第2話 私には君を描けない 04
「一時間目は諦めて二時間目から受けることにする」
「わかったー」
私の従順な部下かなにかなのか、牧野はそうふたつ返事を寄越す。ここまで思考を放棄されると、どこまで無理難題に従ってくれるのかと、邪な想像をしてしまう。昨日、今日でちょっと話すようになっただけの相手にそんなことをする気にもなれなかったから黙っていたけど。
――そうと決めたはいいけど。
今度は三〇分近い時間を持て余してしまう。
しかも牧野というオプションまでついている。
……無視すればいいんだろうけど。
他ならぬ牧野がそれを許さないように私を注視しているせいで身動きがとれない。
それからしばらく沈黙を共有したのち、
「なにする?」
黙っていることに飽きたように、牧野がそう尋ねてくる。
あえて尋ねずとも『なにをするのか』まで私に委ねられているらしい。
だけど残念ながら私は見ず知らずのギャルを喜ばせてやれる技能なんて持っていない。
「……私は絵でも描くかな」
だから私は牧野のことをうち捨てて、そう答えておいた。
「私の絵?」
しかし絵と聞いた瞬間、表情をほんの少しだけ華やがせながら牧野が尋ねてくる。
「あー……」
とこぼしたのは私で、それは昨日の勢いが完全に消えてしまったことを示していた。
相変わらず牧野を描きたいという強い想いは私の中に燃え続けていたんだけど。
今の私に牧野を巧く描けるのだろうかという疑問を抱いてしまったから。
「モデルになってくれるなら」
それでも牧野がモデルになってくれると言うのなら、それを利用しない手はない。
……まあ、モデルなんて単調な作業、快諾してくれるとも思えない。
とりあえず提案だけでもしてみて、無理なら無理でさっさと諦めてしまおう。
そう思っていたんだけど、
「いいよ。昨日、約束したし」
牧野は先程と同様、逡巡すらせずにふたつ返事で了承してくれた。
「あっ……ありがと」
昨日のあれは約束だったのだろうかという疑問はあったけど本人がそう思ってくれているなら、無理に掘りさげる必要性もない。私はさっさと、牧野を描く準備を始めることにした。
「あれ、美術部なのに、あのカッコイイやつ使わないのー?」
キャンバスではなくスケッチブックを用意していた私に牧野は子どもみたいな調子で尋ねてくる。ちらりとそちらを見やると、これまた子どもみたいにきらきらした瞳が待っていた。
「あー、そうな。あっちは本番で、こっちで練習というか、ちょっと感じ掴みたい」
これまでの感覚を振り返るにいきなり描き始めて巧くいくとも思えない。
それなら『無駄にすること』を前提に、いろいろと試してみるほうがただしい気がした。描きたいものがハッキリしてるのに描けないという経験は初めてだったから、これがただしいアプローチなのかもわからないけど。それでも、悩むよりは手を動かすほうが性に合っていた。
「なにかポーズでも決めようか?」
私と入れ替わるようにソファに座った牧野が、ノリノリの提案をしてくれる。だけどわざとらしいポーズより、自然体でいてくれたほうがありがたいという気持ちが強かった。正直、私も絵において見栄えするポーズなんて知らないし、それは牧野にしても同様だろうから。
「いや、友だちと話してるときみたいな、何気ない感じのほうがいいな」
「何気ない……感じ……?」
しかし私のだした注文が難解だったのか牧野は混乱を窮めた前衛的なポーズを取っていた。
笑いをこぼさずにいられたのは、牧野の表情があまりにも真剣だったからだ。
「や、無理に『モデルやってる』とか意識しないでいいよ。動かれるのは困るけど、スマホとかイジってくれてるぐらいのほうがいいかも。そっちのほうが、お互いやりやすいだろうし」
スマホをイジるのが嫌いな女子高生なんていないだろうと私はそう提案してみる。
「んー……でも、それじゃあ……」
しかし私の予想に反して、牧野は『スマホをイジること』に難色を示していた。女子高生なんて『触るな』って言われてもスマホに触りたがるものだろうに、いったいどうしてなんだ。
「いや、べつにスマホイジってる姿を描きたいわけじゃないから無理にとは言わないけど」
「じゃあ、触らない」
「わかったよ」
牧野の態度からなにやら頑なさを感じて、私のほうが折れる。
善意のつもりの提案が空回ってしまったせいで、なんとも言えない気持ちになったけど。
そうやって心の中でモニョモニョしていると、牧野がおもむろに口を開いた。
「何気ない感じって言ったよね」
「え、ああ。そうな」
それがただの確認の言葉だったから、私も普通に返答できた。
「話題とか世間話とか振ってくれるとありがたいかも。そしたら自然体になれる気がする」
「あー……?」
しかし牧野がそこに続けた言葉が、私にとって、よくわからないものだった。
……話題? 世間話?
今までの人生で絵しか描いてこなかったコミュ障人間になにを求めてるんだ、こいつは。
「よく写真家とかが撮るとき笑わせてくれるじゃん? あんな感じのやつ」
私の『あー……?』を牧野は『詳しく説明しろ』と言いたいのだと解釈したらしかった。だけど牧野が口にしたのは、単にハードルをあげて私の首を丁寧に絞め直すだけの言葉だった。
「…………………………」
牧野としては『建設的な提案』のつもりだったんだろうけど、私からしたら単なる『無茶振り』だった。そのせいで私は不出来な沈黙を広げて、準備室の空気をさらに濁らせてしまう。
沈黙が足元に溜まっていくこの感覚は苦手だった。
泥のように堆積した沈黙が足に纏わりついてきて、次の発言のハードルがあがっていく。つい数十秒前まで『不快感』で済んでいた感覚が、一瞬で転落事故になる可能性もあるのだ。
……あー、適当な話題でも振るか。
無理に小粋なトークを繰り広げようとしても、自爆する未来しか見えなかったから。それならこれまでどおり、不格好にはなっても、気のおもむくままに話すほうがマシな気がした。
……そういや一個、気になってたことがあるんだよな。
だから私は起きたときから気になっていた疑問を牧野にぶつけることにした。