1)いつか失くしてしまうもの
いつ頃からか、ローズは、ロバートの優しさが怖くなった。
ローズを見てくれる宝石のような綺麗な瞳が、ローズに向けてくれている笑顔が、ローズの手をとってくれる大きな手が、いつか別の誰かのものになる。その日がくるのが怖かった。
ロバートはアレキサンダーと同じ年齢だ。すでに結婚して子供がいてもおかしくないのだ。
ロバートはイサカの町で、アレキサンダーの名代として功績を立てた。それ以来、アレキサンダー宛に、ロバートとの縁談を申し込む手紙が執務室にはたくさん来ている。
その全てをアレキサンダーは、目を通すことすらせず、ロバートにも断ることなく、廃棄した。
「無駄な手間をかける暇はない」
最近は、アレキサンダーに許可をとる手間すら割かれることもない。全て廃棄だ。高級な紙に美しい文字で書いてある手紙達が、誰の目にも触れずに捨てられていく。一顧だにされない手紙たちが可哀想だった。だが、ロバートを手紙の誰かに取られないと思うと安心した。
綺麗な女性の絵姿が届けられたこともあった。
「絵など画家に金を積めばいいだけのことだ。どんな絵姿よりも美しいグレースを、妻にできた私は幸せだ」
「俺もメアリと結婚できて幸せです」
絵姿に目もくれず、書類そっちのけで、アレキサンダーとエドガーは惚気けた。
妻の素晴らしさを語り合う二人を、ロバートは無視し、淡々と仕事をしていた。
ロバートが艶やかな女性の絵姿に目を奪われないことに、ローズは安堵した。そんなことを思ってはいけないことくらい、本当はわかっていた。孤児のローズと、由緒ある一族の一員であるロバートは、本来、住む世界が違うのだ。
グレースにつかえていた侍女のエミリア、ケイト、スーザンには、何度も言われた。
「ロバート様は、貴族ではないけれど、歴史ある由緒ある一族の御長男なのよ。お前みたいな卑しい子など、本来なら口を利くことなどできない御方よ」
「孤児のくせに、ロバート様のお手を煩わせるなんて、図々しいのね」
「ロバート様の御父様は王宮侍従長を務めるような立派な方よ。お前みたいな孤児が、ロバート様のお手を煩わせていると知ったら、なんとおっしゃるかしらね」
他人に言われなくても、ロバートとの立場の違いなど、ローズも解っている。他人に言われると、余計に悲しかった。
「色仕掛けもできなさそうな貧相な体のくせに、何をどうやったのかしら。ほんと、いやらしい女狐ね」
色仕掛けなど、子供のローズにできるようなことではない。高級娼館の綺麗所のお姉さんたちと、ローズは全く違うのだ。そもそもロバートは、女性の色仕掛けなど通用する人ではない。
アルフレッドが、庭仕事をするジェームズを相手にこぼしていたほどだ。
「真面目なアリアの息子だから、まぁ当然なのだが、どうしてあぁまで堅物なのか」
「陛下、そりゃ、親父があれですよ。嫌にもなりますって」
「お前もそう思うか」
「アリアの嬢ちゃんが、可哀相です。不憫です」
庭仕事の手を止めないジェームズの言葉に、アルフレッドも頷いていた。
ロバートから、父親であるバーナードについては、ほとんど何も聞いたことがない。親子関係はあまり良いものではないことくらい、ローズにも想像はできた。仕事で立派であっても、家族にとって良い人とは限らない。
アレキサンダーの乳母でもあったロバートの母親が、アリアという名で、既に亡くなっていることを、ローズも知っている。亡くなってしまったのが優しい母親で、生きている父親のせいで可哀想な目に遭わされたらしい。
ロバートは、悲しいだろうに、そんな素振りもみせない。ロバートは、優しいだけでなく、強い人だとローズは思う。
優しいロバートには、優しい女性と結婚して幸せになってほしい。どんなに優しい女性でも、夫が、他の女性と親しかったら、あまり快くは思わないだろう。ローズのような子供でも、不愉快になるだろう。それくらい、ローズにもわかっていた。
ロバートは、親が誰かもわからないようなローズを、妹のようだといって可愛がってくれる優しい人だ。いつまでもその優しさに甘えていたらいけないことはわかっていた。甘えていてはいけないと思うが、具体的にどうしたらいいかなど、ローズにはわからなかった。
ロバートは、毎朝ローズの髪を、丁寧に梳いて整えてくれる。いつか終わってしまうけれど、ローズにとってはロバートとの大切な時間だった。
いつもと同じ朝、突然ロバートに告げられた一言に、ローズは驚いた。
情け容赦なく廃棄するのは、アレキサンダーなりの、ロバートとローズへの気遣いです。
廃棄された手紙は、サイモン(整理魔)が、救出しています。写字生達に、綺麗な文字のお手本として活用されています。