第2話 私には君を描けない 05
無理に小粋なトークを繰り広げようとしても、自爆する未来しか見えなかったから。それならこれまでどおり、不格好にはなっても、気のおもむくままに話すほうがマシな気がした。
……そういや一個、気になってたことがあるんだよな。
だから私は起きたときから気になっていた疑問を牧野にぶつけることにした。
「と言うか、なんで牧野は準備室にきたの? なんか用事でもあったのか?」
「えっ……? あー……?」
私の問を受けた牧野は、先ほどの私を彷彿とさせる、馬鹿みたいな呻き声を漏らしていた。
……モノマネで私のことを馬鹿にしてるつもりか?
と思いかけて幼少期の古傷が疼くけど、どうやら牧野は本気で戸惑っているようだった。
「えーっと……? どうしてだっけ?」
「いや、知らんがな」
そもそもこんな場所は『確固とした目的』でもなければ辿り着かないだろうに。
その理由を忘れることなんてこと、果たして有り得るだろうか。
しかも目的をそっちのけで、私の顔を眺めてるなんて。
……なんだか、牧野なら有り得そうだな。
私は牧野のことなんてなにも知らないけど、昨日、今日と会話してみて、だいぶ天然が入っていることだけは理解できた。だから、もしかしたら牧野ならそんなことも有り得るのかもしれない。そんなことを考えていた視線の先で、牧野は理由を探すように視線を彷徨わせる。その視線自体が『嘘の種を探してます』と言ってるようなものだったけど、私は放置しておく。
……そう言えば昨日も私の名字の最後の一文字を探してたな。
あのときは無事に答えを見つけだせたけど、今日はどうなることだろう。
部屋中を探し回った挙げ句、牧野は自分の尻の下に、その答えを見つけたらしかった。
「あっ! そう! タオル! 昨日忘れてたの、取りにきたの!」
明らかな嘘とわかる発言だったけど、それより先に納得が先について、
「あっ、それって牧野の毛布だったんだ。どおりでいいにお……」
『どおりでいい匂いがしたわけだ』
と、そんなことを呟いてしまいそうになる。
しかしよりにもよって『匂い』に言及するのはヘンタイっぽいような気がして口を噤む。こんなことなら『お前、それ嘘だろ!』とツッコんでおけばよかったと思うものの後の祭りで、牧野のほうが「えっ、なに? なにがいいって?」と、グイグイ攻めこんでくる始末だった。
もはやモデルのことなんて忘れてるのか、ソファから立ちあがってこようとすらしていた。
「ちょっ、たんま! お前、モデルなんだから……その、絵、描くぞ」
「あ、うん。そうだよね」
効果なんてあるのか……? と疑問になりながら発した言葉だったけど、牧野は意外と従順にソファに座り直した。どういうことか牧野にとって絵のモデルは相応の魅力があるらしい。
……まあ、描くしかないか。
今、言い訳に使ってしまったのもそうだけど、そもそもの目的もそこにあるのだから。先ほどのやりとりで格式張った緊張は解れてくれたのか、牧野の態度はどこか軟化して、彼女のほうから適当な話題を振ってくれるようになった。その話題にこれまた適当な対応する。そうしたノイズがほどよい集中状態を生みだしてくれる。状態としては申し分なかっただろう。
にも関わらず、やっぱり私には牧野の美しさを描ける気がしなかった。
徹夜しながら牧野の姿を描いていた私がそうだったように、スケッチブックに何度も何度も牧野の姿を描いた。一時間目の残り時間でたりるわけもなく、結局、昼休みが始まるまで、私は牧野の姿を描き続けた。なのに描けば描くほど、目の前にある美しさが遠ざかっていく。
模写は絵の基本中の基本だ。
なにせ実物が目の前にあって、それを描き写すだけでいいのだから。そのはずなのに描けば描くほど遠ざかっていくという現象は、絵を描く人間にとって屈辱でしかなかった。
「ごめん、牧野……やっぱり、今の私にはお前のこと、描けないみたい」
昨日の晩から牧野を描き続けていた使い古しのスケッチブックは、すでに最後のページまで使い切ってしまっていた。予備はカバンの中に入っているものの、それを使ってみたところで描ける自信はなかったから、ここら辺が引き際なのだろうと、私は机に鉛筆をそっと置いた。
牧野は「えー!」と悲鳴じみた反応をしていたけど。
数時間モデルをやらされた挙げ句『やっぱりダメでした』では納得なんてできないだろう。
「んー……とりあえず今まで描いた絵、見せて欲しいんだけど」
「いや、でもこれは……」
「さんざんモデルやらせといて、描いた絵すら見せないのは不誠実じゃない?」
牧野は今までのふわふわとした印象に反した、まっとうな意見を口にしてみせる。なにより先ほどのような負い目を感じていたのは事実だったから、私は怖ず怖ずとスケッチブックを差しだす。牧野は「よろしい」と偉ぶりながら、しかし私と同じぐらい恐々としていた。
「ひ、開くよ……?」
「呪いのアイテムかよ。そういうのいいから、見るなら早く見て欲しい」
「もう、なにそれ。情緒がないな」
なんて文句を言いながら牧野はスケッチブックを開く。
「いや、自分の絵見るのにそんなビビられるのを情緒とか呼ばれても困るんだが」
という私のツッコミの声は、牧野にはすでに届いていなかった。
牧野は私の絵に釘づけになったように、言葉を失ってしまっていたのだ。
「……………………」
彼女は無言のまま、ぺら……ぺらと簡素な音を響かせながらページを捲っていく。反応らしい反応と言えば、彼女の口元からときおりこぼれ落ちる「はあ……」というため息とか「うわあ……」という感情を掴みにくい言葉ばかりで、待っているこちらがヤキモキしてくる。
――なにひとつ納得する完成度のものがなかったからな。
それを見た牧野にしても反応に困るだろうと、そう思ったのだ。
「……思うところがあるなら、歯に衣着せずに言って欲しいんだけど」
それでも、こんな状態であと数分も待っていられないと思った私は牧野にそう告げる。
本人からの意見なら、私でも素直に受けとめられると思ったから。
すると牧野は間髪入れずに、
「めっちゃ巧いじゃん!?」
と叫んだのだった。
「それは当たり前」
彼女の口にした言葉があまりにも当然の事実だったものだから、私の返事も簡素になる。
「えっ!?」
なにが意外だったのか、牧野はその顔に『!?』を貼りつけていた。
どんな顔だよと思われるかもしれないが、そうとしか表現できない顔だったのだ。
まあ、牧野の顔事情はどうでもいいのだ。
「私は絵が巧いよ。これでもコンテストで賞ぐらい貰ったりしてるんだから」
「なにその自信。と言うか真辺ってそんな凄いやつだったの……?」
てっきり巧く描けないから落ちこんでるんだと思ってた……と牧野はぼそぼそ呟いている。
単に巧く描けないだけだったら、話はもっと単純だった。
それならさっさと絵の練習をし直せばいいのだから。
絵にだけは相応の自信があるはずの私ですら描けないものがあるというのが問題なのだ。
「それでもお前の美しさは描き切れないって言ってるんだよ」
「ふぇっ」
私の言葉に牧野の口から奇声が漏れ、持っていたスケッチブックが取り落とされた。
膝の上に落ちたスケッチブックは、私を責めるように、不出来なスケッチを広げている。
……いや、私は自分の絵が相応に巧いと思ってたけど、それが慢心だったのか。
先ほど『絵がヘタならさっさと絵の練習をし直せばいい』と考えたけど、それは私にしても同じなのかもしれない。と言うよりも、それぐらいしか打開策がないような気もした。
「あっ、あうあう……」
真剣な私をよそに牧野は珍獣の鳴き声みたいなものを口から漏らしている。
牧野の奇妙な言動には慣れつつあったから、私は無視して続けた。
「ちょっと自分の力、過信してたのかも知れないな。一旦、基礎から学び直してみるか」
もういいだろ。
と、私は膝の上に落ちていたスケッチブックを拾いあげて、カバンの中へとしまう。
「あー……」
私たちのあいだにあった『絵』という架け橋を失うと途端に会話の内容に困ってしまう。なにより絵を見られてしまった手前、これ以上牧野と相対しているのがしんどくなっていた。
「そしたら私、職員室行くからな。鍵とか気にしなくていいから、お前も授業サボるなよ」
だから私は一方的にそう告げて準備室をあとにする。
牧野からの返事はなかったから、少しだけ不安だったけど。
結局、珍獣になってから一度も人間の言葉を話してくれることはなかった。
……なんなんだ、アイツ。
やっぱりさっきの言葉はお世辞で、本人的にも私の絵は微妙だったのかもしれない。そう考えると、ドヤ顔で『それは当たり前』なんて言ってしまったことが、恥ずかしくなってくる。
――素人が一番、絵に対してシビアってのはあるからな。
技巧で目が曇ったお偉方とは違って、素人は曇りひとつない目で絵を見る。
だから彼女を納得させられないことには、私はまだまだ二流だということだ。
「待ってろよ、牧野」
そう遠くないうちに、あの女の美しさを上回る技巧を手に入れてやる! と覚悟を決める。それには今まで避けてきた座学にチャレンジするのも致し方ないかもしれない。そんなことを考えていた私が先ほど犯した『昨日と同じ過ち』に気づくのに、そう時間はかからなかった。