4)乾杯
「乾杯だ」
夜、酒瓶と盃を手に部屋に現れた男を、アルフレッドは満面の笑みで出迎えた。
「あぁ。ようやくだ」
アルフレッドの言葉に、上機嫌の男が続けた。
「偶然、娘の任だったから、見ていたそうだが。娘の話じゃ、ロバートは何も用意していなかったらしいぞ」
男の言葉に、アルフレッドは首を傾げた。
「何のことだ」
「本来、気を逸らしていた娘を叱るべきだったのだが。ロバートに呆れて叱り忘れてしまった」
男は肩をすくめた。
「ロバートは思いを告げるのに、手ぶらだったらしい。気が利かない子だ。花の一輪でも、それこそ、ジェームズに頼めば、かかえきれないくらいの花束を、喜んでこしらえてくれるだろうに。全く気が利かない」
男の言葉に、アルフレッドは笑いだしてしまった。
一度乾杯した後、気のおけない二人は、手酌でワインを楽しんでいた。
「ロバートらしいが、いやはや。本当にあの子は、ローズに関しては、一段と不器用になるね。普段の隙のなさは、どこへいったのやら」
「大半の女は、怒り出しそうなものだが、ローズは気にしていなかったらしい。娘が、ローズが寛大すぎて、申し訳ないと言っていたよ」
「ロバートらしいね。ロバート兄さんも、同じようなことをしそうだけれど」
アルフレッドが、ロバートと同じ名の故人のことを語れる相手は少ない。
「確かに。否定できないね」
男は笑った
「奥手なロバートが、頑張った。良いじゃないか」
「アルは、そうやって甘やかす」
「そっちが厳しすぎるだけだろうに」
アルフレッドの言葉に、男は黙ってしまった。
「あぁ、悪かった。確かにあの頃、他にどうしようもなかったのは、私も知っている。すまない。言い過ぎた」
二人の間を支配した沈黙など、僅かな間だったろう。だが、アルフレッドには居心地の悪い時が流れた。
「ロバートに関しては、そうだな。済まないと思うなら、アルからも言ってやってくれ。ロバートは私と私の子どもたちに遠慮している。そんな必要は無いというのに。アル。君の傍には立てない分、私は君の愚痴をきいてきた。たまには、私の愚痴をきいてくれ」
男は、真剣で、やや思いつめているかのようにも見えた。
「もちろん。たまには逆もないと、不公平だろう」
アルフレッドの言葉に、男は息を吐いた。
「懺悔かもしれない。ロバートがまだ、子供の頃、一度だけ、手を引いて歩いてやったことがある。一度だけだ。本当に一度しか無い。まだ小さな手が、恐る恐る私の手を握り返してきた。その後、私は二度とあの子の手を握ってやらなかった。あの子が私を見上げて、おずおずと手を伸ばしてきたことが一度だけある。私は手を取らなかった。あの子はそれ以降、誰かに手を握ってもらおうと、することはなかった。私は影を率いる立場で、あの子はいずれ、私達の長となる子だ。甘えなど許されないと思っていた。今では後悔している。本当に後悔している」
男はワインを一気に煽った。
「ロバートは、ローズの手を引いてやっているだろう。朝の身支度を手伝ってやり、できるだけそばにいてやっている。食事のときもそうだ。ロバートがあんな顔で笑うなんて、私は知らなかった。ロバートは、自分がして欲しかったことをローズにしてやっている。そう気付いたとき、私は自分を責めた。もう、取り返しがつかない。あの子の、ロバートの、子供時代は返ってこない。私達は奪ってしまった。アル。お願いだ。ロバートから、ローズを奪わないでやってくれ。私達は貴族でもない、権力もない。私など存在すらない。私達には、何もできない。頼む。お願いだ」
男の話は、懺悔から始まり、懇願になった。
「君に言われなくても、そのつもりはないよ」
アルフレッドは静かに答えた。
「あの子は不器用な子だ。追い込むようなことはやめてくれ。お願いだ。アレキサンダーか、ローズを選べと突きつけるような状況にはしないでくれ。あの子は選べない。いや、違う。選ぶだろう。この国のためには、国の民のためには、アレキサンダーを選ばねばならない。あの子は自分のすべきことを理解し、そのとおりに行動する。自分の心を殺して、アレキサンダーを選ぶだろう。あの子は、ずっと自分の心を押し殺して生きてきた。心が血の涙を流していても、ロバートは必要だと判断したら笑うことができる。そういうふうに私達は育ててしまった。私達、一族の選択のせいだ。アル、お願いだ。どうか、ロバートの心を壊さないでくれ」
男は、アルフレッドの言葉など、聞こえていないようだった。
男の懺悔と懇願は、アルフレッドが、胸に秘めていたはずの後悔と、不可能なはずの未来像を揺り動かした。
「君達一族のせいじゃない。私達のせいだ。私達の甘えが、君の一族を縛り付けてしまっている。君達は、そろそろ、始祖の呪縛から、逃れるべきだ。この国も変わり続けている。先祖の選択を、いつまでも守る必要はない。あるべき立場に戻るべきだ」
アルフレッドは、静かに目の前の男の失われた名を呼んだ。
「この国を、変えよう。君の一族は、本来あるべき立場に返り咲いていい」
アルフレッドの言葉に、男は首を振った。
「アル。この国には、影は必要だ」
「だが、君やロバートが、いつまでも犠牲を強いられるべきじゃない。君の子供たち、いずれ生まれてくるロバートとローズの子供たちが、この国のために犠牲になり続けるなんて、正しいと私には思えない」
男は首を振ると、盃を掲げた。
「乾杯しよう。アル。今日はめでたい日だ。この話で、めでたい日に水を差すのは良くない」
アルフレッドも盃を掲げた。
「乾杯だ。だが、私の意見は変わらないよ」
「無理だ。伝承だけで、証拠もなにもないのだから。私達の始祖の名を語っただけで、何も知らない者たちから、不敬と言われかねない。時が経ちすぎた。アル、君の言葉は理想でしか無い」
男の言葉に、アルフレッドはため息を吐いた。
「理想は大切だよ。私は、私とアレキサンダーが先祖代々、君とロバートの先祖を犠牲にしてきたことを正しいとは思わない」
「この国に、影が必要な限り、私達は私達であり続ける必要がある」
男は意見を変える気がないようだった。
「水掛け論だ。無駄だ。ほら、せっかくの祝だというのに。ワインがまずくなる。今日は祝いだ。ロバートと、あの小さなローズの幸せのために乾杯しよう。年齢不相応に大人で子供なあの子を相手に、ロバートは苦労しそうだが、それはそれで面白そうじゃないか」
「そうだね。ロバートはまるで、王家の姫のように、あの子を育てている。さすが、“王家の揺り籠”だ」
「随分古い呼び方をするね。アル。最近じゃ、新しい貴族が増えたから、ほとんどが私達を、家名なしの一族と揶揄するというのに」
「“揺り籠”の世話になったのは、息子だけではない。私もだからね」
アルフレッドの言葉に、男が笑った。
「懐かしいな。本当に、私達二人だけになるなんて、あの頃は思っていなかった」
「あぁ」
男の言葉に、アルフレッドも頷いた。
見守っていた人達のお話です。
幕間のお話にお付き合いいただきありがとうございました。
この後も、本編でお付き合いいただけましたら幸いです
5月21日から28日まで、10時に幕間を更新予定です。
第一章で登場した人のお話です。幕間もぜひ、お付き合いいただけましたら幸いです。