エピローグ みんな生きていく 前編
エピローグです。
「サリーあがったぞ、一番左テーブルのヒゲのおじさんだ」
出来上がった料理を娘のサリーに渡す。
もうすぐ8歳になる娘は小走りで厨房に走って来た。
「分かった!」
娘は料理を受け取り、笑顔で店内に。
お気に入りの小さなエプロンを着たサリー、背中で括ったエプロン紐のリボンがなんとも可愛い。
「ありがとよ旦那、せっかく来て貰ったのにすまねえな』
「良いって事よ、休んだら材料がもったいないだろ」
厨房でクロードが申し訳無さそうに頭を下げた。
王都の俺達が住む家から馬車で10日、アントレの街で馭者だったクロードが食堂を再び始めたのは2年前。
一週間前、俺達家族はアリーの休暇に合わせクロード夫婦の営む食堂があるこの街を訪ねた。
クロードの妻、ミリアさんも腕の良い料理人で2人が作る料理は街でも評判との事だ。
しかし今朝方、俺達がクロードの店で朝食を食べようと訪ねるとミリアさんは激しい嘔吐に見舞われていた。
おろおろするクロード、もちろん俺と娘のサリーもだ。
医師であるアリーは取り乱す事無くミリアさんを冷静に診察すると、
『この辺りに診療所はありますか?
確認をしておきたいの』
そう言って二人、店を出ていった。
昼になっても二人は戻って来ない。
客は次々やって来る。
店を休もうとするクロードに俺も手伝うからと言って営業を続けさせた。
「サリーちゃん、これは真ん中のテーブルだぜ」
クロードもサリーに料理を渡す。
店にはもう1人給仕の人間が居るのだがサリーが可愛いんだろう。
「うん!馭者のおじちゃん」
「サリー、馭者のおじちゃんじゃない、クロードさんだ」
「だってパパとママいつも言ってるじゃない、馭者の人は恩人だって」
「はは、構わねえよ馭者のおじちゃんで」
おおらかに笑うクロード。
奴もサリーが可愛くって仕方ないんだろう。
前妻と子供を戦災で亡くしている奴の気持ちが痛い程分かった。
「すまんクロードさん」
「よしてくれ、俺も旦那をアレックスさんって呼ばなきゃならなくなっちまう」
「そりゃ大変だ」
少しおどけて手を振るとクロードの目が僅かに滲んでいた。
こうして昼の忙しい時間は過ぎて行った。
「嬢ちゃんと旦那の間にこんな娘がね」
店が一段落し、給仕の人間は一旦帰る。
店内に腰を降ろし休憩しているとクロードがポツリと溢した。
「ああ、お前のお陰だ」
「それを言うなら俺の方こそだ。
旦那と嬢ちゃんが居なければ今の俺は居ねえ」
綺麗な調理服に身を包んだクロードは意外にも俺より一つ年下だった。
10年前、王都に戻った俺達は馭者だったクロードに手紙を送った。
もっとも宛先は分からないのでアンテスの港町の案内所にだった。
幸いにも手紙はクロードの手に届いた。
内容は俺とアリーの結婚。
そして王都で暮らし始めた事、俺は流しの料理人として働き始めた事等だった。
何度か手紙をやり取りした俺とクロード。
2年前、クロードはアンテスを離れ生まれ故郷のアントレに戻り店をもう一度と始めたいと手紙が来た。
[人生をやり直したい]
そう書かれた手紙にクロードの強い決意が伝わった。
アントレに戻ったクロードは地元で1人の女と知り合った。
同じく店を始めようとしていたその人は、子供が出来ず夫から離婚を言い渡された女だった。
二人にどんなやり取りがあったか知らない。
結果、二人は夫婦になり店を始めた。
そんなクロードに会うため、俺とアリーは娘を連れ会いに来たんだ。
「旦那は店をもうやらねえのかい?」
クロードは汗をぬぐいながら尋ねた。
「なかなか踏ん切りが着かねえんだよ」
軽く答える。
店を再びやりたい気持ちはあるが、過去の苦い記憶になかなか踏ん切りがつかない俺だった。
「パパがお料理作ってる所、毎日見たいな」
「サリー...」
娘の言葉。
やはり娘の手前、定職に就いた方が良いのかもしれない。
「ただいま」
「ただいま戻りました」
アリーとミリアさんが店に戻って来た。
二人の表情は明るい、どうやら深刻な病気じゃなかったみたいだ。
「おうお帰り、どうだった?」
「ほら、ミリアさん」
クロードの言葉にアリーがミリアさんを促す。
何を言うんだろう?
「クロード...あの私...出来ちゃったみたい」
「出来たってお前...」
「...赤ちゃん」
「本当か?」
「まさか40歳を過ぎてこんな...」
それは意外な言葉だった。
ミリアさんに子供が?
って事はクロードの子供だ。
確かクロードは今年50になるはずだ。
こりゃクロードはこれから大変だな。
「ママ、どこに赤ちゃん居るの?」
「ここよ、ミリアさんのお腹の中に居るの」
「へ~」
「わ、私の赤ちゃんが...」
「良かったなクロード」
呆然とするクロードの肩に手を置く。
みるみる涙が流れ出す。
俺まで貰い泣きしそうになった。
「おめでとうクロードさん」
「...旦那、俺ゃ夢を見てるんじゃ」
「夢じゃねえよ、夢なんかじゃ」
8年前アリーの妊娠が分かった時を思い出し、涙が堪えられない。
「うっぷ!」
突然ミリアさんが口を抑え便所に走る。
つまり、そう言う事だ。
「大丈夫よ、ゆっくりね」
ミリアさんの後でアリーが優しく背中を撫でている。
そういえばアリーも悪阻が大変だったな。
「おばちゃん、どうしたの?」
「お腹に赤ちゃんがいると、しばらく気分が悪くなったりするんだ」
サリーに教えてやる。
まだ7歳の娘にはどうしてミリアさんが苦しそうにしてるか分からないだろう。
「...大丈夫かな」
心配そうなクロード。
気持ちは分かる、何しろミリアさんは高齢出産だ。
「大丈夫よ、少ししたら落ち着くから。
私だってサリーが生まれる前はそうだったんだから」
「しばらくミリアさん抜きで大変だな」
「店は誰か雇えば何とかなるんだが」
クロードの心配は違う所にあるのか?
「どうした、何か心配事か?」
「明日の結婚式がな」
「結婚式?」
「俺達が店を始める時に世話してくれた商工会幹部の娘さんがな、結婚するんで料理を頼まれていたんだよ」
新たに店をやるとなれば地元に溶け込まないといけない。
特に商工会の人間と友好な関係は不可欠だ。
「だ、大丈夫よクロード...私は...ップ」
青白い顔のミリアさんだが、再び便所に駆け込む。
その様子はどうみても、
「...無理だな」
「ああ、とてもじゃねえが無理だ。
今から応援間に合うかな」
心配なんだろう。
応援と言ってもまだ店を始めて2年しか
経っていない。
どんな人が来てくれるか分からないし。
「何人だ?」
クロードに尋ねる。
アリーは俺の意図が分かった様だ。
「出席者だよ、何人分作るんだ?」
「旦那まさか」
驚いた表情のクロードに頷く。
親友の窮地を放っとけない。
「明日の帰る馬車は夕方まで来ねえし。
アリー、良いか?」
「もちろんですよ、サリー良いわね?」
「うん!」
微笑む2人、本当に良くできた家族だ。
「すまねえ」
「すみません」
「良いって事よ」
頭を下げる2人。
こんな事くらいなんて事ないさ。
夜の営業が終わり、アリーとサリーは宿に戻る。
俺は店に残り、クロードから結婚式の料理に関する紙を受けとった。
庭でのパーティー。
簡易のキッチンを作り、天幕で囲う、よくあるスタイルだ。
「へえ、新婦は商工会の職員で、出張先で新郎と出会ったのか」
紙にはなぜか新郎新婦の情報まで書き込まれている。
細かな情報だが、目が離せない。
何しろ大切な祝いの席で料理するのは久々だ。
「結婚後は新郎の町で暮らすのか、そりゃ新婦側は気合いが入るな」
商工会の幹部の娘が遠方に嫁ぐ。
寂しさはあるだろうな。
俺なら大反対だ。
誰がサリーを他所にやるものか...
「旦那」
「すまん」
知らぬ間に目が殺気立っていた様だ、クロードの声で我に返った。
「全く、新婦がサリーちゃんじゃなくて良かったぜ」
「全くだ、新郎は命拾いだな」
軽口を叩きながら、ふと新郎の情報に目を落とした。
「...なんだと」
「どうしたんだい?」
「いや、そんなまさか?」
続いて新郎の家族の名前に目をやる。
「こんな事が...」
新郎の両親、その名前に目が眩む。
まさかこんな運命が待っていたなんて。
「どうしたんだい旦那」
「女房とガキの名前だ」
「女房とガキ?
それってまさか...」
唖然とするクロード、俺がどうして前の家族と別れたか知っているので当然だろう。
「...ああ、別れた息子の結婚式だ」
俺は声を絞り出した。