優しい青年
また、しばらく森を進んで行くすず。
「ってか、ここどこ!?」
いくら進んでも、森の様に生い茂る木から逃げることができない。
――夢でも見てるんだろうか?
――なら、どこからどこまでが?
気が付けば空は青みがかってきている。
「ああああ!もう!」
再び走り出すすず。
夢かどうかは知らないが、急がないと、会社に遅刻する!
しばらく走る。
走って、走って。そして疲れた。
「なんなの……、ホントに」
久しぶりに上がる息。すずは少しだけ膝を抑える。
「夢の中って息が切れるものなの?」
しばらくその場で呼吸を整える。
その場と言っても、未だ森の中だ。
「とにかく……、道路に出ないと」
いつまでも休むわけにはいかない。
すずは、限界に近づき、動かす感覚さえ遠ざかったその足を強制的に宙へと吊り上げ進めていく。
しばらく歩き通したその矢先――。
目の前の木立の隙間から草の生えていない場所が見えてきた!
きっと、道だ!!
やった!やっと出られる!
すずは、最後の草の束を飛び越えた!
「やあっ!」
少し高さのあるヒール靴を履いた足で盛大に着地する!
ザザザザッ!!!
「うわぁ!驚いた! ……女の子か」
耳に入ったのは、男性の声。
こんな時間に人!?まだ早朝だよ!?
顔をあげたすずは唖然とする。
――そうか。これは夢だ。
そう思ったすずの目の前には、凛とした顔立ちがキレイな青年が、体の倍以上あるだろうでっかい袋を背負って、驚いた表情で立っていたのだ。
その髪は、赤みがかっていて短く整えられている。
身長は175センチくらいであろうか。その上に小さな顔がのっている。
瞳は金色に輝き、薄い唇は何ともセクシーだ。
キスをするにはちょうどいい背の高さだ。ふと、すずが思った。
しかし、気になるのはその服装である。
いかにも古代日本人らしき服を身にまとっているのだ。
抜けられない森。和服のうさ耳少年。イケメン古代人。
とにかく。すずがいる場所は、すずの知っている世界では無かった。
やっとそれを理解する。
「どうしたの?そんなに急いで」
青年が優しい口調で聴いてくる。
美しい顔にふさわしいほどの、透きとおった低音ボイス。
すずは一気に頬を赤らめる。
「あ、え!?えっと……、道路に出たいなぁと思って」
「どうろ?なんだろう、それは?」
口元を緩ませ、優しく、諭すように聴いてくる青年。
「い、いえ……。何でもないです」
すずは、少し俯く。恥ずかしがっているのだ。
長い事、同じ男と向き合ってきたすず。職場は戦場のようになっていて、男も女も関係なく怒号が浴びせられる。
そんな世界を生き抜いてきたすずには、彼の雰囲気がとても新鮮に感じられる。
「そ、そう」
青年が不思議そうにすずを見つめる。
変な子だな。という表情だ。
やってしまった。彼に変な印象を与えてしまった。
「困ってるように見えるのだけど、大丈夫?」
俯くすずに、それでも青年が優しく聴いた。
たしかに困ってはいるが、彼に話したところで気味悪がられて終わりそうだ。
ウサギは救急車を知らず、青年は道路を知らない。
ここでおかしいのはおそらくすずの方だ。
すずは、しばらく俯いたまま。次の言葉に悩んでいる。
「あんまり黙られちゃうと困るな。君の可愛い声をもっと聴きいてみたいのだけど」
突然何を言い出すのか、青年はにこっと笑ってさらりといいのけた。
「えっ」
傷心中のすずには効果絶大。
「あっ、えっと、……………………ひっ、人が倒れてるんです!」
「人が?それは大変だ!」
何とか言おうと咄嗟に口をついただけだったが、青年はすずの予想を超える反応を示す。
「すぐに案内してくれないかな?」
道路に出るのはかなわなかったすずだったが、
うさ耳少年の元にはすぐにたどり着いた。
「また来たの?お願いだから静かにして」
うさ耳少年は、目をつぶって呟く。
「この人です!」
少年の言葉など耳にも留めずに、すずが青年に差し示した。
青年がすずに頷き、ウサギの元へと駆け寄った。
彼の起こした柔らかな風がすずの鼻をくすぐる。
香水でもない。整髪料でもない。本来の男の匂いだ。
それとも、その大荷物から放たれる匂いなのだろうか。
「あらら、ずいぶんと酷い目にあったんだね」
大荷物の青年は、丁寧に荷物を降ろしながら、時々振り向いてうさ耳少年の具合を観察している。
「見世物じゃねーよ。帰れ」
「そんなに怒らないでよ。今治してあげるからさ」
「そんな嘘には騙されないぜ!もう、ほっといてくれよ!」
「はいはい」
青年はうさ耳少年の側に屈んで詳しく様子を見ている。
「傷に砂がまぶしてあるんだけど」
「砂でこすったから、当たり前だろ」
「え!?どうしてそんなことしたの!?」
「うっせーな!そしたら治るって教えてもらったんだよ!てめーみてーな優男共に!っく!」
うさ耳少年は、怒鳴ったときに痛みが走ったらしく歯を食いしばっている。
「あらら……。仕方ない。確か近くに湧水があったはず。それで洗い流そうか」
そう言って、青年は、大荷物から小さい袋を一つ取り出した。
手持ち無沙汰だったすずは、急いで大荷物本体が崩れないように反対から抑える。
「ありがとう。もう大丈夫だよ」
そう言って、にこっと笑う。
すずは赤く染まる顔色を悟られないように、うん。とうつむきがちに返事をした。
こんな風に感謝をしてもらったのはいつぶりだろう。
どうしてこんな事が嬉しく思えるのだろうか。
青年が袋から出したのは竹筒だった。
「ねえ、君。あっちに湧水があると思うから、汲んできてもらってもいいかな?」
そう言って、すずに向かって竹筒を差し出している。
「あっ、はい」
青年から竹筒を受け取ったところで何かに気づいた。
光るガラスをずっと握りしめていたのだ。
ガラスは一応持って帰りたいと思ったすず。ポケットの無いスーツを念のためにあちらこちらと探ってみるが、結局しまう場所が見つからない。
少し悩んだが今だけ、とブラジャーの中にそれをしまった。
ヒンヤリとすずの胸に触れるガラス。
「こぼしちゃだめだよ?」
しばしの別れ際、青年の言葉に、すずは妙な色気を感じた。
青年の示した通りに道を進むと、ポコポコと音を立てる湧き水があった。
すずは、竹筒を水の中に入れ、いっぱいになるまでじっと待つ。
「……私、何をしてるんだろう」