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第2話 私には君を描けない 02




 ヘタに家にいると姉につつかれて面倒だったから、私は宣言どおり、カップ麺を食べ終えると同時に登校の準備をして、さっさと学校に行くことにした。開校時刻から三〇分ほどたったところで学校に辿り着いた。グラウンドからは朝練に勤しむ若人たちの声が聞こえてくる。開校時刻――いや、もしかしたらそれよりも早く集まって練習しているのかもしれない。そうした掛け声を横目に、校門や昇降口を抜けて、無人の廊下を歩いていく。正直、眠気はすでに極限状態だった。『眠い』という欲求を通り越して、目を開けていると一瞬で目が乾いてくる。


 目を瞑ると歩きながらであっても意識がトびそうになる。

 これは危ないと私は目をカッと開いて廊下を歩いていく。

 夜のあいだに冷やされた廊下は、外よりも心なしか肌寒いような気がした。


 ……美術準備室でちょっと寝るかな。


 昨日の牧野がそうしていたように、ソファをベッド代わりにすれば、さぞかし気持ちがいいだろう。そうと思い描いた瞬間、抗いがたい誘惑に駆られた私は早足で準備室を目指した。


 そして私は準備室に辿り着くと同時に、上着を脱ぎ捨ててソファに倒れこむ。

 ぼふんっ……と半分死にかけのスプリングが、それでも私のことを押し返す。


 廊下同様に冷えこんだ準備室。

 ソファにも当然ひんやりとしていたけど、その中に柔らかな感触が混ざっていた。


 ……ん? これって。


 倒れてから気づいたんだけど見慣れないタオルケットを下敷きにしていた。わざわざ起きあがるのも面倒だったから、ぐりぐりと重心をズラしながら、数十秒かけてタオルを発掘する。

 間近に掲げてみても見慣れない、どこか真新しさを残す、スヌーピーのタオルだった。


 ……まあ、いいか。ちょっと肌寒かったところだし。


 上着を羽織るほどじゃないけど、制服だけだと心もとない。

 そんな需要の隙間を縫うのに、そのタオルケットはちょうどよかった。


 だから私はそのタオルケットを首から下にかけてみたんだけど、布地がふわりと舞うと同時に『メチャクチャいい匂い』という死にかけの語彙でしか表現できない匂いが漂ってくる。甘い石鹸のような匂いの中に、かすかに香ばしいチョコ菓子のような匂いが染みこんでいる。


 安眠を促すために匂いでも染みこませてあるのだろうか。

 それともこのタオルケットの元の持ち主の匂いなのか。

 それを推理しようと頭を働かそうとするけど、弩級の睡魔が私を襲ってきたものだから、私はそのまま睡眠の底へと沈没した。眠気の端で、なにか妙な音が聞こえた気がしたけれど。


 そこに続く異音はなかったから、私の安眠は妨げられなかった。


 睡眠の水底で夢を見た。

 その夢の中でも私はソファで横たわっていた。

 だけどそのソファは馬鹿みたいに大きくて、ひとがふたり横たわっても余裕がある。それはソファの大きさを表す比喩ではなくて、そのソファには実際もうひとりが横たわっていた。


「牧野じゃん」


 私はいつだったか呟いた言葉をそのまま隣の女に投げかける。

 牧野も牧野で「あ、真辺」なんて、そこで初めて私に気づいたような顔をしていた。


 それからなんの言葉もないまま、牧野が私の体をぎゅうと抱きしめてくる。

 私もそうすることが自然であるかのように牧野の体を抱きしめる。


 ……メチャクチャいい匂いするな。


 どこかで嗅いだことのある匂いなんだけど、その正体がわからない。なんだかもう少しで正体を掴めそうな気がしたから、私は牧野の胸元に顔を埋めるようにして思いきり匂いを嗅ぐ。

 匂いよりも先に胸の柔らかさが私の意識を漂白してしまったけど。

 胸の柔らかさといい匂いのせいで、私の意識がどろりと蕩かされる。


「あはは、くすぐったいよ」


 と笑いながら牧野が私の体を引き剥がす。

 当然『メチャクチャいい匂い』が遠ざかっていくものだから私は牧野を睨んでしまう。


 ――もっと嗅がせろ。


 という言葉がでてこなかったのは夢と言えど最低限の理性は残っていたからかもしれない。


「…………………………」

「んー? あ、わかった」


 無言で睨み続ける私の伝えたいことがわかったのか、牧野が再び近づいてきてくれる。

 おっ、物わかりがいいじゃないか、と私も牧野の体を受けとめようとするんだけど。

 牧野は途中で体を近づけるのをやめて、しかしその顔だけが私に近づいてくる。

 私もまたそうするのが当然のように牧野に顔を近づけて。

 なぜか私たちはキスしていた。


「はあっ!? あっ、えっ……?」


 という馬鹿みたいな声を境に、私の体に重力が戻ってくる。

 そこは先ほどまでの馬鹿デカイソファではなく、準備室に置いてあるこぢんまりとしたソファだ。部屋それ自体に染みこんだ油絵と画材の匂いが、ここが現実なのだと教えてくれる。


 しかし夢から引き継いでいることもある。

 それは『メチャクチャいい匂い』と、その発信源であるタオル――ではなく女だった。


「そんなマンガみたいな起き方するひと初めて見た」


 そいつ――牧野は『はあ!?』で起きた私を見て、屈託のない笑いを披露してたんだけど。

 なぜか夢の配置がそのまま適用されていた。

 というのも、そのままキスでもされそうなぐらい、顔の位置が近かったのである。




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