手に取るようにわかる。どうにかして、今の自分の妻にもできないか、そんな思考が読み取れる。

 彼女の言葉が、態度が、あの頃の僕にとっても特別だったんだろう。

 さすが僕。何歳になっても好みは同じなようだ。

 結局のところ、いつ出会っても、何度でも僕は彼女に夢中になってしまうらしい。


 そして罪な事に彼女は、子供に甘い。

 彼女が拒否しないのを良いことに、弱い顔をして抱きしめて、彼女の体の柔らかさを堪能していた少年の僕が頭をよぎる。


 くそ、あのスケベなガキめ。

 僕か。

 くそ。

 子供の頃の自分にまで嫉妬するなんて情けない。


 全然引いてくれない熱に、また恥ずかしさが襲い、ベッドの中で顔を覆った。



 



お読みいただきありがとうございます!

番外編いかがでしたでしょうか?

楽しんでいただけましたら幸いです!

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