第10話 私は君を描きたい 08
「真辺……どうかした?」
「あ、いや……なんでもない」
だけどこの話の流れでいきなり自分語りをするのもおかしいだろうから。
私は胸の奥から湧きあがってきた温かなものを飲みこんで、話題を振る。
「でも、牧野はモデルになったんだろ?」
「うん。不安でいっぱいだけどね」
「じゃあ、牧野だって『ちゃんとしてる』だろ。マンガとか雑誌、動画とか見てても、モデルになるための努力は厭わなかったんだろ? 知ったような口聞くなって怒られそうだけど。モデルって、たぶん『過程そのものが楽しいタイプの職業』じゃないと思う。むしろその逆で、美しく見られるために自分の体をコントロールするってのは、凄く大変なことだろうなって、そう思うんだよな。だってそれって『日々の積み重ね』でしか成り立たないものだから。だから牧野は私の知ってる中で、だれよりもちゃんとしてるよ。私が言うんだから間違いない」
そこまで言い終えたところで、熱っぽく語りすぎたかと後悔する。
気持ち悪がられてないかと不安になって牧野の横顔を見つめてしまう。
視線の先の牧野はと言うと、なぜか唇をとがらせて、もごもごさせていた。
「……牧野?」
「あっ、えっ、なに?」
「ひとの話、聞いてたか……?」
「き、聞いてたよ! ただ、噛み締めてただけ!」
牧野は慌てたようにそう叫ぶ。
「あ……そう……か?」
ただ、今のは何気ない勢いで口から飛びだしてきた言葉だったから、そんなふうにマジマジと噛み締められると困ってしまう。戸惑いと疑問符が混じった私の言葉に、牧野は頷く。
その顔はまだ私の言葉を噛み締め、味わっている顔だった。
「努力ってさ、他人に、見せたくないじゃん」
数十秒かけて私の言葉を飲みこんだ牧野は、彼女にしては珍しく固い声で呟いた。普段の彼女の印象とは異なるその物言いのせいで、私はその言葉を吟味してしまう。私個人の感想としては『べつにどちらでも構わない』というものだった。見せたい! とも見せたくない! とも思わない。見たいなら見ればいいけど、私の努力を見たいやつがいるとも思えないし。
「自慢げに見せつけるものでもないよな、とは思う」
だから私が牧野に返したのは、白黒を濁したような、そんな曖昧な答えだった。
「私はそういうの見せたくないの」
普段の牧野ならたいして気にすることもなくスルーしそうな言葉だったけど。
牧野は『そこが重要なのだ』とでも言うように、その言葉を強調していた。
「だけど……いや、だからなのかな。真辺にそう言って貰えて、凄く嬉しかった。結果だけじゃなくて、結果を通して、そこに至る過程を思い描いてくれたのは……真辺が初めてだから」
その声は硬質を通り越して、感情を湛えて震えていた。
重力に引かれるように自然と牧野の横顔を見やると、その目には涙が浮かんでいて。私は見てはいけないものを見てしまったような心地になって、そっと周りの景色へと視線を移した。
「頑張っててよかったなって、全部報われた気持ちになっちゃう」
言い終えると同時に牧野の目から涙が伝い落ちる様を想像した。
それはこの霧雨と同じぐらい慎ましく、綺麗で、私の心を奪い去る雫だったに違いない。そんなものを見てしまったら、今すぐ彼女の姿を描きたくなっていたはずだから、視線を逸らしておいて正解だったと思う。牧野もまた、しばらく私から視線を逸らして歩みを進めていた。
「あははっ、柄にもなく、なんか真剣に話しちゃった」
黙々と両足を動かすことで気持ちを落ち着かせることに成功したのだろう。
牧野は普段どおりの調子――に雨粒を一滴だけ垂らしたような声をしていた。
「いいだろ。たまにはこういうのも」
普段のバカみたいな話も好きだったけど、こういう生真面目な話も悪くない。他人に努力を見せるのを嫌う牧野は、自然とこういう話も避けて生きてきたはずだから。そうした『普段はだれにも見せない部分』を私にだけは見せてくれているのだという想いが少なからずあった。
「それにこれからだよ。牧野はこれからもっと、努力が報われていくはずだ。こんなところで満足していないで、もっと走り続けろよ。私はそんな牧野のことを、眺めてたいんだから」
だから牧野の生真面目さに報いるようにそう告げたんだけど、
「私も私で……柄にもないこと言っちまったな」
今度は私が気恥ずかしさに襲われてそう独りごちてしまう。
「えっ、真辺はいっつもこんな感じだけど」
それに対して牧野は意外そうな顔でそんなことを呟いていた。
「えっ!? こんな感じじゃないだろ。なに気持ち悪いこと言ってんだよ」
てっきり牧野は軽い冗談のつもりで言ってるんだと思ったんだけど、その顔は真剣そのもので、だから私は今までの自分の言動を振り返ってみたんだけど、途中でやめてしまった。
なんだか牧野の言い分がただしいような気がしてしまったから。
その代わり、私は会話を放棄して、周りを見回す。
会話を完全に放棄して降伏することを示したつもりだったけど、それ以上に私は『見知らぬ街の風景』を見るのが好きだったから。ここは札幌市内だから、結局のところどこに行こうと風景は似たり寄ったりだけど。初めてなのに見慣れているという奇妙な感覚が好きだった。
しかし数十秒かけて周囲を見回した私の中にとある疑問が湧いてくる。
「駅……こっちだったか?」
入ってきた場所と出口が異なり、北条の関係者を避けるように移動していたにしても、すでに二〇分くらいは歩いている。会場から駅までは一本道になっているから、そろそろ行きのときの風景と重なってもいいはずなのに。依然としてそこは『初めて見る風景』だったのだ。
「えっ、真辺が先導してくれてたじゃん」
「はあ? 私はお前について行ってるつもりだったんだけど」
一瞬で疑問が氷解し、私はスマホの地図アプリで現在地を確認する。地下鉄の駅を目指していたはずが、会話に夢中になるあまり、完全に明後日の方向へと歩いていたようだった。これなら無理に真駒内駅を目指そうとはせず、一個先の『自衛隊前駅 』を目指したほうがいい。
という話を勝手に私のスマホを覗きこんでいた牧野に振る。すると、
「じゃあ、駅に行きたくなかったんじゃない?」
牧野はそんなトンチンカンな問を投げかけてきた。
「はあ?」
「私たちがふたりとも駅に行きたくなかったから、こんなことになってるんだよ。電車に乗るんじゃなくて、こうやって歩いてるほうが楽しいだろうなって心のどこかで思ってたから」
牧野の言葉は子どもの発想ぐらい突飛なものだったけど。
なぜか私の心は自然と納得してしまいそうになっていた。
それはきっと牧野の言うとおり、今この瞬間を私が楽しんでいたからだった。
「……………………」
「歩く?」
自分の想いを掴みきれずに沈黙していた私に牧野がそう問を重ねてくる。
「歩くって……どこまで」
「札駅まで」
「……何時間かかるんだよ」
「んー……二、三時間かな?」
牧野は軽い調子で言うけど、現代人が地下鉄を素通りして、そのまま何時間も歩き通すのはなかなか酔狂に思われた。しかし牧野の顔を見ていると意見はすでに決まってるようだった。
「私は真辺と一緒ならいいよ」
その証拠に牧野は私の顔をまっすぐ見つめながらそう言ってのけた。
「…………………………私もいいよ」
牧野にそこまで言われて強情を張る理由もなかった。どうせ札駅についたところでなにをするかは牧野に任せきりになるのだ。だったらこれぐらいのワガママぐらい付き合ってもいい。
なにより牧野の顔を見ていると、その提案がとても素敵なもののように感じられたから。
「じゃあ、歩こうか」
そう囁いた牧野に頷いて、私たちは札駅を目指して歩き始めたのだった。




