35 愛が近付く
何百人と入れそうな大きな空間の部屋は、天井が高く、大きなシャンデリアがいくつもぶら下がっている。それらが宝石であるのか、ガラス玉であるのかはわからないが、どちらにしても大きく巨大で豪奢な事に違いは無い。
ガラスの加工は宝石の加工と比べてても安価であり、ガラスの価格ももちろん宝石とは大きく価格に差が出る。
これほどの大きさと数、しかも鎖で繋がれた雫型の塊はかなりの数がくっついている。そしてこの距離で見るものならガラス一択だろうな、と勝手に憶測する。
王様の住まいに呼ばれる、なんていう体験、一生する事は無いだろうと思っていた。
未だ夢心地で、緊張も解けていない。
力を抜いて、と言われてもどうしようもなく、肩の力は抜ける事はなかった。
場慣れや経験が乏しい自分にはゆったりする、なんて無理な話だなぁと心の中で呟く。
同じように緊張していた騎士団の人達も、今ではお酒が入って賑やかだ。
至る所で『かんぱーい』と楽しげな声が聞こえてくる。
騎士団は元々和気藹々としているのか和やかな雰囲気に包まれていて、見ているだけで楽しげなのが伝わってくる。
レオンさんとベルさんは2人して用意された食事を料理長に教えてあげなくてはと食べに行ってあれやこれやと話しているのが見え、つい笑みが浮かんでしまう。
賑やかな円卓から少し離れて、部屋の片隅に身を寄せる。私はやはりこれが落ち着く。
そこから見える景色は華やかで、部屋も人も良く見えた。
「ベリル」
「あ、はい、旦那様」
「すまない、1人にしてしまって」
「いいえ! シャンデリアも、机も椅子も、装飾品が一つ一つとても美しくて眺めておりました」
「ベリルらしいな」
「ふふ、旦那様もアーノルド様とトム様に捕まっておられましたね。抜け出して来たんですか?」
「ああ、困ったよ。気を抜いたら酒に溺れてしまう」
「ふふ、旦那様らしいです」
ワッと歓声が上がるのが聞こえると、その中心はアーノルド様とトム様が居た。
騎士団の騎士達に次々にお酒を注いではグラスをぶつけ合っている。
それを見て旦那様は困ったように微笑んだ。
今日は前回の夜会の時のように髪は後ろに流してあるので、困った表情が良く見えた。
「こんな素晴らしい場所にご招待を受けるなんて、いくら人生が長くてもそうそう無いだろうなぁ……」
「……ベリル」
「ほほぉ、ここが気に入ったか?」
「殿下」
ニヤリと不敵な笑みを引き下げてゆったりとした歩みでやって来たのはクリスフォード殿下で、今日も眩しいばかりの麗しさで、気だるげながらもその立ち振る舞いは上品だ。
慌てて挨拶のために膝を曲げると、殿下が「待て待て」と小さく手あげた。
「いいいい。堅苦しいのは無しだ。ついでに言うと疲れている。礼儀よりも今は美しい夫人の笑みの方が癒されると言うものよ」
「ひゃ」
殿下が私の手を慣れた手つきで掬うと、その手の甲に軽く唇を当てた。驚いて手を引っ込めれば、くつくつと喉を鳴らすような笑い声が鳴る。
揶揄われている、と言うのは百も承知だが、やはり慣れない事をされると恥ずかしさと驚きで顔に熱が集まってしまう。
きっと今は顔は真っ赤なんだろう。
「クリス殿下……!」
「いや、ははは、すまない。なんせ、寝る間もなく働き詰めだったんだ、しばしの戯れに付き合ってくれ」
「……ベリルに手を出すのはやめていただきたい」
「ほぉ」
驚いたように殿下は目を見開いた。
金の瞳がキラリとひかる。
やがて優しい光を宿した瞳が、緩んだ。
その瞬間、いつでもキリリとした顔立ちが、くしゃりと緩み、少年のような無邪気な笑顔が返って来た。
「なんだ、そうか、ははっ良かった」
「何がそうか、ですか…いてっ」
豪快に笑った殿下は、パシンっと旦那様の大きな背中を叩くと、「俺は疲れた。先に失礼しよう。夫人、この部屋が気に入ったと言うならばいつでも招き入れよう、住んでもかまわんぞ」と言い残し、返事をする間もなく手を振りながら、カツカツと靴裏を鳴らして部屋を出て行った。
少しだけムッとした旦那様に首を傾げながら殿下を視線だけで見送る。
「……では帰ろうか」
「え、旦那様は皆さんとお話は宜しいのですか?」
「騎士団の飲み方は豪快だから、ついていけないよ、ほら」
「……わぁ」
旦那様が指差した方を向けば、ガシャーンと食器をぶつけ合い、とうとう瓶や樽から直接葡萄酒を飲み始めるアーノルド様やトム様が見えた。
他の騎士団の人もそれに続いて樽に直接コップを入れて飲み始めている。ついには脱ぎ出そうとする者まで現れ始めた。
「ね。クリス殿下が帰ったのだから、もう後は好きに帰れと言う合図だよ。彼なりに気を使ってくれたのだろう」
本当に疲れていたのかもしれないけどね、と言う旦那様の言葉に頷く。
流石の気遣いだと思う。
殿下の気の回し方はとても上手で、容易には気がつかせてくれない。
殿下は第二王子という身分にも関わらず、身を粉にする勢いで精力的に国に尽くしておられる様だった。その証拠に、騎士団の方から聞こえてくる会話では、指揮を取った殿下への賛美で溢れている。
「彼は第一王子であるライアン王子が国外に居るから、国王となられるその時までに憂いを払おうとされていると聞いたよ。非常に優秀だから、騎士達からも良く慕われているね」
「そうなのですね……」
納得するものがあった。
国を愛しているのだろう。
その心遣いは、いつだって国のために働いているものに贈られている。
「ベリル」
「はい、旦那様」
大きな手が、そっと目の前に出される。
そこに手を乗せると、殿下の時とは違い、ソワソワしたり、違和感なんてものはない。
むしろ。
そろりと視線を上げれば、柔らかな笑顔が私を見つめていた。
「帰ろうか、僕らの家に」
「はい、喜んで」
◇
静かな廊下を歩いて、薄暗い道を抜けて行く。
いつもと変わらない毎日が始まる。
変わらないと思っていた毎日が、ある日突然変わったその日からやって来た『毎日』
扉を開いて、暗くジメジメした道を、奥にある噴水の水の音を目指して辿れば、ふわりと光の塊が目の前を浮遊する。この家の精霊だ。
「この屋敷には精霊が住んでいる。とても大事なものなんだ。この家にとっても、もちろんそうだし、この国にとっても重要だ。宝石が取れない国もあるのだから」
「はい」
「ベリル、君だから、精霊も、僕も、この家のものは受け入れた。それは君だったからだ」
「?」
「多くの者は、この家の秘密を知るとそれを自分の物にしたがるんだ。領主として、領地に使うのならいいがそれだけでは収まらない者も過去には多く居たそうだ。この家系は呪われていると言ってもいい。君の姉君が言ったように、吸血ハズレ領主とはよく言ったものだ。まさに血を絶やす悪魔に魅入られている役柄だよ。宝石の力は恐ろしいよ。心の中にいる小さな怪獣にとってはご馳走なんだ。わかるかい?」
姉の姿を思い出す。宝石に魅入られ、お金に魅入られ、地位に縋り付く美しいひと。心を怪獣に食い尽くされた可哀想な人。
同じように、運命を共にしたお父様とお母様も。誰もが些細なきっかけで脆く、崩れてしまう。
宝石は人を美しくもするし、醜くもする。
「だけど君は違った。この土地を愛してくれて、守ろうとしてくれた。純粋に宝石を愛して、その価値が正しく扱われることを願っている」
「旦那様……私にとってもここはどんな場所よりも素敵な場所なんです。私こそ、魅入られているのかもしれません……。私はこの仕事を、旦那様の妻でありたいと、そう願ってしまいました」
「呪われた吸血領主でハズレの辺境領主だが、僕はこの土地を愛している。僕たちは揃ってこの土地に魅了されてしまったのかもしれないね」
「はい……私はこの土地を愛しております。愛して行くことを誓います。旦那様を……愛しております」
「僕も……君を愛している。僕と本当の夫婦になって欲しい」
「はい、もちろん、喜んで……!」
ふわふわと光が溢れる洞窟の真ん中でそっと旦那様の影が、顔にかかる。
髪の隙間から見える青い瞳が、今までにないほど近くでキラリと光った。
旦那様の髪が、肌に触れて、それだけでドキドキと心臓が高鳴る。
旦那様の手が、優しく頬に触れて、唇に柔らかいものがふわりとぶつかった。
その心地よさにそっと瞳を閉じた。
数ある小説の中から、この小説を読んでくださりありがとうございます。
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