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第2話 私には君を描けない 01




 眠れないなら仕方ないと、居直った私はスケッチブックを開いて、絵を描き始めた。


 キャンバスに向かっているときのようなしっかりとした絵ではないけど、それでも描くからには一枚一枚を集中して描かなければ意味がない。この一枚が自分の地盤となることを意識しながら、私は絵を描いてゆく。当然――ではないけど、私が描いていたのは牧野の姿だった。とりあえず先ほど学校で描いていたのと同じ構図で描いてみたり、お喋りしているときの座り姿を描いてみたり、私に迫ってきたときの接写をしてみたりしたけど――全部ボツになった。


 だれに見せるわけでもないからボツというのもおかしいけど。

 それらは完成する気すらおきないような駄作でしかなかった――という意味だ。


 ――ぜんぜんダメだ。


 絵に関する私の記憶力――写真記憶は優れているし、それを表現する技法も持っている。

 私の頭の中にはしっかりと、あの牧野の姿が刻まれているのだ。


 なのにそれを平面に変換する仮定のどこかで、歪みが生じているらしい。

 何枚描いてみても下描きの時点で『これはダメだ』とわかってしまうものばかりだった。

 そして描けば描くほど頭の中の牧野が風化していき、実物が遠退いていく気がした。


 そうやって何枚――何十枚と描いているうちに、気がつくとカーテンの隙間から朝陽がさしていた。こういうときの『眠れない夜』というのは、大抵の場合『夜更け過ぎまで眠れなかった』の言い換えであって、本当に朝まで眠れなかったやつなんてあまりいないのではないか。

 完全に自律神経がバグっているのか、その朝陽が目に入ると同時に強い眠気に襲われる。


 ……どうせ今日は学校に行こうか悩んでたぐらいだしな。


 だったら体調不良を理由に休んでしまって今から寝てしまおうか。


 三大欲求と言うだけあって、一度そうと考えてしまったら、睡眠欲はすぐに抗いがたいものになってしまう。しかも『三大欲求』なんて言ってしまったせいで、食欲まで湧いてくる。

 人間の頭の単純さに辟易しながら、そちらに抗う気もおきない。

 私は為す術なく三大欲求に降伏するしかなかった。


 ……寝る前にカップ麺でも食べて寝よう。


 年に一回ぐらいそういう日があってもいいだろう。

 そう思った私は、部屋を抜けだしてこっそりとキッチンへと向かった。まだ六時前だったからだれも起きてこないとは思うが、姉に見つかってしまったらとにかく面倒だったから。


 十月の午前六時前の廊下は冷え切っていて、暖房が恋しくなってきてしまう。

 こんな中でカップ麺を食べられたらさぞかし気持ちがいいだろうと勇み足になりながら戸棚に保管されていたスタンダードなタイプのカップヌードルを取って、ポットからお湯を注ぐ。


「あちちっ……」


 乾麺に当たって弾けたお湯が指先に当たってカップを取り落としそうになる。

 しかしそうした痛みスレスレの反応も今なら許せる気がした。

 線までお湯を注いで、底に張ってあったシールで蓋をし直す。

 あとはこれを部屋に持って帰って――と箸の準備をしているときに、


「あれ、やけに早いじゃん」


 背後からそんな言葉が投げかけられて、箸を床に取り落としてしまう。

 カランコロン……と軽いマヌケな音を立てながら、私の真後ろへと転がっていく箸。

 カップヌードルを持っているときじゃなくてよかった……と安堵しかけるけど、それどころじゃない。ゆっくりと振り返ると、そこには聞こえてきた声のとおり、私の姉が立っていた。


「はい、箸。気をつけなよ」

「あ、はい。ありがと」


 私へと箸を手渡しながら、その目は器用に、私の陰のカップヌードルを見つけだす。


「お、お姉ちゃんこそ、早いじゃん」


 つつかれるのは面倒だと思い、私は姉にそう話題を振っておく。


「うん。ちょっとゼミのほうで頼まれ事しててさ。そういうアンタはどうしたの?」


 朝っぱらからカップ麺なんて作って。

 と姉は退路を塞ぐように律儀にツッコんでくる。


「あー……」


 と咄嗟に言い訳を思いつけず言葉を濁してしまった私に、姉が鋭い視線を飛ばしてくる。


 ……ヘタにごまかそうとすればボロがでるのは間違いない。


 そうなったらネチネチと非難されるのは目に見えていて、それは一番避けたい展開だった。


「……早くに目が覚めたから、ご飯食べて、さっさと学校行こうかなって」


 日和った私はそんな嘘をつくことしかできない。

 私の嘘を受け取った姉は過剰気味な声で「なーんだ」と呟いた。


「てっきり今から寝るところなのかと思った! 朝、起きれなかったら大変だから、私が叩き起こしてあげなくちゃなー! って具合にさ。もう起きたとこなら、お姉ちゃんも安心だね」

「………………」


 白々しすぎる姉の言葉に私は沈黙することしかできない。

 幼児向けのアニメみたいに誇張されたその声は私を小馬鹿にしてるとしか思えなかったし。


「ね?」

「……そうだね」


 ジリッ……と姉に詰め寄られ、同じように後退する。ガスコンロにぶつかって「うへぇ」となっていた私を見て満足気に頷いてから「今日も学校頑張りなよ」と他人事のように囁いた。

 完全に退路を塞がれてしまった私は、学校へ行くしかなくなってしまう。たぶんだけどあの姉はもうしばらく家にいるだろうし、事情を起きてきた母に説明するだろうから。あれだけ楽しみにしていたはずのカップヌードルが、私の心を潤してくれることは決してなかった。




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