第10話 私は君を描きたい 03
『私、一番早い地下鉄で会場きちゃったんだよね。だからもう会場』
案の定と言うか、なんと言うか、牧野はそんな『らしい』ことを言っていた。
それから例のキモいクマが泣き崩れているスタンプが送られてくる。
元気なのか、落ち込んでるのか、このやりとりからだとまったくわからない。
そんな折、スマホの画面に雨粒が当たって弾ける。
キモいクマに当たった雨粒が無慈悲な追い討ちめいていて私は少しだけ笑った。
その雨粒に続くようにしてポツポツと雨が降り注ぐ。どうやら第一陣がきたらしい。あと数十秒で駅にはつくから傘を差すほどじゃないけど。だったら、LINEはあとにして、さっさと小走りで駅に向かえばいいのに、私の頭には雨に濡れている牧野の姿が思い浮かんでいた。
ありありと思い浮かぶその姿。
自分の想像力の豊かさに辟易する。
『私も地下鉄に乗ったところだった』
だけどそんなものを想像してしまったせいで、気づくと私は雨に濡れながら、牧野にそう送っていた。先ほど牧野が送ったメッセージからそれなりに間があいていたのに、メッセージを送った瞬間に既読がつく。その事実にいささかビックリしながら、私も画面を眺めていた。
『えっ』
『そうなんだ?』
『じゃあ、待ってようかな』
ポンッ! ポンッ! ポンッ! と小気味よく三連でメッセージが届く。メッセージに合わせるようにして心臓が弾むものだから牧野に弄ばれているような心地しかしなかったけど。
『じゃあ、待ってて』
『うん。わかった』
という先程とは打って変わって、どこか簡素なやりとりだった。
素っ気なさ過ぎるせいで、迷惑だったか? と不安になってくるけど。
最後に『いいこにしてます』と、お座りしているキモクマのスタンプが届く。
そのスタンプのおかげで、私は少しだけ気持ちの安定を取り戻せた。さんざんキモいキモいと思っていたクマのスタンプが、心なしか可愛く見えてきたような気がして不思議だった。
いよいよ雨が本降りになってきそうなタイミングで駅に辿り着き、私は逸る気持ちをどうすることもできずに、ホームへと駆けだす。サピカで改札をくぐって、折良くやってきた地下鉄に跳びこむ。会場である真駒内駅までは、地下鉄で二十五分ほどかかる。そこそこの時間だとは思うけど、まあ、地下鉄一本で着いてくれるなら安いものだろうと、私は電車に揺られる。
昔から地下鉄は苦手だった。
独特のテンポやリズム、息苦しくなる暖房、酸素を奪い合う人びと、そういう諸々の要因が重なり合って、なぜか途轍もなく眠くなってくる。バスはそうでもないから、十中八九気持ち的な問題なんだろうけど。結局『苦手』なんてものは、ほとんどが思いこみなんだとも思う。
だけど今日という日にかぎっては、地下鉄も悪くないなと思えた。
バスなら一時間以上かかる道のりが、地下鉄ならその半分で済む。
それでも遅いと感じてしまうのは、きっと私がワガママだからなのだろう。
○
目的地である真駒内駅は、地下鉄南北線の終点に位置している。
地下鉄だと言っておきながら、途中から地上に顔を覗かせていてビックリした。地下鉄が苦手な私は、こんなに長々と電車に乗ったのは初めてだし、こんな僻地に用はなかったから。
窓から覗く外は、景色それ自体が鉛色を帯びているように見えた。
たぶんそう見えてしまうぐらい空気が湿っていて、重たいということなのだろう。
「次は終点。真駒内駅」
とアナウンスが告げるのを聞いて、牧野に『どこにいる?』とLINEを送る。
返事は『会場』だった。
……いや、二〇分以上あったんだから駅で待ってろよ。
と思うものの、牧野にそういった気遣いを求めるほうが悪いのだとすぐに気づく。
どうせ最初の目的は会場に行くことだったんだから、この際かまいはしないだろう。
私は牧野に『わかった』と返事をして、駅をでて会場へと向かうことにした。
車内から見たときはわからなかったけど、ここでもパラパラと小雨が降っている。会場まではそれなりに歩くはずだから、私は横着せずに傘をさすことにする。雨粒が傘を叩く小気味よい音を聞きながら、私は会場である公園なのか球場なのかよくわからない場所を目指した。
目的地は『真駒内セキスイハイムスタジアム』という施設だ。わざわざ配布されたプリントを開かずとも、駅から案内図が大量にでていたから、それを目印に進んで行くことにする。
徒歩で三〇分という、それだけでマラソン並の距離だったけど。
牧野に会えるのだと思えば、それぐらいの距離は安いものだった。
気が急いていたのか会場には二〇分もしないうちに辿り着いていた。
軽く息が弾んでいたから、自分でも気づかないうちに、駆け足気味になっていたらしい。
どんだけ牧野に会いたかったんだよと思うと、自分に対して苦笑しか浮かばなかったけど。
会場前にはわずかな人集りがある。
どうやらマラソン大会自体は予定通り行われるらしく、うちの高校のみが辞退を行ったような形らしい。予定集合時刻まで一時間近い有余があるから、うちの生徒の姿はほとんどない。
生徒よりも先生の姿のほうが多いような気がしたから相当だ。
ちらりと担任教師の姿を見かけて、絡まれるのが面倒だと遠回りをしながら牧野を探す。しかし開栄高校の教師が並んでいる空間に彼女の姿はなかったから、LINEを送ってみる。
『どこにいるんだ?』
先ほどまで秒で表示された既読がつかず、虚空に向かって喋ってる心地になる。LINEなんてこれぐらいが普通なんだろうけど、牧野はスマホが大好きらしく基本的に秒で既読がつくから。もしかしたらトイレにでも行ってるのかもしれないと、私は集合場所だった施設の中に入ってみることにした。探検でもしているのでなければ、そう遠くには行ってないはずだ。
牧野の場合、探検しているという可能性のほうが高そうなのがなんとも言えないが。
やたらと滑るタイル床に苦戦しながら前進していく。
中は閑散とした空港のような空間で、自販機やベンチが点々としている以外は『屋内』としての機能しか持っていない。通路の壁際にはどこかの学校の陸上部と思しきやつらが備品を広げていた。普通に部活動の一環として、このマラソン大会を使っている学校もあるのだろう。
そうした人びとを横目にしばらく歩いていると、すぐに牧野の姿を見つけた。
ジャージの上に秋物のアウターを羽織っているおかげか、それとも単に牧野のポテンシャルが高すぎるおかげなのか、学校指定のクソダサジャージが、それなりに見られるものになっているから不思議だった。私なんて、なにを羽織ったところでダサいものはダサいはずなのに。そんな牧野はと言うと、設置されているベンチに座って、なにやら、だれかと話しこんでいるようだった。グループの金剛寺や『中』でないことはすぐにわかった。だって牧野が話していた相手は男子だったから。私は牧野がグループの女子と話しているときでさえ萎縮してしまうから、男子なんかと話されると、立ち尽くすしかなくなってしまう。ただ、こんな場所でいつまでも棒立ちしているわけにもいかない。だから私は時間を潰すためだけに少し離れた場所の自販機でガラナを買った。自販機脇の壁に背中をあずけて、牧野のことを遠巻きに眺める。
……わざわざきてやったのに、お前は男子と楽しそうにお喋りかよ。
私の事情なんて牧野は知るよしもないんだから、それも仕方のない話だとは思うけど。そんなよくわからないやつと話してるぐらいなら、駅まで向かいにきてくれてもよかったんじゃないのか? とは思ってしまう。それとも、そいつと話すのが楽しくて夢中になっていたのか。だけどよくよく考えてみれば、べつに牧野のほうが私を呼んだわけじゃないのだ。私が勝手に『ここにくれば牧野と会えるから』と中止になったにも関わらず、会場にきてしまっただけだ。それに牧野のLINEの返事にしたって、どこか愛想に欠けるものだった。こうやって順を追って考えてみると、私がここにいることのほうが、よっぽど滑稽でおかしい気がしてくる。
……帰ろうかな。
この調子だと牧野と顔を合わせたところで、二言三言で解散なんてことになりかねない。その上で、改めてあの男と別の場所に遊びに行く光景なんて見せつけられたら、死ぬ気がする。
だったら最初から『私の意志』で逃げてしまうほうが傷だって浅く済みそうだ。