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第10話 私は君を描きたい 11




 ヨドバシカメラを一通り周り終えた頃には昼も過ぎていたので、すぐ隣の高架下にあるラーメン屋で豚骨ラーメンをいただくことにした。牧野のイチオシだというそのラーメン屋は、細麺が啜りやすくて、味もさっぱりしていたので食べやすく、柄にもなく替え玉を注文してしまったほどだった。隣の牧野は替え玉を三杯――合計四杯近く食べていたけど。私が心配するようなことじゃないけど、そんなに食べて体のプロポーションを維持できるなという感じだ。腹ごしらえも済んだところで、牧野が大通りのほうに行きたいと言い始めた。マッサージチェアとラーメンのおかげで足もだいぶ回復していたからその言葉に従うことする。高架下からでて空を仰ぐと、青々とした空が私たちのことを見おろしていて、どちらともなく笑ってしまう。


「晴れちゃったね」


 横断歩道を斜めに進みながら牧野は小さな声でそう呟いた。


「雨、好きなのか?」

「えっ、べつに?」

「だったら『晴れちゃった』はおかしいだろ」

「えっ、あっ、そっか」


 と慌てながら、それでも牧野はどこか楽しそうだった。


 だったらどうして『晴れちゃったね』なんて言葉がでてきたのだろう。その理由が私と同じであってくれたならと願うけど、私が探りを入れる前に、牧野が話題を続け始めた。私も無理に探りを入れる必要は感じなかったから、そのまま牧野の話に黙って耳を傾けることにした。


「でも雨具は好き。長靴とか、合羽とか。水の音とか」

「牧野は意味もなく水溜まりの上に跳びこんでいきそうだもんな」

「そうそう。で、いっつも友だちに怒られてた……あっ、今はもう大丈夫だよ!」


 と、なんの心配をしているのか、牧野が慌てた調子でつけたした。

 私が牧野の動向を警戒して、距離でも置くと思われていたのかもしれない。


「真辺は雨とか雨具とか、好き?」

「んー……考えたことなかったな。雨と雨具か……」


 ひとつだけ確かなのは無闇やたらと体を覆う雨具は嫌いだということ。傘も手が塞がるからあまり好きじゃない。雨が降ってるとわかっていても小雨程度なら手ぶらで出かけてしまう。


「あんまり好きじゃないと思う」


 だから私がそう結論づけるのにそう時間はかからなかった。

 牧野本人だってそこまで雨のことなんて好きじゃない癖に。


 彼女の表情が露骨に落ちこんでいたものだから私は言葉を続けてしまう。


「でも……雨の音はいいな」


 雨粒が私たちを誘うように、屋根や窓、傘を叩くあの音は悪くない。ときおり集中力を削ぐこともあるけど、そういうときは最初から集中なんて出来ていなかったのだろうとも思う。


「そうだよね!」


 なにがそんなに嬉しいのか、牧野は我が事を褒められたように顔を喜びで染めあげる。どこにそんな元気を残しているのか牧野はいても立ってもいられないといった調子で走り始める。


 苦笑が漏れるのを堪えきることはできなかったけど。


 それでも牧野が駆けだしてしまったら、私はどこまでも追いかけてしまう。それが『ひとを好きになる』ということなのだと思うと、私は自分自身の単純さに呆れてしまうのだった。



       ○



 それから私たちはなにをするでもなく――と言うのが一番ただしい表現だと思う――大通りやすすきの周辺をぶらついていた。用なんてあるはずがない百貨店を冷やかしてみたり、私がどんな画集を眺めているのか興味があるという牧野を大型の書店に連れていったり、コンビニで買ったスタバのチルドカップを、大通り公園の噴水を眺めながら飲んでみたりしていた。ベンチに座ると肌寒さが勝ってしまうから、周囲をぐるぐると歩き回りながらだったけど。そうこうとしているうちに、あっという間に陽が沈み、周囲は深い藍色に包まれてしまった。


 時刻は五時過ぎで、そろそろ帰宅を視野に入れたほうがいい時間帯だった。

 飲み食いはさんざんしたから、最後に夕ご飯を――という感じでもない。


「最後、行ってみたい場所があるんだけど、付き合ってくれる?」


 最後にどこへ行くのだろうと疑問に思っていた私に、牧野はしおらしい調子でそう尋ねた。ここまで牧野に行き先を丸投げしていたのだから、今さら断る理由もないと、ふたつ返事で了承する。私の快諾に大喜びしながら、牧野が向かった先は狸小路商店街を一本外れたところにあるノルベサという複合施設だった。中には雑貨店、居酒屋やレストラン、カラオケと、さまざまな店が並んでいる。牧野はまっすぐにエスカレーターへと向かうと、そのまま黙々と上階を目指し始めた。彼女が向かったのはノルベサの最上階で、そこになにがあるのかと言えば、


「観覧車! 一回、乗ってみたかったんだよね!」


 屋上に展開している観覧車だった。


 一面ガラス張りの壁の向こう、夜仕様の観覧車が煌びやかに輝いている。


「観覧車」


 ガラスがそのまま意識の壁となっているようで、自分とは無縁のものとしか感じられない。そのせいで私にできるのは牧野が口にした一部の単語を、そのまま復唱することだけだった。


「あっ、もしかして真辺、高いの苦手だった……?」


 私の芳しくない反応から、牧野にしては珍しく、順当な結論に着地してみせる。


「いや、高いのは大丈夫なんだけど……ただ、観覧車とか見るのも初めてだなって思って」


 このあたりに観覧車があること自体は知っていたけど、用もないのにこんな場所を訪れたりはしないし、うちの家族は姉以外が全員出不精で、姉も姉で、世話好きの幼馴染みと一緒にでかけることで外出欲は発散されていたようだから、私は遠出らしい遠出をしたことがない。


 それを不幸だと思ったこともないから私は家でお絵かきばかりをして過ごしていた。


「えっ!? 真辺、遊園地とか行ったことないの!?」

「ないな」


 遊園地に行くことを義務教育かなにかだと勘違いしているような調子で牧野は叫ぶ。べつに遊園地に対するコンプレックスなんて抱えてなかったから、私も私でにべもなく返したけど。


 いったいどんな反応を続けるのだろうと見守っていた私の視線の先で、


「じゃあ、今度一緒に行こっか」


 牧野はにへらと笑いながら、そんなことを呟いていた。


「冬のあいだはどこも休業だろうから、来年の夏にでも一緒に行こうよ! ね?」


 最後に乗っけた疑問符の存在を自分で忘れてしまったのか、牧野は私の返事も待たずに「楽しみだなー……なに乗ろうかなー……」と一瞬で来年の遊園地に意識をトリップさせていた。


「いや、行くなんて一言も言ってないけど」


 牧野をからかってみたくなって、そんなイジワルを口にする。


「行かないの!?」


 対する牧野は天国から地獄に突き落とされたような顔をしていた。

 喜びと悲しみの落差が大きすぎて、見ているこちらが不安になる。


「い、いや、行きたいけど、来年のことだしさ」


 そもそも牧野との付き合いがそれまで続いているかもわからない。絵を描いたり、描かれたりすることへの目新しさがなくなって、私に飽きてしまう可能性だって高いような気がした。それだけではなく、ケンカ別れする可能性もあれば、どちらかが転校する可能性だってある。


 一年近く先のことなんて、だれにもわからないから。


 もしそうなってしまったら、遊園地に行くという約束だけが、虚しく宙ぶらりんになってしまう。もしもそんなことになってしまったら、楽しみにしていた分だけ悲しみがのし掛かる。


 それこそ先ほど妄想だけで天国から地獄に突き落とされた牧野のように。

 だから約束を取りつけるのはもう少し先でいいんじゃないかと思ったんだけど、


「来年だからなに?」


 私が説明していないんだから当然だけど、牧野はこちらの心配をまったく理解できていない顔で、私の顔を見つめていた。その顔は『なにも考えていない』ようにも見えるけど、それ以上に『来年の夏も私たちの関係が続いていることをなにひとつ疑ってない顔』に見えたのだ。


 私がそう見たかっただけかもしれないけど。


「……いや、なんでもない。来年、一緒に遊園地、行けたらいいな」

「行けたらじゃなくて行くんだってば!」


 私が発露したわずかな弱気も許さず、意気込んだ様子の牧野が私の手を掴む。


「とりあえず今日は下準備ってことで! 今日、観覧車に乗ったら絶対行きたくなるから!」


 そう力強い調子で告げて、牧野は屋上へと飛びだしていく。




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