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目覚めし暴君

オオナムヂが呼吸を始めてから、三月程が経った。

彼は八神姫の社から移され、住み慣れた部屋で未だに眠り続けている。


「後で八神姫が来るよ?」


すずは静かに呼吸を続けるオオナムヂの側に腰を降ろす。

返事はなく、ただそこに眠り続けるオオナムヂ。



すずは八神姫の願いでオオナムヂの世話をしている。

毎日、サシクニワカ姫や八神姫が顔を見に来るので、体を拭いて綺麗にしているのだ。


本当はウサギの仕事なのに、とすずの表情がかげる。

ウサギとナガトの消息は、未だ不明のままだ。


「ハルガさんのところで休んでるのかな」


独りだけ無事に生還した事を後ろめたく思う、すず。

オオナムヂの目元に涙がたまるのを優しく拭き取ると、大社を後にした。








「オオナムヂ様の様子は?」

八神姫が、すずに聞く。毎朝の日課だった。


すずもいつも通りに首を振る。

「寝てますよ」


「全く。困った父じゃの」

八神姫は、そう言いながら愛おしそうにお腹をさすった。


そう。彼女は妊娠していたのだ。

発覚したのはつい最近の事。

八神姫が突然不機嫌になったりして、すずも相当振り回された。


「お父さんとあなたと、どっちが早く目覚めるんだろうね。楽しみだな」

すずが微笑む。


「すずがいれば、それだけでよいであろ?御子殿?」

「嬉しいお言葉。お父さんが寂しがりますよ?」


だが、本音を言うと少しだけ複雑だった。

暗い話の多い中、新たな命の芽生えは、素直に嬉しかったが、

夫が眠り続ける中でも、サシクニワカ姫の計らいで沢山の侍女を付けられ、手厚く守られる彼女が羨ましかった。子を成しただけだと言うのに。



すずは思う。自分は立場を理解していなかったのだと。

何となく女友達のような感覚で接してきた八神姫、しかし、彼女は一国の姫君、夫は大国の次期国王である。


すずはというと、一介の世話係に過ぎない。

愛されず守られずに主の為に働き続けるのは当たり前のことだ。


すずの暮らしていた世界では身分制度などというものは既に存在しない。

故にそれが理解できずに大きな勘違いをしていたのだ。


――八神姫と自分は対等な存在で、彼にも対等に扱われる。


オオナムヂの戯れに翻弄され、そう勝手に思い込んでいたのだ。


しばらくの沈黙。八神姫はお腹をさすり、すずが見守っていると、

「姫様!!」


そう叫ぶように、侍女が荒々しく戸を叩く。


「オオナムヂ様が目覚められました!!」




すずと八神姫は、すぐにオオナムヂの部屋へと向かう。


戸を開けると、そこには上体を起こし、ぼうっと宙を見つめているオオナムヂがいた。


「オオナムヂ様!!」

八神姫が泣きながら彼の胸の飛び込んだ。


「……っ」

起きたばかりで頭がさえないのか、オオナムヂは胸に飛び込んだ八神姫をただ見つめている。


すずが側により、腰を降ろすとオオナムヂが口を開く。

「子が……、できたんだって?」


意識がはっきりしてきたのか、胸にすがる八神姫の背中をさすりだし、すずに聞く。


すずは久しぶりの声に涙交じりに刻々と頷いた。

久しぶりに出したからであろうか、その声はいつもよりも低く、掠れていた。


「具合は良いの?」

「あたりまえじゃ!」と、涙で顔をグチャグチャに汚した八神姫。


ずっと我慢していたのか。

すずは、たった今それを知る。


夫に一番側に居て欲しい時に頼ることができなかった八神姫は、その胸にしがみついたまま離れない。


「母様が大変お喜びだった」

「ええ」


「私が眠る間、よく頑張ってくれた」

オオナムヂが労わるように声をかけ続ける。

八神姫も落ち着き、涙をぬぐいながら微笑んだ。


「体を大事にしなさい。さあ、もう帰って」

「いやじゃ。もう少し」

「やることがあるんだ」

「そんな事、わらわは知らぬ。やっと会えたと言うのに」

「ずっと会っていただろう。私はここにいたんだから」

「それとは違うであろ。わらわは、ずっとこうしたかった」

八神姫が嬉しそうに彼の首に腕を回そうと両腕を広げる。


「出ていけと言っているんだ」

突然、オオナムヂが低く唸るように言い放った。


「どうされたのじゃ……」

困惑しながら、両腕を静かに落とす八神姫。


睨むような眼つきで八神姫を見下ろすオオナムヂに、すずが異変を感じる。


「こんなところで騒がれても困るんだよ」

オオナムヂが冷たく言い放つ。

おどおどする八神姫、すずが彼女の肩を抱いてオオナムヂから守るように引きはがした。



「私はスサノオ様の元に行かなければならないんだ。時間がないんだよ」


「ス、スサノオ様の元へじゃと!?あの冥界の王の元へ?なぜじゃ!?」

「スサノオ様のお力を借りて八十神を討つ」

「そ、そんな……神戦をするつもりか」


黙って目をつぶり腕を組むオオナムヂ。


「人草はどうなる」八神姫がぼそりと呟く。


「黙ってろ」オオナムヂが低く唸った。


「……っ」

すずに抱かれ、今までにない冷たい態度に傷つき呆然と涙を流す八神姫。


すずがオオナムヂに軽蔑の眼差しをぶつける。


「スサノオ様が誰だが知らないけど、そんな言い方ないんじゃないの」


八神姫を抱きしめるすずは、そのままオオナムヂを睨みつけた。

すずの胸は八神姫の涙でびしょびしょだ。


「スサノオ様を知らない?世間知らずもいい所だ」

「そんな話してないよ。分かってるの?八神姫はオオナムヂの子供を妊娠してるんだよ!?」

「知ってるよ。さっき褒めてやったじゃないか。もういいだろう?」

「本気で言ってる?」


オオナムヂは、うん。と頷く。

その顔には以前と変わらない微笑みが張り付けられたが、

すずの目にはそれが不気味に映る。


「赤ちゃんって凄く繊細なんだよ?八神姫にもっと優しくしなよ!

赤ちゃんいなくなったらどうすんの!?」


「新しい妻を貰う」


「うっ……!!!」突然、八神姫がお腹を押さえて苦しみだす。

「八神姫!?」

すずが彼女の肩を掴んで体を支える。

「動ける?」

八神姫はお腹を抑えながらもコクコクと頷いた。


「サイテー……」

すずはそのまま、捨て台詞を吐いて八神姫を連れ出す。





廊下に出ると、雅な男たちが立ち塞がった。八十神たちだ。

幾度となく見てきた彼らだったが、今日は様子が違う。

数名は弓を持ち、数名が剣を携えている。


「オオナムヂが目覚めたと耳にした」


「……」

すずは、答えていいのか分からない。


「ど、どうされるおつもりなんじゃ……」

八神姫が立ちふさがる八十神たちに聞く。


「生き返られると我らが困る」


「サシクニワカ姫様が黙ってはおらぬぞ」


「同じく口を封じればよい。中つ国は、我ら国津神の純血が治める」


「八神姫。お前は心配せずに社へ帰れ。お前の事は我らが大事にしてやろう」


そういいのけると、どかどかとすずたちを通り越し、オオナムヂの部屋の戸をバンッと開いた。


「いませんよ!?」

「ちっ、小賢しい醜男だ。近くにいるはずだ!探せ!」


再びバタバタと通り過ぎる八十神を見届けたすずたち。


「すず……」

「八神姫っ……、ちょっと座りましょうか?」

すずにもたれる八神姫が首をふる。


「わらわは平気じゃ。御子も父上におうて驚いたのじゃろ」

悲し気に言う八神姫。

すずの心も苦しくなる。

「すず、頼みがあるのじゃ」

「何ですか?お水?」

「違う。オオナムヂ様の事じゃ」

「あ、ああ……。なんだか、あの」

「……頼りない夫であったが優しくもあった」

八神姫がぽろぽろと涙をこぼす。


先ほどのオオナムヂの態度が頭に繰り返される。

どうして、こんなにも健気な妻にあんな仕打ちができるのだろう。


しかし、彼の部屋の前には、武装した兄たち――八十神が待ち受けていたのだ。

もしかしたら、オオナムヂもそれを知っていて急いでいたのかもしれない。


それに――。

あの様子だとオオナムヂを殺したのも彼らで間違いなさそうだ。


大イノシシがいると嘘をついて彼をおびき寄せたのか?

だとしたら、ナガトとウサギは……。


すずは、黙って彼女を見つめた。

「オオナムヂ様は、おそらくスサノオ様の元へと発たれたのであろう」


「そう言えば、そんな事」

「すずは、スサノオ様を知らぬと言ったな」

「ええ……。すみません」

「……スサノオ様は、大変恐ろしいお方と聞く。高天原を闇に陥れ、ヤマタノオロチというバケモノを切り刻み、その目玉をくり貫き繋げて首飾りにしたそうな」


――こわっ!


高天原という言葉は知らないが、どこかの国の名前なのだろうか。

それにしても、そんなヤバそうな人がオオナムヂを助けてくれるのか!?

闇落ちして帰ってこないのだろうか、とすずは思った。


「探してやってはくれぬか」


えっ。すずは悩む。


しかし、目の前の八神姫は真剣な表情でこちらを見つめる。

たしかに、身重な彼女ではできない事だ。

でも、スサノオ様怖すぎでしょ!?


「途中で説得してオオナムヂ様をお止めしてほしい」


ああ。そっちか、とすずはほっとする。


でも……。さっきの態度といい、オオナムヂの説得もかなり難しいのではないか?

急いでいたとしても、他に女を貰うなんて、身重の妻に言えるのだろうか。

あれは、本当にオオナムヂなのか?


すずは、黙って考える。


「子を成した今、わらわは夫を失いたくないのじゃ。ヤツに惚れたのではない」

八神姫が、涙交じりに笑顔を見せる。


その言葉にはツンと角が立っているが、涙の笑顔にはオオナムヂを慕う気持ちが溢れんばかりににじみ出ている。


そんな彼女の笑顔に、すずも笑顔を返して頷いたのだった。

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