母の日とカーネーション
柴野いずみさま主催の『母の日のカーネーション企画』参加作品です。
皆さまごきげんよう、ひだまりのねこですにゃあ。
5月の第二週の日曜日は母の日ですね。
今日は意外と知られていない母の日のあれこれ。
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現行の母の日の起源は、1908年、アンナ・ジャービスが、亡き母の大好きだった白いカーネーション500本を贈ったことがきっかけとされています。
アンナの母、アン・リーブス・ジャービスは、南北戦争時代の女性で、17年間に13人もの子を生み育てたのですが、当時は衛生状態が悪く、2~3割の新生児は1歳の誕生日を迎えられなかった時代。
アンも例外ではなく、13人のうち9人を幼くして亡くしています。
五人目の子が生まれる一時間前に最愛の長女を亡くし、長女の生まれ変わりと信じて愛をそそいだ子もすぐにはしかで亡くすという悲劇を味わったりもしました。
どれほどの苦しみだったか、私には想像すらできません。
アンは、南北戦争の最中、妊婦と子どもたちの衛生状態を改善するために、医師だった弟の協力を得て母親による組織を立ち上げ、同時に戦争による負傷者の手当てと看病を敵味方の区別なく行いました。
そんな彼女には一つの目標がありました。
それは一日で良いから母親たちが何もしなくて良い日を作るというもの。
残念ながらアンの存命中には叶いませんでしたが、娘のアンナはそのことを記憶していたのでしょう。
亡き母の残した組織の集会に500本の白いカーネーションを寄贈し、会員にその花を身に付けることを提案したのです。
白いカーネーションは、母が好きだったというだけではなく、その白さが清らかさを、その形が美しさを、その香りが優しさを表しているとアンナ自身が考えていたからでもありました。
また、カーネーションは花びらを散らさないことから、決して枯れることのない母性愛を重ねたのだと本人が後に語っています。
だから本来、母の日のカーネーションは白だったのです。
アンナの素朴な願いとは裏腹に、母の日活動は爆発的な勢いで全米に広がり、1914年には合衆国の正式な祝日となります。
花屋は嬉しい悲鳴でどんどん商業化が加速、1908年当時、わずか二分の一セントだったカーネーションはわずか4年で30倍にまで高騰します。
さらには白いカーネーションの供給が追い付かず、業界は亡き母へは白いカーネーション、存命の母にはピンクのカーネーションを贈りましょうとキャンペーンを始めたのです。
アンナはこの行き過ぎた商業化の流れと勝手な解釈の変更に反発し、その生涯をかけて闘いましたが、過熱は収まるどころか、世界中に広がりもはや彼女にはどうすることも出来なかったのです。
母の日の創始者とされているアンナの想いは複雑でしょうね。
彼女は生涯独身でありましたから、母の日を祝われることは無かったのです。
日本における母の日は1910年にはすでに新聞などで報道はされていたようですが、行事として初めて行ったのは、1913年、青山学院のマイラ・E・ドレーパー女史です。
その後、ファニー・G・ウィルソン女史が母の日運動を継承し、財界著名人に働き掛けた結果、1932年に母の日が日本における正式な行事として認められました。
とはいえ。これはあくまでもキリスト教系の組織で祝うに留まっていたもので、母の日を全国行事にまで普及させたのは森永製菓です。
1937年、森永製菓は、母の日を普及させるべく全国の取扱販売店を通じてキャンペーンを展開。
申し出ればもれなく招待券がもらえて、招待券には電車の乗車券、豊島園の入場券の引換券、森永のお菓子の引換券、牛乳などが当たる福引券が付いているという大盤振る舞いだったそうです。
5月8、9日に行われた豊島園のイベントには、両日で20万人の母親たちが参加したのだとか。
森永製菓の母の日イベントは全国各地に広がり、年々大規模になっていきましたが、開戦によって中止に追い込まれてしまいます。
たらればですが、もし戦争が無かったら、母の日はお菓子を贈ったり遊園地に行く日になっていたかもしれませんね。
戦後、アメリカ式の母の日が定着しましたが、学校において母親がいない生徒の花色が違うというのは、周囲と違うことを嫌う日本の文化には馴染まなかったのでしょう。
商業的に赤い方が見栄えがするという理由も手伝って、日本の母の日のカーネーションは赤が定番となりました。
オーストラリアでは母の日には白い菊を贈るそうですが、花の種類は違えど、本来の母の日のスタイルを考えるとこちらの方がオリジナルに近いのかもしれませんね。
最近では様々な色のカーネーションが選べるようになりましたが、黄色いカーネーションだけは花言葉が「軽蔑」「嫉妬」なので避けた方が良いでしょう。
ちなみに花言葉のように花に意味を込めて贈る習慣は17世紀にトルコからヨーロッパに広まったとされています。
また、ブーケは日本語で「花束」と訳されますが、厳密には少し違いがあることをご存知ですか?
ブーケとは本来それだけで独立完成しているもので、自立可能でそのまま飾っておくことを想定していますが、日本の花束は、持ち帰って生け花にすることを想定しているので、茎は長く残し、文字通りシンプルに束ねただけのものなのです。
もしこれからカーネーションを買うという方がいらっしゃいましたら、少しだけ母の日の歴史に想いを馳せてみてください。
オリジナルの白も素敵ですし、定番の赤、ミステリアスな紫やブルーも良いですよね。
色だけではなくて、カーネーションにこだわる必要もないのです。
心のこもったメッセージは、きっとどんな花よりも喜ばれると思いますから。