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最後の手紙  作者: いちごのショートケーキ
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後編

 私は、義兄がハンスから託された手紙を開いた。


 そこには、愛する妻に向けたあの手紙と同じ優しく温かみのある文字が綴られていた。



『 若い看守さんへ 

  何度も私のことを助けてくれてありがとう。君がショシャナへの手紙を届けると伝えてくれた時は本当に嬉しかった。君に出会うまで、ドイツ人はみんな悪魔だと思っていたよ。でも、君は違っていた。本当は直接お礼を言いたかったが、私は明後日に別の収容所に移されることになった。君ともショシャナとも遠く離れることになるのは残念だが、私は強く生きていこうと思っている。

  私は愛するショシャナと再会するまで絶対に生き抜いてみせる!辛い労働も、理不尽な暴力も、毎日がどんなに苦しくても、私は明日を信じて生き続けるよ。どんなに遠く離れていても私とショシャナは心で繋がっている。私とショシャナの愛を奪うことは誰にもできないんだ!

  彼女がそばにいなくても、彼女の写真が一枚もなくても、目を閉じるといつも彼女の優しく微笑んだ顔が浮かんでくるんだ。ショシャナは生きている。絶対に生きている!毎晩、寝る前に心の中で彼女に呼びかけるんだ。そうするとショシャナから返事が返ってくるんだ。だから、君に託したあの手紙はもう必要ないよ。君がもし、手紙のことを気に病んでいたら悪いと思ってね。

  今まで本当にありがとう。君に出会えて良かった。ショシャナは若い頃から身体が弱かったから、私達夫婦は子どもは諦めてしまった。もし、私達に子どもがいたら君のような心の優しい息子が欲しかったな。                                             ハンスより 』





 私は、ハンスからの手紙を読み終えると、震える手で手紙を握りしめながら嗚咽した。


 ショシャナは、もう死んでしまっている…!


 だがハンスは、ショシャナが生きていると信じている。


 ハンスは、彼女と再会することを夢見て、生きているんだ!


 だから、私達からどんなに酷い仕打ちを受けても――あの冷たい雨の中を裸で何時間も立たされ続けても、必死に生きようとしていたんだ。


 ハンスが雨に打たれ続けて、朦朧とした意識の中で必死に生きようとしていた時に、私はすぐに彼を助けなかった…。


 我が身可愛さに、彼を見捨てようとさえした!!



 私は、優しい人間なんかではない!!! 


 私は、妻を深く愛するひとりの男性を、ただユダヤ人というだけで差別し、虐げていたんだ。


 なぜ、彼のような善良な人間がこんな酷い仕打ちを受け続けているんだ…!?



 ハンスは、ここではない別の収容所に送られてしまった…。

 

 

 私は、もう彼を助けることはできないのか…!? 

 


 私は、次々に溢れて来る感情を抑えきれずにベッドの上で声を上げて泣いた。

 


「――オイ!?ジーク!大丈夫か?」



 突然、自分の名前を呼ばれて私は我に返った。 


 涙で濡れた瞳で見上げると、数人の看守仲間たちが私のベッドの前に駆け寄っていた。


 私の名前を呼んだのは、いつも私のことを「新入り」と呼んでいたあの粗暴な看守だった。


「お前の意識が戻ったって聞いたから、みんなでお前の見舞いに来たんだよ!そしたら、部屋の前に来たらお前の泣く声が聞こえたからよー!オイ、大丈夫かよ?どっか痛むのか?」


 粗暴な看守は、心配そうな顔で私に詰め寄ると私の両肩を掴んで揺さぶった。


「落ち着けよ、ベン。ジークは、さっき意識が戻ったばっかりなんだよ。お前の馬鹿力で、ジークをまたおねんねさせる気か?」


 もう一人の看守が私の肩を掴んでいたベンの手を払いのけながら、呆れたような口調で言った。


「うるせぇ!でも、本当に大丈夫かよ?大の男が声上げて泣くなんて、よっぽどのことだろ?医者を呼んで来てやろうか?」


 ベンは、囚人を痛めつけている時とは別人のように、本気で私の体調を気遣っているようで彼にしては優しい口調で言った。


「いえ…!医者を呼ばなくても大丈夫です。泣いてたのは体調のことではなくて…そのぉ…」


 私は返答に困ってしまった。


 まさか、囚人から貰った手紙を読んで泣いていたと本当のことを言うわけにもいかないし…。


 もう成人している男である私が、女子どものように声を上げて泣いていたのを同年代の同僚達に見られたことが恥ずかしかった。

 

「そりゃあ、三日三晩意識がなかった奴が、急に意識が戻ったばっかりなんだ。まだ心身ともに動揺してるんだろう?――みんな、そろそろお暇しよう。俺達が騒いでいたらジークがゆっくり休めない。ジーク、大勢で押しかけて悪かったな。」


 同僚の中で最年長の看守が皆に部屋から出て行くように促した。


「ジーク、お大事にな!」


「仕事のことは、俺達に任せてゆっくり休めよ。」


「何か欲しいものがあったら何でも言えよ。すぐ持って来てやるからな。」


 皆は、病室から出て行く前に私に一言ずつ労わりの言葉を掛けてくれた。



 彼らは、3日前には、降りしきる雨の中に立たせた囚人達の生死で賭け事をしていた。


 

 皆誰しも他者を思いやる優しい心を持っているのに、どうして人種や立場が違うだけで、こうも残酷になれるのだろうか?


 今、皆が私の体調を気遣ってくれたように、その優しさをたとえ僅かでも囚人達に向けることはできないのだろうか?


 私は、ハンスから貰った手紙を大切に元の4つ折りに折りたたむと、軍帽の中に仕舞った。



 まずは、私から変わらなければならない。

 

 もう二度と、罪のない人々が傷つけられないために()から変わるんだ。


 すぐに今の現状を変えることは、できないかもしれないが…。


 少しずつでも、囚人達への労働環境の改善していき、看守達からの理不尽な仕打ちや暴力から彼らを守るんだ。


 私は今日まで多くの囚人達を虐げ、時にはその命までもを奪ってきた。


 ここで私が犯した罪は、決して許されることではない…。


 これからは、その償いのためにも、ここで多くの命を救いたい。



 私は、ベッドの中で決心した。


  

―――けれでも、私の犯してきた罪は、そんなことくらいでは到底許されないものだった。






♦♦♦




 

 数日後、病院での療養を終えて現場に復帰する予定だったその日の朝に、私の義兄の訃報が飛び込んできた。


 義兄は、収容所の囚人に紛れ込んでいた連合軍側のスパイと通じていた罪で処刑された。



 義兄は、収容所で囚人達に行ってきた人体実験のデータを連合軍側のスパイに託し、そのスパイの脱走の手引きをしたそうだ。



 義兄は…義兄(にい)さんは、最期まで医者として、人として正しくあろうとしたんだ…。



 義兄さんは、自分の犯した過ちを清算しようとしただけだ。



 なぜ、義兄さんが死ななければならないんだ!?


 優秀な医師の義兄さんが生きていれば、もっと多くの人の命を救えるのに…!!



 姉さんは、どうなるんだ…!?


 こんな形で最愛の夫に先立たれて…



 これも僕の犯してきた罪への代償なのか!?



 ハンスからショシャナを奪ったように、姉さんから義兄さんを奪ったのか!? 


 

 

 もしも、神様が本当にいるのなら…どうか、もう僕の愛する人たちを傷つけないでください。



 罰は、僕自身にお与えてください。


 


 神様、どうかお願いします。



 


――私は、ひたすら神に祈るしかなかった。自らがしてきたことを棚に上げて…それでも、もう誰も死んでほしくない。もう誰も傷つけたくない、誰の命も奪いたくない…。


 




 

♦♦♦ 

 

 

 



 義兄の死の悲しみが癒える間もなく、私は戦いの最前線へと送られることとなった。


 国家反逆罪で処刑された義兄の親族である私を戦地へ送ることで、国家に敵対した者がどうなるのか見せしめにするためだった。




 戦地へと向かう汽車の中で私は、姉に最後の手紙を書いた。

  





『  親愛なる姉アンナへ


  姉さん、僕は収容所で罪のないたくさんの人々を虐げ傷つけてきました。僕が収容所で行ってきた過ちは、別紙に全て書き出しました。年老いた母さんには、あまりにもショッキングな内容なので、姉さんに託します。とても読むに堪えない内容ですが、そこに書いたことは全て事実であり、僕が犯した過ちは後世に伝えていかなければならないものだと思います。

  僕は、これから戦いの最前線に行きます。義兄さんが亡くなる前に、一度会った時「戦況はかなり悪い」と言っていました。僕は、もう生きて姉さんと母さんのところへ帰ることはできないかもしれません。

  それでも、僕は国と愛する人々を守るために最後まで戦います。平和を愛し、家族を愛し、最期まで人として正しく生きようとした義兄さんのように…。

  姉さん、どうか母さんに伝えてください。僕を産み、父さんの分まで必死に働いて僕を育ててくれてありがとう。何も親孝行ができなかったのが心残りです。身体に気をつけて、長生きしてください。

  姉さん、僕が大学まで行けたのは貴方のおかげです。本当にありがとう。こんな過酷な時代だけれど、どうか、どうか幸せに生きてください。姉さんが幸せでいることは、義兄さんの願いでもあります。最後に、母さんをよろしくお願いします。さようなら。


                             ジークより  』




 書き終えた2枚の便箋を私は白い封筒に入れて封をし、着ていたコートの内側のポケットに仕舞い、その上から厚い布を当ててしっかりと縫い付けた。

  

 この手紙は、内容が内容だけに、軍の検閲を通らないことは明らかだったからだ。


 運が良ければ、私が戦死した後、このコートが遺品として姉の元に届くだろう。

  

   


 


 汽車の窓から見える空は、どんよりと曇っていた。


 あの収容所で見上げた空と同じ色をしていたが、私は空一面を覆う灰色の雲の上に、どこまでも澄みわたる青い空と眩しく光る太陽が見えた。

  











                     ―『最後の手紙』【完】―

  


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