第2話 悲しい目をした男
私はベネズ王国の辺境の町、アクシスで生まれた。
両親は代々の名主を務めており、恋人のユーリは領主の跡取り息子。
同い年で幼馴染みの私達はこのまま何もなければ夫婦となり、穏やかな人生を送るはずだった。
事態が変わったのは11年前。
私が17歳の時に飢饉が町を襲った。
作物は枯れ、食料は底を着いた。
名主である実家は民に備蓄の食料を出した。
しかし到底足りる物では無い。
飢え死にする民が相次ぎ、身売される娘達まで出た。
領主は国に窮状を訴えた。
しかし当時の王国は他国と戦争の最中、辺境の町の事は捨て置かれた。
『アリー、すまない』
領主様夫婦と両親が私に頭を下げた。
ついに私まで町を去る事になったのだ。
身売りでは無い、王都の貴族家にメイド奉公。
領主と家族に前払いで給金が支払われた。
『...5年か』
雇用期間は5年。
帰郷は許されず、最低限の生活しか保証されない生活と聞き、不安で胸が押し潰されそうだった。
『アリー絶対迎えに行くからな』
『待ってるわユーリ』
故郷を出る朝、恋人のユーリと交わした会話。
結局これが彼と交わした最後の会話になった。
王都に着いた私が連れて来られたのは小さな建物。
どうみても貴族の屋敷では無い。
中に入ると大勢の怪我人で溢れていた。
そこは傷病兵の救護所。
重傷者が戦場から運び来まれ、そこでの治療と介助が私の仕事と言われた。
『私はメイド奉公に来たんです!』
連れてきた男に叫んだ。
血だらけで呻く人間を前にどうして良いのか分からない。
治療といっても医学の知識なんか全く無かった。
『諦めな、もう契約は終わってるんだ』
男は一枚の契約書を見せた。
仕事の項目の[メイド奉公]が消され、[傷病兵の介助]と上書きされていた。
そして同意のサイン、そこに書かれていたのは、
『領主様....お父さんも』
身元保証人に書かれた恋人の父である領主と父のサイン。
私は騙されたのだ。
『まあ契約は5年だ、戦争が終われば傷病兵もこれ以上は増えねえだろうし、我慢しな』
少し気の毒そうに男は言った。
(5年、そう5年我慢すれば自由だ。
必ずユーリは迎えに来てくれる!)
気持ちを奮い起たせ、私は過酷な仕事に打ち込む覚悟を決めた。
『殺してくれ!』
ある男は叫んだ。
手足を失い、芋虫の様な身体で。
『痛えじゃねえか!』
またある男は包帯を換えている私をひっぱたく。
殺気立つ男は右腕を失い、恋人に婚約を破棄されたと聞いた。
『何をしてるんですか!!』
ある夜、1人で病室を巡回しているとベッドの上で自らの首をナイフで刺そうとしている男。
自殺を防ぐ為、施設には刃物の持ち込みを禁止している。
しかしどこからか手に入れ、自殺をする人が後を絶たない。
殆どは家族が差し入れるのだ。
それは厄介払いを意味していた。
『離しなさい!』
咄嗟にナイフを取り上げようとした私に男は抵抗する。
『離せ!死なしてくれ!』
『痛!』
ナイフが私の胸を掠め、辺りに飛び散る血飛沫。
幸いにも傷は胸だけで済んだが、私の乳房には横に一線の、生涯消えない傷跡が残ってしまった。
そして、もっとも辛かったのが、
『...ありがとよアリー』
『こちらこそ...』
治療の甲斐無く見送る事だった。
無力感に苛まれた。
一年経ってもユーリからの手紙は来なかった。
両親である領主が裏切ったにしても手紙くらいは書ける筈。
[ユーリへ...]
私は手紙を書いた。
僅かに支給される給金を貯めて何度も何度も。
[仕事を頑張ってます。
早く逢える日を楽しみにしております]
手紙に救護所で働いている事は書かなかった。
ユーリに心配を掛けたく無かったのだ。
ユーリから返事は来ない。
気づけば王都に来て5年が過ぎていた。
『アリー手紙よ、ユーリって人から』
「本当?』
仕事が終わり、部屋へ戻る私に寮母が言った。
手紙を受け取り、自室へと走った。
『...嘘』
手紙が零れ落ちる。
書かれていた内容はユーリの結婚。
相手は近隣に住む貴族の娘。
[妻が気を悪くするから手紙はもう書かないでくれ]
そう締め括られていた。
涙は出なかった。
なんとなく分かっていた。
救護所での生活で人間の醜さを観てきたんだ。
不思議な程、冷静に受け止めた。
翌年、6年に渡る戦争が終わり、年季も明けた私だが、引き続き救護所の仕事を続けた。
帰る故郷はもう無い。
結婚する気も起きない。
何より胸にこんな傷跡のある女なんか誰も相手にしないだろう。
一生独りで生きる覚悟は出来ていた。
気がつけば、故郷を離れ10年が過ぎていた。
『アリー様、お手紙が』
『ありがとう』
部下から受け取った手紙。
そこに書かれていた名前に息が詰まった。
『何を今更』
ユーリからだった。
破り棄てようとするが、出来ない。
混乱するまま、手紙の封を開けた。
『何よこれ...』
手紙の内容は金の無心と病気の妻の薬を頼む内容だった。
流行り病に倒れたユーリの妻。
[3人の子の母である妻を失う訳にはいかない。
薬が必要だ、王都なら手に入ると医師に聞いた。
高価な薬だが頼む。
薬は送るように、ここには帰らないでくれ、頼む]
余りの内容に目の前が真っ赤になる。
遣り場の無い怒りと絶望。
10年間抑え込んでいた感情が一気に噴き出した。
『お望み通り薬は持っていって上げるわ。
そしてお望み通り消えて上げる』
書かれていた薬と、もう1つの薬を手に入れ故郷に向かう船に乗る為、港に向かった。
『...しまった』
アクシスの町に向かうにはサントス港が近い。
しかしサントス行きの船は2日前に出たばかり。
次の船は10日後と書かれていた。
『出直すか』
諦めて料金所を出る。
全く何をやってるんだろう?
少し冷静さを取り戻した。
『失礼』
『すみません』
扉で1人の男性とぶつかる。
身体の大きな男。
腰に差した巨大な剣。
表情は見えないが醸す雰囲気は間違いなく兵士の物だった。
『アンテスまで』
男の言葉が耳に入った。
『ありがとよ』
男は乗船券を受け取ると料金所を出ていく。
その後ろ姿に何故か胸騒ぎを覚えた。
(間違いない、あの男は死ぬ気だ)
強い絶望、胸に抱えた闇を確信した。
『すみません、私もアンテスまで』
気がつけば私も乗船券を購入していた。
船内で私は男を見張った。
自殺でもされたら大変だ。
自分でも何をやってるか理解出ない。
自分自身が自殺を考えているのに。
『...おかしい』
旅が続くに連れて違和感を感じた。
男は一向に死なないのだ。
いや、死なないのは嬉しい。
しかしあの時男から感じた空気は纏ったままだ。
違和感はそれだけでは無かった。
『まただ』
気がつけば男が私を見ている。
決して嫌な視線では無い。
情欲では無い、愛おしむ様な視線に益々混乱した。
船は気づけばサントスの港に着いていた。
『良かった、どうやら杞憂だったみたい』
船を降りる男...彼に安心すると同時に大変な事に気づいた。
『アクシスへどうやって行ったら良いの?』
ここからサントス港まで行けば良いのは分かる。
しかし船がいつ来るか分からない。
辺りは夕闇が拡がり、不安な気持が私を襲った。
『あの...』
意を決し、彼に話掛ける。
背に腹は変えられない。
『なんだ...』
彼はぶっきらぼうに答える。
凄みのある顔だが、救護所の生活でもっと怖い顔を見てきた私には通じない。
『アクシスの町に行きたいのですが...』
『アクシス?』
意外そうだ。
私が怯まなかったので驚いている。
その後、案内所に向かう。
職員とやり取りをする様子に面倒見が良いのを知った。
『すみません宿を一緒に取りませんか?』
宿屋街で勇気を振り絞る。
1人で泊まるのが怖いのだ。
『生憎だが間に合ってる、他を当たりな』
『...すみませんでした』
どうやら盛大な勘違いをされた様だ。
恥ずかしさで顔が真っ赤になる。
急いでその場を後にした。
『泊まる宿を探してるみたいだな、良かったら紹介してやろうか?』
『え?』
1人の男が来た。
人の良さそうな笑みを浮かべている。
『結構です』
危険を感じ、男から離れた。
『まあ良いから』
強引に腕を捕まれ、近くの食堂に連れ込まれた。
店で一方的に喋る男。
次々と酒を呷る、その目は隠し様の無い情欲が浮かんでいた。
『失礼します』
男を残し。急いで店を出る。
怖くて堪らない。
『待てよ!宿を紹介してやるって言っただろ!』
路地裏に引き摺り込まれ、男の手が私の服を引き裂いた。
『約束が違います!』
咄嗟に胸を隠すが傷跡が晒されてしまった。
『うるさい騙しやがって!』
傷跡を見た男が叫ぶ。
『騙してなんか!』
一体何を騙したというのだ?
『黙れ初な面しやがって、とんでもねえアバズレが!』
激昂した男が私を締め上げる。
凄まじい力に息が出来ない、死を覚悟した。
『その辺にしておけ』
暗闇から聞こえた声。
間違いない、彼だ。
あっという間に彼は男を叩きのめした。
その後、彼と一緒に馬車に。
彼は旅なれていた。
隣に座る彼を見上げる。
ぶっきらぼうだが優しい目。
その中に深い悲しみがあるのは間違いなかった。