16 変身
「はいはい、旦那様ー!おはようございますー、お支度をいたしましょう」
コンコンと軽いノックで室内に入れば、今起きたところなのか、ベッドの上でぼんやりと上半身だけ起き上がったまま動かない旦那様の姿が目に入る。
いつからか伸ばされた前髪はボサボサだ。
しかし奥様が来てからというもの、旦那様がこうしてぼんやりと朝を過ごせるようになってきた。それもこれも、旦那様に自然と寄り添ってくれる奥様のおかげだ。
彼女は自分は授業員と言っているが、充分に奥様としての手腕を発揮されておられる。
まだまだ目が覚めきっていないらしい旦那様の元に近よれば、ふぁ、と大きな欠伸が一つ溢れた。眠たそうだが、今日はしっかりしてもらわなくてはならない。
「えぇ?まだ出発まで時間が十分にあると思うが」
「足りません足りません。旦那様、あなたには今日は変身して頂かないといけませんので」
「へ、変身…?」
ゴクリと旦那様の喉が鳴る音が聞こえた。一体何を想像しているのやら。部屋に太陽の光を入れるために、カーテンを引っ張れば、もう高く登った太陽の光が部屋にたっぷりと入ってくる。
うん。いい天気だ。天気がいいと気分もいい。晴れの日は好きだ。この屋敷は森にも岩場にも囲まれているのでなかなか日が入り難いが、今日は珍しくいい光が入ってきている。
「今日ばかりは、頑張ってくださいね」
腰につけたホルダーから、ぴ、っと鉄の塊を引っ張り抜くと、旦那様から「ひ」と小さく声が漏れた。
うん。今日ばかりは、頑張ってもらおう。
◇
時間はあっという間に過ぎて、出発の時間を迎えていた。
すう、と胸いっぱいの空気を吸い込めば、ちょっとだけそわそわとした気持ちは落ち着いたが、それでもなんだか落ち着かない。
身に纏ったドレスもそうだが、いつもはしない化粧も、装飾品も、全てが緊張する要素の一つとなっているのだから仕方がない。
鏡に映った自分を見れば、なんだか別の人がそこに居るようで、気後れしてしまう。
いつもは一つに縛っているだけの髪の毛も、ベルの丁寧な手入れによって艶やかに輝いていてまるで銀の糸のようだ。
耳には大粒の青い宝石が輝いていて、シンプルであるが贅沢な品物だ。
動くたびにキラリと光るサファイアの透明度は、その美しさを存分に発揮している。
「奥様、参りましょう。きっと旦那様、喜ばれます」
「そう、だといいわ」
私は今まで容姿で褒められたことなんてなかった。だから、あまり期待はしてはいけない。自分が傷つくのはもう十分に経験済みだ。自信を持つ、なんてどうしたって最後の一歩が難しい。
それでも、ベルさんが、そして旦那様がせっかく私のために用意してくださったのだ。
ベルさんに深く頷いて、部屋を出る。長い廊下を進めば、玄関ホールへ繋がる大きな扉が現れる。玄関からの出入りは正直このお屋敷に来て住み始めてからというもの、これが初めてだということを思い出す。
深く息を吸い込めば、ほんの少し肩の力を抜くことができた。耳で揺れる宝石の重さを妙に感じる。首筋にあたる冷たい鎖がシャリ、と音を立てた。耳を彩るサファイアと同じものが首元にも揺れているのが目に入る。
キィ、と扉が開かれると、そこにはレオンさんと、もう1人男の人が立っていた。
ピシリと整えられた黒のスーツに、私のドレスとお揃いの色のスカーフ。胸元には大きなサファイアのブローチが付けられている。
「旦那、様……?」
気恥ずかしげに下を向いていた顔が、すい、と上がると、大きく見開いた美しい青い目と視線がぶつかった。
いつだって長い前髪で覆い隠されていた顔は想像していたよりも随分と美しく、うっとりとしてしまう程の美丈夫がそこにいた。
「あ、ベリル……とても、その、綺麗だ。ドレスも着てくれたんだね。嬉しいよ」
「はい、もちろんです。私なんかにこんな素晴らしいドレスと装飾品をありがとうございます」
「ちょっと、アピールし過ぎたかな……?」
「? はい?」
「あ、いや……、なんでもないよ」
青い瞳が、こちらを捉えると、ふわりと微笑んだ。
普段と違う髪型で、顔が見えていると言ってもいつもの旦那様と同じでホッとする。
髪の毛は後ろに流していて、いつもの優しげな雰囲気はあっという間に紳士な貴族のそれだ。涼やかでいて、華のある姿にドキリとしてしまうが、会話をすれば姿は変わっていてもいつもの旦那様が帰ってくる。それがなんだかとても贅沢な気がして、やっぱりドキドキと心臓はうるさくなってしまう。
旦那様の瞳と、同じ色のドレスを身に纏っていて、なんだかお揃いのようで少し嬉しい、なんて旦那様に言ったら、喜んでくれるだろうか?それとも怒られてしまうだろうか。
数ある小説の中から、この小説を読んでくださりありがとうございます。
旦那様ヴァンの大変身回です
せっかくなので今度イラストも載せれたら良いなぁと思っております。
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楽しんでいただけましたら幸いでございます!
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