長い夜
「住処?」
「おう!やっぱり人間の国は居心地が悪くてよー。近くの山でいい場所探そうと思ってさ」
「近くの山って、国の外?」
「あったり前だろ!」
「なんで、いつも私!?」
「本当は私も行きたいんだけど、従者の私用で外に出るなんて、おそらくは許されない」
オオナムヂが大袈裟に肩を落とした。
「もう、お前しか頼れねーんだわ!オレ一匹じゃあぶねーだろ?」
「なっ、すずはわらわの侍女じゃ!」
さらりというウサギとオオナムヂに八神姫が抗議する。
「知ってるよ」オオナムヂは、そっぽを向いて少し不機嫌に答える。
「それに女!悪ふざけはいい加減にせよ!危ないであろ!」
「大丈夫だよ、すずは逞しいから」
オオナムヂは顔の前で「イヤイヤ」と手を振りながらそれに答える。
「……うん。そうかもね。……わかりました。行きます」
すずは、自嘲気味に答えた。
「ありがとう!すず。気を付けていくんだよ?」
オオナムヂが取ってつけたように言う。
「じゃあ行こうぜ!」
「ほーい」すずは投げやりに返答をした。
「すず!!」
八神姫が心配そうに声をあげ、社を後にするすずを引き留めようとしたところで、オオナムヂが彼女の腕を掴む。
何をする!と、オオナムヂの腕を振りほどく八神姫。
オオナムヂが頬を赤らめながら、「私たちはやることがあるだろう?」と呟いた。
すずはぎりぎりのところでそれを視界に収めたのだった。
すずたちは、大鳥居の前に来た、中つ国の唯一の出入り口だ。
当直の門番はワケを知っていたようで、しばし待たれよと言って、足止めをする。
「なんだあ?」ウサギがそう言うと背後から野太い声が聞こえてきた。
「おい!待ってくれ」
その声が近づくとともに、一人の若い大男の姿が現れた。
すずたちが初めて中つ国に訪れた時に門番をしていた男だと、すずは思った。
「あ!お前!!なんだよ!」ウサギも気づいたようで、食って掛かる。
「オオナムヂ様からお前たちをお守りするように仰せつかっている。オレも行くぞ」
大男は、すこし息をついた後にそう言った。
「オオナムヂ、様が?」
適当に放り出されたとばかり考えていたすずが、パッと表情を明るくする。
大男は頷き、「すまん。待たせてしまったようで、あなたがすず殿か?」
「は、はい!」
「お前は先日の獣だな」
「う・さ・ぎ!」
ウサギが怒鳴る。
大男は少し笑って、失敬したと言ったのち、自らをナガトであると紹介した。
ナガトは、背が高く屈強な体をしていた。
オオナムヂが着いてくるよりもずっと頼りがいがあるなと思い、すずが彼を見つめる。
「なっ、なにか?」ナガトが照れたようにすずに言った。
「あっ、いえ……!」
「ナガト!日が傾かぬうちに帰られよと言われなかったか?」
門番の大男がナガトにそう促し、すずたちはナガトに連れられ中つ国を出た。
中つ国を囲う山の内、一番近い坂を選んでナガトが先へと進む。
すずのペースに合わせて進んだオオナムヂとは違って、たまに振り返っては「もう少し急げるか?」とすずを急かした。
ウサギは、ナガトの付き添いに安心したのか嬉しそうに野山を眺めながら先へと進む。
「もっとこう、平らで……、クマとかが出ないところがいいなあ!」
ウサギが夫に新居をせがむ新婚妻のように言い放つ。
姿はどう見ても白髪、色白の少年だが、心根はウサギの様だとすずは不思議に思った。
「ねえ、ウサギ?」
「あ?」
「あなたって、人間じゃないの?」
「はあ?耳触ったろ」
「触ったけど、なんていうかすごく人間みたいな姿をしてるでしょ?」
すずとウサギのやり取りをナガトは黙って眺める。
「ああ、オレ神だから。姿を変えられるんだよ。人間の神と話すときはこの姿の方がいいだろ?俺なりに気を使ってやってるんだ!」
ウサギはそう言うと、一度跳ねる。
「えっ!?」
地面に着地するころには、正真正銘、少し黄ばみがかった毛色のうさぎの姿へと変化した。
「なに驚いてんだよ」
ウサギの姿になり、尚も会話を続ける。
ナガトも少し驚いたようで、「おおっ」と声を漏らした。
「ウサギさんって、神様なの!?」
「そっちかよ!!」
呆然とするすずに、ウサギさんが前脚で宙をかいて突っ込んだ。
「オオナムヂも八神姫も神だぜ?まさか、知らなかったのか」
こくこくと首を縦に振るすず。
すずは目の前の怪奇現象を前に、元の暮らしで最後いた神社を思い出した。
「……神様って本当にいるんだ」
「それはそうだろう!神のご活躍によって我らは暮らして行けている」
ナガトが真面目な顔ですずに答える。
「ナガトさんは人間なの?」
ナガトが「残念ながら、そうだ」と少し笑って首を縦に振る。
ウサギは、久しぶりの姿に嬉しそうに蝶を追いかけた。
「その様子だと、すず殿の国では、神は姿を御隠しになっているのか?」
「ええ。神様がいるっていう建物はあるんですけど……。見たことは」
「そうか。人目を嫌う方もいらっしゃるからな」
夢か現実か、目の前で起こる事象にただただ対応してきたすずだったが、改めて異世界――神の世界に――来てしまったのかと感慨深くなった。
あの日、神社にいた神様は、悩む私に道を示したのだろうか。
この世界に来た理由は分からない。
もしかしたら、長いリアルな夢を見ているだけかもしれない。
――どちらに転ぼうと。
私はこの世界で生き抜いていこう。
すずは、そう決心した。
よしっ!と拳を握るすずをナガトが不思議そうに見つめる。
「すず殿?考えを言ってくれないと、私が困る。
すず殿の事は爪の先、心の中まで傷付けないようにと言われているんだ」
「心の中までって……無理があるような」
すずが笑って答ると、ナガトはいいえと首を振る。
「オオナムヂ様は、そういうお方なんだ」
嬉しそうに答えるナガト。
すずは、遠くを眺める彼の横顔を真顔で見つめた。
「……先へ急ぎましょうか」
しばらくしてから、すずがそう言うと、ナガトの意識はここに戻って来た。
再び人の姿に戻り、ぴょんぴょんと草原を楽しむウサギをすずが追い、小さなすずの背中を見守るようにナガトが続いたのだった。
そのまま山道を進んだのち、ナガトとすずは茂みの中に入っていったウサギを待っていた。
この場所を相当気に入ったようで声をかけても「もう少しいいだろ」となかなか戻っては来なかった。
ウサギの帰りを待つ、すずとナガト。
「さきに行ってようか」しびれを切らしたナガトがすずに提案する。
「はぐれないかな」
「恐らく大丈夫だ。この地は、トビが良く知っている」
「トビ?」
ナガトは、うんと頷き先を歩く。
すずは最後にもう一度、ウサギを呼んでみたが返事は無かった。
坂を上りきり、開けた場所に出るすずとナガト。
一帯は人為的に木が切り倒されている。
その中心部に小規模なキャンプがあった。
キャンプを形成するのは、動物の皮で作れた複数のテント。
テントの外では解体したばかりの皮が干されていて生活感を漂わせる。
しかし、人の姿は見られない。
「今日の目的地だ」
「えっ?」
ナガトが驚くすずをからかうように微笑んだ。
キャンプの中に入っていくと、ナガトは一番大きなテントを覗き込む。
「誰かいるのか?」
ナガトが声をかけた、その瞬間にダッと、ナガトとすずを槍が囲んだ。
「ひっ」すずはとっさに両手をあげる。
「なっ、何のつもりだ!!」
槍を持つ男が声を荒げる。
顔中に入れ墨が施されてはいるが、妙に透明感のある声が印象に残る。
胴には、戦国時代のものをかなり簡素にした木製の鎧が装備されていた。
彼らは先ほどまでテントの中に隠れていたのだろうか?
周囲のテントからは不安そうに状況を眺める顔もちらほらと見える。
「中つ国のナガトと申す」
ナガトが威厳漂う声で唸ると、槍を掴んだ。
槍を掴まれた男は、あっ!と声をあげて女々しくよろめく。
「な……、中つ国の?」ハッとする一人の男。
彼が槍を降ろすと、合わせるように他の槍も降ろされていく。
「お前たちはトビ一族で違いないか?」
「さ、左様でございます!!トビの長を務めますハルガと申します!」
透明感のある声は涙交じりに大きく返事をした。
ナガトとすずは大きなテントの中にいる。
中には、三人の子供が待っていた。
内一人はまだ乳飲み子だ。
どおりで、あんなにも好戦的だったわけだ。とすずは思った。
子供は、まだ怯えているようで長男が次男と三男を庇うようにして、すずたちの行動を見張っている。
しばらくすると、武具を脱いだハルガと名乗った男が数名の共を連れてテントに入る。
隅で固まっていた三人が一斉にハルガに飛びついた。
「なんだい弱い子だねぇ。この方たちは大丈夫さ。あたしたちとの約束を守りに来んだ」
「えっ」あたしって、まさかのおねえ!?すずが驚く。
乳飲み子が、あああ!と、ハルガに何か訴える。
「お腹がすいたのかい?」
そう言うと、ハルガは人目もはばからずに服をたくし上げる。
ナガトが目を逸らす。
すずはその光景を凝視すると、
「えっ……、お、女の人!?」
ハルガの胸には小さいながらもきちんと二つの胸が膨らんでいたのだった。
乳飲み子はその頂に豪快に吸い付いた。
「申しわけない。このままでもよろしいか?」とハルガがナガトに確認する。
ああ。と目を逸らしたまま、ナガトが低く唸る。
ハルガは、耳を赤く染めるナガトを嬉しそうに見つめていた。
「オオナムヂ様が、死にかけているところを助けた?」
すずは、ただただ聞いた言葉を繰り返す。
「そうさ。あたしたちは一介の狩人だった。あっちこっちを旅しては獲物を取っていたんだ。たまたまこの地に拠点を張ったときに、オオナムヂ様が裂けた木に挟まれて気を失っているところを見つけてさ」
「それを逆手にオオナムヂ様に交渉を持ち掛けたというわけだったのか。それは初めて聞いたな」
ナガトが腕を組んで答える。
「逆手とは嫌味な言い方だな。はあ、……この地に来てから、すぐに男たちは狩りに出かけたが、誰も帰ってこなかった。女たちだけでは暮らしていくのも大変だからな」
そう言いながらハルガは愛でる様に子供に視線を送った。
先ほどまで乳にしがみついていた子はハルガの腕ですやすやと眠っている。
どの女性も顔中に入れ墨をして男装をしているのはその為かとすずは理解した。
「だから、中つ国に保護を求めたと」
「そういうことだ。だが、オオナムヂ様はもし自分が王になればこの地を支配下に置くとだけ言って帰って行った。約束は破られ、もう自分たちで生き抜くしかないと思っていたのだが」
ハルガは少し俯いた後に、バッと顔をあげた。
そして、ハルガが豪快に頭を下げる。
後ろに控える女たちもハルガに続いた。
「このハルガ!トビを代表して、オオナムヂ様にお祝いを申し上げます!」
帰り道、あっというまにハルガたちに捕まったウサギと共にすずはナガトの後に続いた。
「ちぇ、オオナムヂの野郎。俺の住処を探すなんて嘘つきやがって」
「でも、ハルガさんたちがもっといい場所があるって言ってたよ?」
「そうなのか?」
「うん。正式に中つ国に迎えられたら教えてくれるって」
「それは悪い話じゃねーな!」
「しかし……、あのような山。中つ国に取り入れたところで使い道はあるのだろうか」
ナガトが顎に手を当てて考える。
「女がいっぱいいるじゃん」ウサギが淡々と答える。
「バカ者!あの女達の顔を見ただろう?」
「物騒だったな」
「入れ墨があるからでしょ。無ければ結構可愛いと思うけどなあ」
「しかし、事実入れ墨があるだろう。あれでは萎える」
「嘘だぁ!ナガトさん、おっぱい見て真っ赤になってたじゃん!」
すずがからかうと、ナガトは戯言を言うなと先を急いだのだった。
中つ国の門についたころにはとっくに日が暮れていた。
門番は、ナガトにオオナムヂ様に報告するように促す。
最後に「この時間についたこともだぞ!」と付け加えられ、ナガトは重い足取りで大きな社へと向かう。
オオナムヂの部屋の前でナガトが声をかけるが返事は無かった。
しばらく待っても返事がない。
中を確認したウサギが、いないとナガトに伝える。
「あの、もしかしたら八神姫の社にいるのかも」
すずが、ナガトにそう言うと、ならば、行こうと立ち上がった。
その足取りも相変わらず重かった。
八神姫の社の前に来たすず。
ナガトに中を確認してほしいと促され、静かに戸を開ける。
そして――。
――汗交じりの御体を揺らす彼と目が合った。
すずは、すぐに瞼を降ろして戸を閉める。
「いらっしゃったか?」ナガトが急かす。
すずは黙って頷いた。
「今、忙しいから明日にしてほしいみたい」
「そ、そうか。では今日は戻るとしよう。すず殿もしっかりと体を休めてくれ。疲れただろう」
「ありがとう」
ナガトは、ほっとしたようにすずを残して社を後にする。
引き手に掛けられたままの指は、もう開かせまいとしているのか無意識に力がこもっていた。
月明かりに照らされてもなお影の差しこむすずの耳には、社の中で愛し合う二人の甘い吐息がこだました。
しばらく、当てもなくあたりを歩き回ると、だんだんと冷静になってくる。
「何してんだよ」
顔をあげると、そこにはウサギが立っていた。
「う~ん」
すずは、答えに迷った。
「寝ないのか?」
「寝るよ」すずは再び俯く。
ウサギはしばらく黙っていたが、そっと口を開いた。
「オオナムヂの部屋で寝れば?」
「えっ!?でも……」
「なんだよ、今さら。ずっとそうして来ただろ」
「今までは別に……」
「別にいいじゃん!アイツ、今夜はもう来ないんだろ?」