第2話 私には君を描けない 03
「そんなマンガみたいな起き方するひと初めて見た」
そいつ――牧野は『はあ!?』で起きた私を見て、屈託のない笑いを披露してたんだけど。
なぜか夢の配置がそのまま適用されていた。
というのも、そのままキスでもされそうなぐらい、顔の位置が近かったのである。
そのせいで彼女が笑うたびに吐息が顔にかかるし、なんだったら普通にツバも飛んでいた。
「いやっ、お前、顔近い……」
気心の知れた相手なら――そんな相手、私にはいないけど――こちらから肩を押したりして拒絶できるのに、相手が明らかに格上の牧野であるせいで、私はしどろもどろになっていた。
「あ、ごめんね」
と、思いのほか素直に牧野は顔を離してくれる。
そりゃあ、向こうからしてもこれ以上顔を近づけておく理由なんてなかったんだろうけど。
だったらそもそもどうして私の顔を覗きこんだりしてたんだ? という疑問は残った。
それを掘りさげる勇気も理由も持ち合わせていなかった私が選んだのは無難な沈黙だった。
「なんか昨日と感じ違う?」
「えっ」
「昨日はそっちからもっとグイグイきてたじゃん。私のこと描かせろー! ってさ」
今の私にまともな返答を期待していないのか、牧野は私が口を開く前に捲し立てる。
「あー……」
と私はマヌケな声を漏らしながら、惚けたような顔をする牧野を見つめる。
昨日――いや、明け方まであれだけ追い求めていた美しさが、目の前にあった。
そりゃあ、
「……描きたいよ」
描きたいに決まっている。
だけど私はそこに「描きたいけど――」という気弱な言葉を続けてしまう。それは昨日の私を支配していた『浮かされるような熱』が霧散してしまっていたのもそうだけど、それ以上に、昨日一晩かけたにもかかわらず、牧野の美しさに指先ひとつ届かなかったことも原因だった。
「描きたいけど?」
私の気など知らないで、牧野は無邪気な顔で続きを促してくる。
「と言うか、えっと、いま何時? そろそろ教室行かなくちゃ……」
気弱な私がそんな感情を他人に晒せるわけもなく、ごまかすようにそう尋ねてしまう。コミュ障丸だしの会話に辟易されないかと不安だったけど、牧野はイヤな顔ひとつせずに答えた。
「あっ、もう九時過ぎてるよ」
「えっ!?」
しかし牧野が口にした『回答』が予想斜め上だったせいで私は驚愕してしまう。だって、
「九時ってもう授業始まってんじゃん!」
九時が過ぎてるとなれば、もう一時間目の授業が始まっているはずなのだ。
この女はなにをのうのうと私の寝顔を眺めていたんだ!?
「えっ、なんで起こしてくれないの!?」
「えっ、起こすのが可哀想なぐらいぐっすり寝てたからかな」
こういうときって普通起こすんじゃないの!? と驚愕してた私に、こういうときは起こすほうが無粋だろうと言いたげな牧野。もはや思想の時点で食い違っているのがわかってしまう。
……もうなにを言っても無駄だろうな。
今この瞬間のやりとりでどうにかできる問題とも思えなかったから私は諦める。
そもそも悪いのは目覚ましもかけずに眠りこけていた私のほうだ。
なにより責任の所在をうやむやにしてみても、起きてしまった問題はどうしようもない。
だから私は目下の問題と向き合うことにする。
つまりこれからどうするかという問題である。
「……どうしようかな」
続けざまに訪れた驚愕のせいで、あれだけ根を張っていた眠気はすでに散っていた。
かと言って、こんな中途半端な時間から教室に乱入する気も起きない。
「どうしようね」
私の独り言をなぜか拾いあげて、牧野が相づちじみた言葉を呟く。
「どうしようって、牧野はどうするのさ」
「真辺に任せるよ」
何気ない感じで牧野が呟くが、それはただの丸投げだった。
「いや、任せられても困るが。私が授業受けに行くって言ったら、一緒にくるわけ?」
「うん」
「さいですか」
これはまた面倒なことになったなと、つい適当な返事をしてしまう。
「サイじゃなくて牧野ですが」
私の返事を牧野は再び拾いあげて混乱を助長するようなことを呟いてくる。
「そんなアホな話はしてない」
だれがサイとお前を間違えるんだよと、最低限のツッコミだけ入れておく。
「えっ、じゃあなにと間違えたの?」
どうやら素で私の言葉を理解してなかったらしいが、丁寧に説明してやる気も起きない。
とりあえず私は目下の問題に再度目を向ける。
「んー……」
私ひとりなら授業に参加するのもやぶさかではなかったけど、牧野がくるなら話は別だ。ふたり仲良くまったく同じタイミングで教室に入っていくのは面倒なことになりそうだったし。
かと言って『別々に教室に行こう』と提案するのも、意識し過ぎて気持ち悪い気がする。
そんなことを悶々と考えてるのも面倒になって、私は教室に行くのを早々に諦めた。
……どうせ最初から学校なんてサボる予定だったんだ。
それなら『バスを寝過ごした』とか適当な理由をつけ、て二時間目から登校すればいい。
「一時間目は諦めて二時間目から受けることにする」
「わかったー」
私の従順な部下かなにかなのか、牧野はそうふたつ返事を寄越す。ここまで思考を放棄されると、どこまで無理難題に従ってくれるのかと、邪な想像をしてしまう。昨日、今日でちょっと話すようになっただけの相手にそんなことをする気にもなれなかったから黙っていたけど。