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14準備準備準備-2




 食事をするダイニングルームの隣に配置された執務室に入ると、小さな暖炉の中でパチリと薪が爆ぜた。

 驚くことにこの部屋は書物が壁一面覆い尽くしている。

 

 書類の整理も手伝うようになり、いつの間にか旦那様の机に向かい合うようにくっつけられた自分用の机に腰を下ろすと、書きかけの書類に手をつけた。


 明日には仕事を一旦止めて夜会への支度をしなくてはいけない。

 今のうちに出荷用の宝石と、献上用の宝石を分けて用意しなくてはならない。


 まさかこんな大仕事を生きているうちにすることが出来るなんて。小さな箱に傷がつかないように綿と布を敷き詰め、そこに丁寧にしまっておいたピンクの塊を取り出す。市場では滅多に見る機会のない、ピンクダイヤモンドだ。

 5cmもの大きさのそれは、価値を知っているものにはなかなか冷や汗ものだ。ちょっと指が震えてしまった。


「旦那様、第二王子に献上するものは、この大粒のピンクダイヤモンドで問題ありませんか?」


「......うん、ああ。申し分ないよ。よろしく頼む」


 ワンテンポ遅れて帰ってきた返事は、彼の忙しさを表しているようだった。


 書類の整理に追われている旦那様は、テーブルに向かって書物に齧り付いている。なんといっても明日までには整理をつけないといけないのだ。


 部屋の中でカリカリとペンが走り回る音が忙しなく鳴る。


 その姿を見て、つい、「ふふ」と声が溢れ(こぼれ)てしまった。


「ん?えっもしかして僕、何か変な独り言でも言っていた?」

「いいえ、ごめんなさい。そうじゃなくて」

「?」


 一瞬間首を上げた旦那様は、こてん、と首を傾げると、また視線は机に戻っていく。


 それを見届けて、インクが垂れないようにペンを置く。コトリ、と音が鳴りペンを置くようの皿の中でコロンコロンと左右に揺れている。


「変だと思わないでくださいね。......その、幸せだな、と思って......」


 少し口に出すのは恥ずかしいが、そう、幸せだな、と感じたのだ。なんだか言葉にしてしまったら無くなってしまわないかと心配になるくらい。


 それくらい、この空間が。この空気が愛おしく感じた。


「......君は、変わってるんだね」


 いつのまにか顔をあげた旦那様は心底驚いたようにそう言った。


「そうかもしれません」

「働くことが好き?」

「はい」


 その通り。しかし、少しだけ違う。


「一緒に働くことができて、嬉しいんです」


 心から思う言葉だった。

 嘘はない。

 贅沢がしたいとは思わない。

 着飾りたいともあまり。


 旦那様が言っていた、「欲しいものはないか」という言葉を考える。友人が欲しかった。

 一緒に、暮らしているという実感のある時間も欲しかった。

 笑い合える家族が欲しかった。


 欲しいと強請ってもらったものではないけれど。

 それが今叶っている。


 これを幸せと言わずなんと言えばいいのだろう。


「だから、幸せなんです」


 

 心から、声が出た。自分でも驚くほどの穏やかな声だった。

 

 そう言えば旦那様はピシリと固まったかと思えば、あっという間に顔が真っ赤に染まっていった。赤面し、まるで茹で上がったように、ペンを持つ手、さらに指の先まで赤くなっている。


「かっ......!」


 突如、パカっと口が開いたかと思うと、言葉が引っかかったようにポロリと飛び出した。


 か?



 ————コンコンコン


 静かな部屋に扉を叩く音が響く。


「旦那様、お部屋に通しても構いませんか?」


 未だ旦那様は口を開いたままだが、目の前で手を振ってみるも動く様子もない。


 仕方なく扉を開くと、ニコニコしたベルさんが入ってきた。何故かすごく気合いが入っている。

 ムン、と胸の前で握った両手も腕捲りされていてやる気がみなぎっている。


「お支度いたしましょう!奥様!」


「し、支度?なんの?」


「ふっふっふ......明日の夜会に決まっております!女の支度は日々のお手入れ、そして前日の仕上げなのですよ!ささ、参りましょう!」


「え、ちょ」


 まだ旦那様がお仕事を終わるのを見届けていないのに......!

 旦那様に助けを求めて視線を寄越せば、旦那様は机に項垂れながらも、こちらに向かってヒラヒラと手を振った。


「楽しみにしているよ」


「!」


 ふにゃりとした笑顔が飛んできて、今度は私の方まで顔が熱くなってくる。

 ベルさんのにこやかな顔とぶつかり、もうなんでもしてくれという気分だ。





 パタン、と閉じた扉の向こうでは、ベルの楽しげな声と、ベリルの戸惑った声が聞こえている。

扉から離れていくために、その賑やかな声はどんどんと小さくなっていく。

 

 ベリルの愛らしい笑顔に、思わず心の声が大音量で漏れ出しそうになった。参った......。


 はぁ、と自分の顔を両の手のひらで覆えば、ひんやりと頬を冷たく冷やしてくれる。


「一体どれほど熱くなってたんだ、僕の顔......」


 頭を冷やすべく、明日には必ず終わっていなくてはならない書類。それに向かい合うも、頭の中に浮かんでくるのは先ほどのベリルの顔ばかり。


 文字を書くにも、たった数文字すらかき消されてしまう。


 全くもって集中できなかった。



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