第4話 いいんですか? 後編
「どうぞ此方に」
しばらくすると先程のメイドが戻って来た。
彼女の案内で私達は屋敷内に入る。
懐かしい庭にユーリと遊んだ記憶が甦った。
「あんな奴に客かよ?」
庭に居た一番大きな子供が吐き捨てた。
あんな奴って、この子はいったい誰の事を?
「な、なんだよ」
「アレックスさん」
アレックスさんが子供の前に立つ。
何も言わず、ただ子供を見つめていた。
「...この子達はバラバラだな」
アレックスさんの呟いた言葉の意味が分からない。
「フードを被って下さい」
「分かった」
とにかくフードで顔を隠して貰う。
子供達に泣かれては面倒だ。
屋敷内をしばらく歩いていると、扉の前で固まる男性が居た。
間違いない、ユーリだ。
「ア...アリー」
目を泳がせ私の名を呼ぶユーリ。
恋人だった男の声、今は不快感しかない。
「お久し振りですね。
お元気そうでなによりです」
感情を抑え事務的に頭を下げる。
自分でも驚く程、頭は冷えていた。
「あ、ああ...君も元気そうでなによりだ」
私の様子に面食らったのか、ユーリは後退さる。
なんて情けないんだ、その表情は怯えの色が浮かんでいた。
「では奥様の薬を」
メイドが手を差し出す。
なんのつもりだ?
ここまで案内しておいて、なぜ此処で?
「お待ち下さい、先ずは奥様の状態を確認してからです」
「スベルダの?」
当たり前の事なのに、ユーリは益々狼狽えた。
「この薬は処方を間違えますと危険な物、安易に服用させてはいけません」
「命に関わると」
危険を説明するとメイドが代わりに答える。
その様子に違和感を感じた。
「...分かった、こっちだ」
ユーリが話を止め、扉のノブに手をかける。
メイドと余り話をさせたく無いのか。
「ところで貴様は誰だ?」
扉の前でユーリがアレックスさんに尋ねる。
彼に今まで気づかなかったの?
「彼は私の護衛です」
「護衛?」
「はい、私を護る為に王都から此処まで来て下さりました」
「そうなのか?」
咄嗟に出た嘘。
でも本当の事を話したらアレックスさんが追い出されてしまう。
(アレックスさん、話を合わせて!)
心で叫んだ。
「はい、アリー様に忠誠を」
「ここは私室だアリーだけで良い、お前はここで待ってろ」
「そうは行きません、主を護るのが護衛の役目。
何かあっては申し訳が立ちません」
「わ、分かった」
彼は話を合わせてくれた。
アレックスさんの睨みにユーリが折れる...嬉しい。
「失礼します」
扉をノックして部屋の中に。
広い室内の真ん中に大きなベッドと豪華な椅子が置かれ1人の男が座っていた。
「どちら様かな?」
椅子から立ち上がる男。
口髭を生やし、片眼鏡、年の頃はアレックスさんと変わらない40過ぎ位かな?
もっともアレックスさんの歳は知らないけど。
服装は一応医師の格好だが、どこかおかしい。
10年以上、大勢の医師を見てきた経験がそう告げていた。
「アグネル、彼女は王都から薬を届けに来てくれたんだ」
「そうでしたか、早く薬を」
ユーリの言葉に手を差し出すアグネル。
こいつまで薬って、医師なら先に患者の説明をするだろ?
「待って下さい、先ずは診察を」
話にならない、とにかく診察からだ。
ベッドの上には苦しそうに息をする女性が身体を横たえているのだから。
「そんな物は必要ない!
このアグネルの診断に間違い等...」
アグネルはベッドの前で立ち塞がる。
いったいなんなの?
「退け」
「グワ!」
アレックスさんが軽く腕を振るとアグネルの身体が床に転がった。
「失礼します奥様」
自分の鞄から聴診器を取り出す。
やっと診察が出来る。
「...あ、貴女は」
苦しそうなスベルダは元の風貌が分からない程窶れ果てていた。
「アリーと申します。
王都で王立救護院の医務長を務めております」
「...アリーが?そんな...」
「...本物?」
「...医者だったのか」
ようやく名乗る事が出来た。
アレックスさんの驚いた声に、彼が何を想像したのか考えると少し楽しい。
「や、止めて...触らないで」
「死にたいのですか?」
寝間着を脱がそうとするとスベルダが身体を捩る。
そんなに裸を見られたく無いの?
こっちは必要だから見てるだけなんだけど。
「何処に行く?」
「ギェェェ!」
後ろでアレックスさんとアグネルの声がする。
なにやってるか大体想像が着いた。
「...わ、私助かるの?」
一応の診察を終え、スベルダの寝間着を戻す。
最初にスベルダを見た時から想像した通りの病気だった。
「さあ?」
消毒薬で拭き取った手を軽く上げ、首を振る。
「だって性病なんか私の専門外だもの」
「な!?」
「...嘘よユーリ...」
スベルダは苦しい息をしながらユーリの方を見る。
けど仕方ないわね、本当の事だもの。
ついでに、
「あと、そこのペテン師も同じ性病ね、男と女で進行速度が違うけど、おそらく同じ頃に感染してるわ」
どっちが先に感染させたか興味ない。
しかしアグネルはスベルダが性病だと分からなかったのか?
いや、自分の性病にも気づかない馬鹿だ。
知識も無いのに医師を騙るとは、ペテン師として三流ね。
「まあ私は専門外だから、一応他の医者にも診て貰ったら?」
「糞!!てめえら!」
アグネルが叫ぶと覆面をした数人の男達が部屋に入って来た。
「まずいな」
男達を見ながらアレックスさんが呟いた。
「おそらく傭兵崩れだ」
と、いう事はアレックスさんと同じなのか。
金で雇われ、戦場から戦場を渡り歩いて来た人間。
彼等の獰猛さは救護所で患者達から沢山聞いた。
そんな人達が私とアレックスさんを取り囲んでいる...
嫌な汗が背中を濡らした。
「...アレックスさん」
「大丈夫だ、お前だけは命に代えても守ってやるさ」
静かに剣を構え直すアレックスさんは頭のフードを取り去った。
「あ、あんたは...」
1人の男がアレックスさんを見て固まった。
「俺だよ、カールスだアレックス」
男は覆面を脱ぎながら剣を収めた。
何が起きたの?
「カールス?」
「本当だ!アレックスさんだ!」
他の男達も覆面を脱ぎ去る。
どうやら顔見知りだったのか。
「久し振りだな」
アレックスさんも剣を収める。
部屋に充満していた異様な空気が消え失せて行った。
「おい貴様等!早く殺せ!殺すんだ!!」
「やかましい!契約は終わりだ!!」
叫ぶアグネルを1人の男が殴りつける。
壁まで吹き飛ばされたアグネルは動かなくなったが気を失っただけの様だ。
恐怖の余りスベルダも気を失う。
静かで良いわ。
「5年振りだな、アレックス。
女房とガキに会えたか?」
カールスさん、今何を言ったの。
...アレックスさんに奥様と子供が?
余りの衝撃に声が出ない。
「ああ...みんな、家族5人元気にやってたよ」
「5人?」
「おい確かアレックスに子供は1人って...」
「止めろ余計な事を口を叩くな!!
すまねえアレックス」
「良いんだよ」
アレックスさんと男達の会話を呆然としながら聞いていた。
昔救護所でよく聞いた話。
戦場から戻ると、恋人は既に人妻だったり、妻は別の男と再婚していたり。
アレックスさんもだったのか。
だから最初に会ったアレックスさんはあんな暗い目を...
「アレックスまたな」
「ああ、生きていればな」
男達が部屋を出ていく。
私はアレックスさんの背中をただみつめていた。
「ユーリとか言ったな」
アレックスさんはユーリに呟いた。
「ああ」
「よく子供達の顔を見た方が良いぞ」
まさか?
あの子供達はユーリの子供じゃないの?
「薄々は気づいていたんだ...
親から無理矢理スベルダを押し付けられて...直ぐに子供が...」
部屋の隅で膝を抱え呟くユーリ。
隣でメイドが背中を擦る。
つまり2人はそんな関係なのね。
「アリーに手紙をどうして書かなかった?」
「書こうと思ったさ!
たけど見張られてたんだ!
アリーから手紙が来てたのを知ったのだって随分経ってからだ」
なんて勝手な言いぐさなの。
「書こうと思えば書けただろうが!
無理矢理戦場に立たされた訳でも、知らねえ土地で見捨てられた訳でもねえだろうが!」
ユーリを怒鳴るアレックスさんの声は震えていた。
これ以上彼を傷つける事は出来ない。
「ユーリ」
「...アリー」
「これからどうするつもり?」
「どうにもならんさ、スベルダが死んだら次の領主は息子が継ぐだけさ」
項垂れたユーリが首を振る。
ユーリにとって他人の子。
しかしスベルダがユーリの妻である以上子供はユーリの子供として扱われる。
次期当主としてか。
「この薬でスベルダを殺すつもりだったのね」
ユーリからの手紙で持ってきた薬。
これは大量に飲むと死に到る危険な物だった。
「アグネルが偽医者だと気づいていたさ。
適当に話すとホイホイ乗ってきてな」
「それでアグネルに罪を擦りつけるつもりだった、そうなのね?」
「...あくまで、この薬が必要と言ったのはアグネル。
スベルダが死ねば誤診でアグネルも裁ける...
一石二鳥だと思ったんだ」
なんて馬鹿な男。
こんな穴だらけの企みなんか成功すると思ったの?
「子供に次期当主を譲って町を去るつもりだった。
ローランと誰も知らない場所で...」
馬鹿の呟きは続く。
操り人形から逃げようとした自分勝手で浅はかな男の呟きが。
「親を見棄ててか?」
「...アレックス」
「仕方なかったんだ、俺に助けられる訳が無いだろ」
「つくづく腑抜けだな」
心底呆れた様子のアレックスさん。
こんな茶番劇は終わりにしよう。
「はい」
私は鞄から瓶を取り出しユーリに渡した。
「これは?」
「毒薬よ。
どうせ失敗して、生きていても仕方ないとか思ってるんでしょ?」
「...そんな」
絶望した顔のユーリに反吐か出る。
「お金でも渡すと思った?」
ビクっとしたわね、図星か。
「甘えないで!!
こんな男の為に、本当馬鹿みたい」
本当に馬鹿みたい、こんな奴に振り回されて死のうだなんて。
「アリー」
優しく私の肩を抱くアレックス。
彼が居なければ私は間違いなく...
「...アレックス」
彼に身体を預け私達は扉に向かう。
もう二度とユーリと、アクシスの町にも帰る事は無いだろう。
「ローランって言ったわね」
瓶を握り、肩を震わせるユーリを後ろから抱き締める女に声を掛けた。
「...はい」
「本気なの?」
ローランは静かに頷いた。
「そう」
懐から封筒を取り出しローランのポケットに押し込む。
中には1万ボリバル紙幣が100枚入っている。
長く生活は出来ないが、この町から逃げるには充分な金額だろう。
「好きに使いなさい、貴女はまだ若いわ。
人生を無駄にしちゃ駄目よ」
「...アリー様」
「私が言えるのはそれだけ」
振り返らず屋敷を出る。
後は2人次第、私が知った事では無いだろう。
「あの2人、毒薬を飲むかもしれんぞ」
アレックスさんが呟いた。
「飲めば良いのよ」
「おい」
驚いた表情ね、分かるけど。
「大丈夫よ、中身は睡眠薬だから。
一番弱いね」
「え?」
「また盗まれたら危ないから、瓶の中身を入れ換えといたの」
ネタばらしにアレックスさんが笑う。
やっぱり彼の笑顔は素敵だ。
「これからどうするつもりだ」
「王都に帰るわ、仕事は辞めた訳じゃないし」
救護所は休職願いにしていた。
「そうだな、それが良い」
「アレックスさんはどうするの」
「俺か?」
アレックスさんに一番聞きたかった事。
彼はこれからどうするんだろう。
「まだ傭兵を続けるつもり?」
「...いや、俺も年だからな」
顎に手をやりながら考えるアレックスさん。
その姿を見ながら彼への愛しさを確信していた。
「ゆっくり考えましょ」
「そうだな、とりあえずサントス港に行くか」
サントス港はアクシスから歩いて半日で行ける距離。
今なら夜には着く。
もう決めた!
アレックスさんと一緒になるんだ!
「あの!」
強い決意を込めてアレックスさんを呼んだ。
「どうした?」
ダメ緊張で声が出ない!
顔に血が登り口が乾く。
「一緒に行くか?」
少しはにかむアレックスさん。
ちゃんと伝わったの?
「いいんですか?一生ですよ?」
「もちろんだアリー」
「アレックス!!」
大きく手を広げるアレックスさんの胸に私は飛び込んだ。