稲羽国
すずたちは、開けた場所に出た。
目の前には、天に向かってそびえたつ丸太の壁がカーブを描く様に並んでいる。
「うわぁ~!すごい!こんな森の中に!」
すずがテーマパークに連れてきてもらった子供の様にはしゃいだ。
「稲羽の国だよ」
「いなばの国?国!?これが?」
国と呼ぶにしては規模が小さくない!?と、すずは驚いた。
「うん。そう」
オオナムヂは、丸太の壁を穏やかな表情で見すえている。
「おお!さすがは、あきつしまの豪族だ!すげー壁だな!」
「これくらいやっとかないと、すぐに土蜘蛛に襲われたりしちゃうからね」
「なんか、穏やかじゃねえよな。オレ、なんでこんなところに来ちまったんだろ」
「今さら後悔したって、遅いだろ?」
オオナムヂは、ウサギを少しからかってから、丸太の壁を伝うように歩いて行った。
すずとウサギも後に続く。
カーブがついた壁沿いを進んで行くと、開いた部分に差し掛かる。国の入り口だ。
大男が二人同時に通れるほどの幅で、両側には、大男が一人ずつ、槍を携え仁王立ちしていた。
「えっ、こわ……」
見慣れない、物騒な光景にすずがひるむ。ウサギは、黙っていたがややすずの影に隠れた。
オオナムヂは、気にせず歩み寄り、体格差をものともせず堂々と男に何やら話している。
オオナムヂが短く話し終えると、男らは、槍を地面に置き、膝をついて2回礼、2回拍手をした後に再び1礼した。
顔を下げずに視線だけで見届けたオオナムヂは大男の礼が終わると、すぐに振り返りにっこり笑って「こっちにおいで」と手招きをした。
「や、やっぱり偉い人なんだ……」
「みたいだな」
すずとウサギは、大男たちが彼らよりも華奢なオオナムヂに頭を垂れつづける前を通り、少し遠慮がちにオオナムヂに続いた。
壁の中には、かやぶきの竪穴式住居が点在していた。
ところどころに、オオナムヂよりも遥かにみすぼらしい格好の老若男女がいて、各々仕事をしている。
ときどき、顔をあげては「うるさい」といったように首をふる人もいる。
男どもの怒鳴るような声が、断続的に飛び交っていたのだ。
その声は、森に囲まれた喉かな空に響き渡る。
オオナムヂは、国の人々、恐らく国民を観察しながら怒号の方へと進んで行った。
他国の国民生活を見据える為か、その視線は一人一人を確実に捉えていた。
少し奥へと行くと、恐らくは国で一番大きいのであろう木造の建物が姿を現した。
伊勢神宮とかヒノキ造りの神社の本殿に似ている感じの建物だった。
白く高潔な色をした屋根や壁が、日の光でより一層輝いて見えた。
「……」
本来ならば、感動の声が漏れていただろうが、すずは逆に閉口してしまう。
凛として、目にするだけで空気が張りつめるような厳かな雰囲気を漂わせてはいたが、その前に群がる男たちがその幻想的風景をぶち壊している。
(何やってんの……)
男たちは、我先にと言った様子で、声を張り上げ合っている。
通常、神社でここまで怒号が飛び交うのは、お祭りのお神輿くらいだろうか。
すずは、押し合いへし合い、花の蜜に集まる昆虫の様な彼らの背中を見て、そんな事を考えていた。
「八神姫!せめてお姿だけでも!」
「オレは、未だ見ないあなたに夢中だ!さあ!屋敷に入れてくれないか!」
「なあ!頼むよ!何もしない!今夜は何もしないから!ね!?」
「アイツは駄目だ!女をとっかえひっかえしているぞ!」
「あなたは黙っていなさい!」
オオナムヂよりも身なりの良い男たちは、ざっと数えて100人ほどはいた。
それだけの人数が野太い声で、沈黙を貫く社に向かって好意を訴え好き勝手叫んでいる。
「もしかして……、あれがお兄さんたち?」
すずは、壮絶な求婚の光景に絶句する。
ウサギが、すずの背負う荷物に抱き着いてきて、すずの体がぐらりと傾いた。
「そう。私も含めて八十神って言われてるんだ」
「やそがみ……」
「まあ、王の沢山の子供達って意味かな。馬鹿にしてるだろ?」
オオナムヂは、自分たちを卑下するように笑った。
「こ、これが……、王子様の求婚!こわっ!!オオナムヂもあそこに入るの?」
「やめてくれよ!兄さんたちぐらいだよ。ここまでするのは」
同じように引くオオナムヂを見て、ほっとして目の前を差していた少した震える指を降ろす。
「なっ、何だよ!全然相手にされてねーじゃん」
ウサギは、やっとすずの荷物から手を離したかと思うと腕を組んで偉そうにそう言った。
「しーっ」
オオナムヂが困ったようにウサギに合図する。
ウサギは、ちぇっ情けねぇと言った様子で、
「おい!お前行って来いよ」と、すずに指示した。
「えっ!?私!?また!?」
「こんだけ男が騒いでりゃ誰だってビビるだろ!女のお前が、戸の前で出てくるように何とか姫に言って来いよ」
「はあ!?やだ!」
「ちょっと耳かせ」
そう言われ、すずは背中の重い中袋に気を使いながら身をかがめる。
すこしウサギにいらっとした。
ウサギは、すずの態度には気づかず耳元でつづける。
「お前、行くとこねーんだろ?ここで恩を売れば、オオナムヂのとこで働かせてもらえるかもしれないだろ!王様になってくれりゃあ、食っていくには困んねーぞ」
「それは、そうかもしれないけど……」
「それに、姫さんだって怖がってんだ!女のお前が行って、勇気づけてやれよ!」
「なに話してるの?」オオナムヂは、不思議そうにこちら見下ろす。
すずは、黙って顔をあげた。目の前には、群がる騒がしいパリピ男子ども。
その先には沈黙を貫く、高潔な社。
結婚自体は羨ましい、と思ったすず。
しかし、どう見積もってもあの勝手そうな男たちが幸せにしてくれるとは思えなかった。
姫もそう感じているのだろうか。仕方ない。話くらいは聞いてみよう。
すずは、決意した顔で背筋を伸ばす。