第10話 私は君を描きたい 10
「真辺ー? 気持ちよすぎて失神しちゃった?」
自分の妄想に溺れて言葉を失っていた私に牧野が確認の声を投げかけてくる。
「う、うるさい! 今それどころじゃないんだよ!」
完全にとち狂っていた私は牧野の心配を無下にしてしまう。しかしそれに対して牧野は気を悪くするどころか「あはは、どんだけハマってるのさ」となにかを勘違いして笑っていた。
「私も集中しよっと」
そう謎の宣言すると、本当に牧野は黙り始めた。
しかし言葉を放たずともその口からは、強すぎる刺激に反応して、喘ぎじみた声が漏れてしまっていた。そもそも牧野は静電気に負けるぐらい刺激に弱いはずで、さらに言うと口がめちゃくちゃユルいのだ。そりゃあ口を閉じていても、声ぐらいいくらでも漏れてくるだろう。
いつものバカみたいな調子で声をだしてくれればただの笑い話で済むんだけど。周囲に客がいるせいか、それとも『集中する』と宣言してしまったせいか、無理に声を堪えようとしているせいで、なんか、こう、表現するのも憚られるような、アレ気な声になってしまっていた。その声は抑えられているから私の耳に届くのでやっとだったから、周囲の客にその声を聞かれる心配はなかったけど。その絶妙な匙加減が、かえって私のことを楽しませてくれていた。
……いや、楽しくなんてないけど!
この状況を楽しんでいる余裕なんてあるはずがない。だけど私の気持ちをよそに、牧野の声によって豊かな私の想像力が刺激されて、どんどんあらぬ方向に妄想が広がってしまう。
最終的に私と牧野が子どもを作っている場面まで妄想が発展していった。
――いや、できないから!
自分の妄想に迫真のツッコミを入れるけど『本当にできないの?』と私の中にいるなにかが囁いてくる。それはたぶん心の中の悪魔的なあれだったと思う。悪魔は『将来的になんとか細胞の恩恵で同性間で子どもを作ることも不可能ではないかもしれないってニュースかなんかでやってなかった?』と偏差値が高いのか低いのかわからないことを好き勝手に曰ってくる。
……もし仮に子どもができるようになったとして、それと喘ぎ声は関係なくない?
『……………………………………』
……なんでそこで黙るんだよ!
『それはそれ、これはこれじゃん』
これが精神の安定化を図る心の防衛反応だということを察した私は、開き直って会話を続けてみることにした。悶々とひとりで妄想しているよりは幾分か健全な気もしたから。しかし、
『だけどもし仮に牧野との子どもが作れるとしたら……どっちが生むんだ?』
――えっ!? どっちがって……ええっ!?
私は今までまともに恋なんてしてこなかった。たぶん性欲は人並みにあったけど、それは単なる欲求でしかなくて『子ども』とかそういうものに結びついたことは一切なかった。だけどもしも牧野と子どもを作れるのだとしたら、私と牧野のどちらかがその子を生まなければならない。妄想の上に妄想を積みあげている自覚はあるけど、考える必要性はある気がした。
……わ、私が生むのか?
牧野はモデルとしての仕事もあるだろうから、ボディラインを崩すわけにはいかない。そこに選択肢があるのであれば、私が生むのが妥当のように思われる。しかし牧野であれば、おなかに子どもを宿したその姿さえも美しいはずだ。最近は『マタニティモデル』なんてものもあるぐらいだから。世間に需要がなくとも、私がその姿を描きたいという想いも芽生えていた。
「だったらもう交代交代でひとりずつ……」
……生むのがベストか? と謎の結論に着地したところで、
「なにが?」
いきなり声が聞こえてきて、慌てて目を開けると、なぜか牧野が私を見おろしていた。
「えっ、あっ、お前、なにしてんの?」
「なにってマッサージ終わったから……真辺こそなにひとりでぶつぶつ呟いてたの?」
交代交代とか言ってたけど? と私の言葉の一部を口にし始める。
……私と牧野の子どもの話。
なんて言い始めたら、最寄りの病院に閉じこめられそうだった。しかし私は自分の中の悪魔(?)との会話に夢中になりすぎていたせいで、どこから口にしていたのかすらわからない。
「マッサージチェア……部費で買ったら……交代交代で使えるなって……思って」
牧野の反応を覗いながら一言一言、区切るようにして口にしていく。牧野の顔は『部費で買ったら』の時点できらきらし始めて、言い終えた瞬間、食ってかからん勢いで口を開いた。
「部費ってそんな自由に使えるの!?」
「いや、使えないけど」
「使えないの!? なんだったの今の話!?」
マッサージチェアへの期待が大きすぎたせいか、牧野の声はやたらと大きく、コーナーを跨いだ向こうまで響いているようだった。私もちょうどマッサージが終わったところだったし、自分が学校指定のジャージを着ていることを思いだして、その場から逃げだすことにした。
牧野はしばらくぶーぶー言ってたけど、歩いているうちに忘れてくれたようだった。鳥頭を地でいく女でよかったと安堵しながら、もうしばらく、ヨドバシカメラを回ることにした。
「あっ、電子ピアノ! 私ピアノ弾けるんだよ!」
なんて牧野が言うから『どうせ猫踏んじゃったとかその辺だろうな』と思いながら弾かせてみたら、何食わぬ顔でトルコ行進曲を弾いてみせたものだから、普通に驚いてしまった。
……要所要所で育ちがいいんだよな。
全体的な印象としては『落ち着きのない子ども』という感じなんだけど、ちょっとした所作や姿勢のよさになんとも言えない風格が漂っているときがあって、そういう姿を見ていると、もしかしたらいいところのお嬢さんなのかもしれないな……なんて思ってしまいそうになる。
……なんとなくバレエとか習字とかもやってそうだしな。
私の反応がよかった為か、律儀に曲を弾き終えた牧野を連れて玩具コーナーへ。それから理由もなく家電のコーナーを冷やかして、よくわからない形容しがたい気持ちになっていた。具体的には『もしも牧野と暮らすことになったらいろいろ買ったりしなくちゃだもんな』という気持ちだった。さっきの『子ども』といい気が早すぎるし、気持ちが悪すぎる気がした。