2)大切な時間を壊したくなかったのに
「来年も、その先も、涼しい時期は降ろした髪型にしてあげますよ」
ロバートの一言に、ローズは驚いた。
それはいけない。そんなことをしていたら、ロバートの妻となる人がどんなに優しい女性でも、嫌な気持ちになるだろう。子供だが、ローズも女なのだ。いくら優しいロバートでも、妻ではない女性に、優しくしすぎてはいけない。
優しいロバートは、優しすぎて、そんなこともわからないのだろうか。
ローズの大好きな優しい時間が終わってしまうのは悲しいけれど、誰かが言ってやらなければいけないのだ。そうでないと、ロバート自身の優しさが、ロバートと、彼の妻となる女性との幸せを壊してしまいかねない。
ローズは覚悟を決めた。
「お嫁さんをもらったら、ロバートは私の髪の毛を梳いたらいけないわ」
悲しかった。毎朝のロバートとの優しい幸せな時間を、自分で壊してしまうことになるが、ロバートには幸せな家庭を築いて欲しい。
「そんなことはありません」
そんなことはあるに決まっている。子供のローズでもわかることなのに、どうして大人のロバートはわからないのか。ロバートは賢いのに、どうして時々、こうも察しが悪いのだ。
「だめよ、だって」
どうしてローズが全部言ってやらねばならないのだ。泣きたかった。
「結婚するお相手はあなたが良いといったら、私を受け入れてくれますか」
あまりに驚いて、言おうとしていた言葉がどこかへいってしまった。ロバートの唇がそっと、ローズの目元に触れた。いつの間に、泣いていたのだろうか。泣いていたとしても、驚きのあまり、涙は引っ込んでしまっていた。
気付いたら、ローズは、言い訳めいたことを口走っていた。
「でも、だって、ロバートは、古いお家で」
「確かに歴史はありますが、使用人です。本家は私一人ですから、誰も文句をいいません」
「でも、お父さんがいるって」
「彼は分家の人間ですから、私とは無関係です」
「でも、私は孤児よ、悪い人が、親だって出てきたら」
「関係ありません。それにあなたの両親です。盗賊に悔い改めるように説得しようとして殺されたとか、貴族への諫言が過ぎて殺された家臣とか、その類しか思いつきませんが」
「でも、だって」
孤児のローズと、ロバートは、本来は住む世界が違う人なのだ。子供のローズよりも十歳以上年齢の離れた大人なのだ。
「私のことは嫌いですか」
優しいロバートを嫌いになどなれるわけがない。
「そんなことないわ」
「でしたら」
「でも」
いきなり、口をふさがれた。今まで頬や額への口づけはあったけれど、唇へのそれは一度もなかった。
驚いた。何がおこったのか、一瞬わからなかった。
「ローズ、待ちますから、私と結婚してください」
ロバートの宝石のような瞳に吸い込まれるようだった。
「でも、だって」
立場が違いすぎるのだ。歴史ある一族を継ぐのだから、ロバートはふさわしい人を、同じように歴史がある一族の女性を妻にもらうべきなのだ。
「ローズ、なぜ、何度も否定するのですか。私のことは」
ロバートの顔が歪んだ。
「兄でしか、ないですか」
泣きそうな声に聞こえた。
さっき纏めてくれたばかりの髪を、ロバートは簡単に解いてしまった。大きな手が、優しくローズの頭を撫で、指がゆっくりとローズの髪を梳いていく。大人のロバートの手は大きい。いつもなら安心できる大きな手は、今は、ローズが子供であることを突きつけるだけだった。
「だってまだ、多分だけど私は十三歳よ。ロバートは」
「二十四になりますね」
「十一歳も違うのよ」
突然、ロバートに抱き寄せられた。いつもは大きな腕に包まれると安心できた。でも今は、いつものように抱きしめてくれない。触れるか触れないかの際どい位置でロバートの腕は止まってしまっていた。
「ずっと、あなたの一番近くにいたつもりでした」
「欲張りすぎましたね」
「すみません」
「忘れてください」
ロバートの腕の中にいるから、顔が見えない。でも、声は泣いているかのようだった。すすり泣くような息遣いが聞こえた。
十代に察しが悪い(朴念仁)と認定されている二十代