第10話 私は君を描きたい 06
「これからどうしようか」
牧野もそれは同じだったのか、彼女のほうから、そう問いかけてきてくれる。
正直、私からそれを提案する度胸はなかったからありがたかった。
「んー……」
しかし、なんと答えるのが正解なのかわからなかった私は、唸るばかりで沈黙してしまう。牧野となにかしたいという想いはあったものの、私なんかが誘っていいものか……という不安はあったし、それ以前に誘い方がわからない。もし仮に誘えたとしても、それからどこでなにをするのかを決める能力は皆無だ。だから私は黙って牧野のことを見つめるしかなかった。
「マラソン……する?」
無言の私に牧野はなにをとち狂ったのか、そんな提案をしてくる。
「いやー……」
と私は言葉を濁しながら牧野の様子を観察する。
冗談だろ? とは思うものの牧野の発言ならもしかしたら……と思ってしまう私がいるのも確かで。しかし牧野のことを見つめたところで答えがわかるわけもなく混乱するだけだった。
「牧野がやりたいなら……」
私が選んだのは『ツッコミ』ではなく『安全パイ』だった。実際、牧野と一緒にいられるのであれば、マラソンだろうとなんだろうと構わないという想いは、多少なりともあったから。
「じょ、冗談だよ!」
しかし私の返事が『意外と乗り気っぽい』ものだったせいか牧野は慌てた様子で叫んだ。
「マラソンなんかやりたいわけないじゃん! 真辺、どんだけマラソン好きなのさ!」
私たちがどれだけ騒いでも動じなかった周囲の人びとが、牧野のその一言にざわつくのがわかる。そりゃあ、これからマラソン大会を行う会場で言っていいセリフじゃなかったけど。この場合、やりたくもないマラソン大会に無理やり参加させている学校側が悪いと思いたい。
「バカ、お前。場所考えろ」
しかしこの場所ですべき話題ではなかったのも確かだったから私は牧野の手を引いて場所を移すことにする。通路はスタジアムを囲うように円を描いているから、それを伝って、円の四分の一ほどを移動する。外にでてもよかったけど北条の関係者に見つかりたくもなかった。これぐらい移動すれば充分だろうと思い、手を離して振り返ると牧野がもにょもにょしていた。
恨めしげな色を帯びているような
縋りつくような色を帯びているような。
睨みつけるような調子なのに、瞳がわずかに潤んでいる。
そんな、なんとも言えない意地らしい視線だった。
「……どうかしたか?」
「あっ、いや、なんでもない」
私がつつくと牧野は絶対に『なんでもある』とわかる声で答えて、手をうしろに持っていった。果たして、その仕草に意味があるのか……? と勘繰っていた私に牧野が顔が寄せた。
「真辺、これから暇……?」
グッと顔を近づけながら、牧野が尋ねてくる。
きちんと距離を取ったはずなのに、また生温い吐息が鼻先に触れる。こいつはひとの顔に自分の吐息を浴びせるのが趣味なんじゃないのか? なんてことを考えてしまう始末だった。
……だけど暇かどうか尋ねてきたってことは。
私と時間を潰したいということだろうか。
ここまでストレートに尋ねてきてるんだから、他の可能性はあり得ないと思うけど。
「マラソン大会やる予定だった時間が暇じゃなかったらヤバいだろ」
緊張のせいか期待のせいか、そんな言わなくてもいいようなことを言ってしまう。
……普通に暇だって答えればよかったじゃんかよう!
さすがにトゲがありすぎたかもしれないと牧野の様子を覗っていると、
「あはっ。それもそうだね」
と、牧野が楽しげに表情を綻ばせていたものだから安堵する。
「じゃあ、どっか遊びに行かない?」
「あっ……」
今日の朝『中止になるかもしれない』と察していたときからずっと欲していた言葉をそのまま与えられて、感極まった私の口からは、ただ気持ち悪いだけの声が漏れてしまう。喜びと自己嫌悪の板挟みに遭った私は、そこから言葉を紡げずに、やっぱり気持ち悪い反応をしていた思う。いつまでたっても反応らしい反応を示さない私に、牧野が焦れたように口を開いた。
「あ、やだったら言ってね……私は、今日は暇だし、どっか行きたいなって、思っただけ」
「あっ! やっ!」
「やなの……?」
私の言葉の一部分を拾いあげた牧野が、不安気な顔でそう尋ねてくる。
「やじゃない!」
牧野にそんな顔をされるのが不本意すぎたせいか、私の口から勢いよく否定の言葉が飛びだしてきた。その言葉と一緒に喉元につっかえていたものが吐きだされたのか、私はようやく落ち着いて呼吸ができるようになる。数回の深呼吸で気持ちを整えてから、改めて口を開いた。
「行きたい」
と告げたんだけど今度は落ち着きすぎて、声がふにゃふにゃになっていた。
咳払いでどうにか声に芯を通してからもう一度口を開く。
「牧野と遊んでみたい、私」
私の言葉を受けて、牧野の表情が口元から『じわあ』となる。もうちょっとマシな表現を思いつきたかったけど、そうとしか表現できないぐらい、それは見事な『じわあ』だった。無理やり別の表現をつけるなら『今の私の声みたいにふにゃふにゃしてた。』かもしれない。
「凄い顔してるぞ」
「えっ!?」
私の言葉を受けて牧野が両手で自分のほっぺたや鼻をペタペタ触り始める。こいつは指先の感触で『自分が今どんな顔をしているのか?』がわかるのだろうか。だとしたらちょっとした超能力だ。まったくもって使いどころがなさそうな能力だけど、そこがなんだか牧野らしい。
しばらく自分の顔をこねくり回した末に「よし」と呟いて、こちらへと向き直る。依然としてなにが『よし』なのかはわからなかったけど、その顔は確かに普段の彼女のものだった。
「それなら札駅行こっか。そっちのほうが遊べるものあるだろうし」
こういうことに関しては牧野のほうが詳しいだろうから、ヘタなことは言わずに一任することにした。そのまま一番近くにあった出口から外にでると、相変わらずハッキリとしない空模様で、小雨がぱらぱらと降っている。べつに傘がなくても構わないけど持ってるならさしたほうがいいだろうな……という微妙な感じだ。見た感じ、牧野は傘を持っていないようだった。
「牧野、傘は?」
「マラソンだから合羽!」
「……そっか」
まあ、マラソンであることを考えるならそっちのほうがただしいような気もする。だけど、
「そもそも合羽を着なくちゃいけない状況になったら、さすがに学校側が中止にするだろ」
「えっ、あっ……それもそっか。真辺は頭いいなー!」
わっはっは! と牧野はなんとも空疎な笑い声を響かせていた。
ドアを開け放った状態で私たちは互いの顔と、絶妙な空模様を交互に見やる。
私たちのあいだに『言いたいこと』とでも言うべき漠然とした想いが漂っていて、それが私たちの足をとめていた。たぶん牧野も同じことを考えているんだろうな……という予想はあったけど、もしぜんぜん別のことを考えていたらと思うと恐ろしくて、私は口を開けない。
「……入れて?」
結局、怖ず怖ずと口を開いたのは牧野のほうで、私はまたそれに乗っかる形になった。
「……牧野がいいなら……まあ、べつに、いいけど」
素直になれない私は、そうやって、憎まれ口にも似た了承を行うのでやっとだった。
「えっ! 入れて貰うのにイヤとかないよ! あっ、傘、私、持つね」
背高いし、と牧野は私の手から傘を取って、バカみたいな勢いで開く。布地に残っていた雨粒が勢いに乗って弾けて、牧野は散っていった雨粒を眺めて「うむ」と満足気に頷いていた。