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8 まさか、死体?


「旦那様、私を雇う件、考えて頂けましたか?」


「......」


 旦那様がはカチンと固まり、こちらを見るとす、と目を離した。いや、今日も今日とて、私からは目は見えていないのだけど。


「旦那様はこんなに朝早くに起きてらっしゃるのですね。これから私も一緒に朝食をいただいてもよろしいでしょうか?」


 時刻は早朝の6時。

 何故か旦那様の服は何故か泥で汚れている。

 まだまだ日も登っておらず、お散歩の時間には早すぎる。

 これは何か仕事をした証拠だろう。


「ああ、かまわないけど」


「よかったです。1週間ぶりにお顔が見れましたから」


「ああ......」


 そう。1週間だ。

 私は初めてこのお屋敷に来て、初めて旦那様となるヴァン・アトランド様のお顔とお名前を知った。


 それから1週間。


 まさかの7日間も会わないなんてことあるだろうか。普通はない。夫婦になって7日間も顔を合わせないなんて。


「お仕事でいつもの事だと聞いていました。ですが、心配いたしました」

「......そうか、すまない、心配をかけたね」


 ふ、と旦那様の口元から笑みが漏れる。

 些細な変化ではあるが、唇が弧を描くのが見えた。生家では謝られる事も微笑みかけられる事も随分となかったので、なんだか胸の中に暖かい物がポッと灯るような気がしてくすぐったい気持ちになる。



 ストンと、旦那様は席に座ると、美しい動作で熱々の紅茶を口に含むと、疲れたようにはぁ、とため息混じりの息を吐き出した。


 少し丸まった背中は大きな体を少しばかり小さく見せている。


 後ろに控えたベルをチラリと見れば、目をきらめかせて、興奮したように、むん、と胸を膨らませていた。ベルと目が合うと、大袈裟なくらい頷いて、手に持った焼きたてのパンを旦那様のお皿に置いた。


 ふわりと香るのは小麦の香ばしい香りと甘い匂い。


 ——よかった。ちゃんと美味しそうな香り。


 旦那様にお出ししても恥ずかしくはない出来に、ホッとする。


 随分と疲れた様子で、お皿に乗ったパンを一つ手に取った。手に取った瞬間、旦那様は微かに首を傾げた。


「......?あれ、今日のパンはなんだかずっしりしてるな......それに」


 旦那様が手に取ったパンを真ん中から二つに割った。しかし、思いの外力を入れなくてはいかず、その事にも驚いていた。


「!とても美味しい......外の皮はパリパリして水分が少ないが中は弾力があり、水分も多い。これはすごく腹持ちが良さそうだ」


「ふふ、気に入りましたか?」

「ああ!この辺りではあまり無い食べ物だが、誰がこれを?ベルかい?」


「いいえ、旦那様。私です」


「ベリル嬢が......?レシピを」


「レシピもそうですが、自分で作ったんです」


「えっ! そうなのかい?ベリル嬢は料理が上手なんだな。すごくもちもちとして好きな食感と味だよ。一体何が入ってるんだい?」


「ありがとうございます。茹でて潰したイモを入れています。それでもちもちとするんです」


「そうか。パサパサとしているのがイモかとばかり思っていたが、このようになるんだな」


 旦那様があまりにも美味しそうに食べるので、 つい嬉しくてくすくすと笑ってしまった。


「こんな朝早くにわざわざ準備してくれたんだね、ありがとう」


「いえ、そんな。私の生家ではこれが普通でしたので、苦ではありません。旦那様が美味しそうに食べてくれるだけで本当に嬉しいんです」


「へぇ、こんな美味しいならご家族も喜ばれただろう」


「......両親や、お姉様は、砂糖も入っていないし、貧乏くさいとあまり好きではなかったようで......食べないまま捨てられておりました......」


「そんな、なんて酷い......!」


「ああ、いえ。それは私がいただいていましたので……気にはなりませんでした。ゴミにはならずよかったです。勿体無いですし」


「しかし......ベリル嬢は......さぞ傷ついた事だろう」


 旦那様がじっとこちらを見ているのがわかる何かを堪えるようにグッと唇を強く噛み締めている。


 静かに首を振って、「いいえ」と答えれば、また沈黙が空気を重くした。


 元来貧乏性な自分の性格上、はしたないが食べながら作業のできるパンは非常に有難い食料の一つなので、こっそり拾って職場に持って行っていた。


 最近では、夜会からふらりと朝帰ってくる事もある家族達は、朝食の存在に気が付いてはいないかもしれない。


 

 お皿の上にポツンと置かれたパンを見る。

 目を伏せれば、昔の記憶の残像が瞼の裏に映り込む。


 気にならない、と言うよりかは気にならなくなった、が正解なのかもしれない。


「もう何も」

「......」

「いつからか、お姉様もお父様もお母様も私を使用人のように扱うようになりましたから」


 お姉様のように華やかでもないし、夜会での立ち回りも、話題にもついていけない。誰からも選ばれない働くしか能がないハズレ。それが私だ。

 最近ではついに働くのも上手く立ち回れず、旦那様には申し訳ない言い方になるが、こうして売られたわけだ。


 しっかり傷付いている。

 確かに私は傷付いている。

 

 でも。

 だから、どうかここでは役に立ちたい。

 こうして私を買う事を選んだ旦那様のお手伝いをしたいのだ。


 顔を上げれば、真剣そうな瞳がチラリと髪の隙間から見えた。


「うん......決めたよ......実はね、ベリル嬢が、数週間この屋敷に滞在してくれたら、それ以降は君を生家に返してあげようと思っていたんだ」


「え」


「僕が妻を迎え入れないと仕事にならなくてね」

「どういう......?」


 妻を迎え入れないと?

 わけがわからない。


「それでこの1週間かけて、君が帰れるように説得してたんだけど」


「......説得」


 説得とは誰かを納得させるように説明することだ。


 誰を?

 レオンさんを?

 ベルさんを?

 料理長を?


 私はまだこの屋敷の中でほんの数名しか見かけていない。まだ見ない誰かが居るんだろうか?



「君は、僕の秘密を知る気はあるかい?」


 私はゴクリ、と思わず喉を鳴らして頷いた。




________




「君が、従業員としてと言ってくれただろう?

それで、少し考えたんだ。」


「はい」


 食堂を出て、2人で長い廊下を歩く。

 ベルさんもレオンさんもいない。

 2人きりだ。




「その、僕には秘密があってね。ああ、さっきこれは言ったね。そのせいであんまり人を雇っていないんだ。不自由はないかい?」


「はい、妙に人が少ないと思っておりましたが......」


「すまないね」


「いいえ。元々生家では色々自分でやっていたので......」

「そうなの?」


 確かにそう思うのもわかる。

 それなりの家柄なので、使用人の1人や2人居るだろうと思ったのだろう。

 お姉様の浪費は相当なものなので、人を雇う余裕なんて我が家にはない。

 そんなこと、旦那様にわざわざ言うのも憚れるので、曖昧な顔で流しておいた。


「それで秘密とは一体なんでしょうか?」


「うん......ひとつ良いかい?結構汚れるんだが」


「……汚れる…? もしや......はっ......遺体?」


「うん? ごめん。もう一回いいかな」

「遺体をこう...」

「こわいよ!?しないしない。なんでそんな物騒なの?」

「......でしたら、私の血を吸う、とか?」

「ち、血ぃ? 違うよ!? 何故そんな想像を!?」


「......違うんですか?」

「ちがう!……んん、じゃあ、ついてきてくれるかい?」


 

 旦那様が手に持ったランタンだけが、暗い道を照らす光となっている。

 日は登っているのに、ここには日の光は入ってこない。じっとりとした空間に、ただ2人分の足音だけがカツンカツンと音を立てる。


 会話がなければ不安になるような廊下に、自分で言った発言をきっかけによくない想像が駆け巡りブルリと背筋が震えた。


 薄暗い廊下の先には、石造りの壁に囲まれた先に現れたのはポツンと木製の扉がぼんやり暗闇に浮かび上がった。




数ある小説の中から、この小説を読んでくださりありがとうございます。

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