第9話 私は君を描く 07
「あ、そうだ。ご褒美ちょうだい」
しかし牧野はいつもの『女子高生らしさ』を急に披露して、話を転がし始める。それが牧野らしさだということは理解しているんだけど、私はいつもそのライブ感についていけない。
「あ? ご褒美って……」
まともな返答ができない私は普段どおり、もごもご口を動かして牧野の言葉を拾う。
心ないやつが見たら『コミュ障かよ』と切り捨てられそうな発言だったけど。
牧野はイヤな顔ひとつせず――しかし、同時に忙しなく、私を無視して、ココアと同じようにソファの脇に置いてあったカバンを拾いあげて、膝の上に乗せて中を漁り始める。
……ご褒美ってこれから決めるんじゃないのか?
あたかも『ご褒美の内容』はすでに決まっているとでも言いたげな行動に、私は少しだけ身構えてしまう。だって『あらかじめなにかを用意しておいた』ということは『相応の内容』だろうから。恐々と牧野の挙動を見守っていた私の視線の先で、しかし牧野が取り出したのは、
「……アーモンドチョコじゃん」
昼休みのときに広げていた馬鹿デカいアーモンドチョコだった。
……ご褒美って。
えっ、自分へのご褒美のことなのか? いやでも、さっき牧野は『ちょうだい』って言ってたんだから、それは私へのなにかしらの要求であるはずだ。だったら『これと同じものをちょうだい』とかそういう話だろうか。そんなことを悶々と考えながら、牧野のことを見つめる。
「これ。手、痺れてるから食べさせて」
黙って見つめていた私に牧野が口にしたのは、よくわからないお願いだった。
「いや、今、お前……」
……普通に取りだしてただろ。
と言うかもう牧野はすでに制服を着ているわけで。しかも、たとえ本当に『チョコを持てないほど腕が痺れていた』としてもチョコを食べさせることがご褒美になるとは思えなかった。
……こいつ、私に甲斐性がないと思ってんのか?
もしかしたら牧野は私がクラスメイトの裸を書いておいてなんの礼もしない女だと思っているのかもしれない。だから、こんな適当なお願いをして、お茶を濁しているのかもしれない。
「……ダメ?」
なんとも言えない疑心の眼差しを向けていた私に、牧野は縋るようにしてそう尋ねてくる。そんな目を向けられると、どれだけくだらないお願いでも本気で答えたくなってしまう。
「わ、わかったよ」
私としては『もっとちゃんとしたお返し』を牧野に用意したいと思っていたけど。
それはそれとして『今のこのご褒美』もしてやればいい。
ただ、お菓子を食べさせてやるぐらいなんだから、べつに渋る理由もなかったから。
……んん?
私は牧野からチョコの箱を受け取るんだけど、その瞬間、小さな違和感に襲われる。しかしその違和感は小さすぎて、私の行動を妨げる要因にはならなかった。だから私はなにも考えずに、小さい箱と同じように、蓋をズラして中に入っているチョコを取りだそうとしたんだけど、
「うえっ、お前これ……」
その瞬間、私は箱を受け取った瞬間の違和感の正体に気づいた。と言うのも、牧野のカバンが暖房の熱風が直撃する箇所に置いてあったせいで、中のチョコが溶けだしていたのだ。私が感じた違和感は『箱を受け取ったときに中のチョコが転がる感覚がしなかった』ことだった。
さすがにこれは無理だろうと、私は中身が見えるように、牧野に箱を差しだした。
牧野の反応は「おー」という、まったくもって意味のわからないものだった。
一体全体なにが『おー』なんだ。
私からしてみれば『うえー』以外の何物でもない。
だから『これはさすがに無理だろ。自分で食えよ』と告げようとしたんだけど、
「いいよ。早く食べさせて」
それよりも一拍早く、牧野が私にそう告げてみせたのだった。
「まあ、そりゃあ――」
――そうだよな。と言いかけて『想定していた言葉』と『実際に牧野の口から発せられた言葉』の乖離に気づき、思考が停止する。だって今、牧野は『早く食べさせて』と言ったのだ。
「……早く」
先ほどの言葉を必死に噛み砕いて整理していた私に牧野は不機嫌そうな声で告げる。
「あー……」
……いや、でも、これは。
と私の意識が渋ろうとするんだけど、それより明確に、不機嫌そうな眼差しを私に向けていた。私の言うことが聞けないのか? とでも言いたげな視線に、私の心が日和るのがわかる。
「……わかったよ」
これ以上、抵抗すれば心身がもたないと感じた私は渋々、牧野の言う『ご褒美』をあげることにした。正直、こんなものを食べさせられる牧野のほうに、私は同情しそうだったけど。
コーティングが崩れてぬらぬらと輝くアーモンドチョコを指で摘まむ。
溶けかけのチョコが指先に絡みつく不快な感覚に、アーモンド自体の硬質な感覚が続く。幼い頃であれば気に入ったであろう『どろどろ』としたその感触に、なんとも言えない心地になる。私がチョコを摘まみあげたのを見届けて、牧野が率先して「あーん」と呟いていた。
「いや、それ言うのは私のほうだろ」
それはそれで牧野らしかったけど、つい普段の癖でツッコんでしまう。
「そう? じゃあ、真辺が言ってね」
しかしそのツッコミがヤブヘビとなって新たな要求が増えてしまう。
「いや……あー……なんでもない。わかったよ。やればいいんだろ、やれば!」
一度こうなってしなったら最後、私がやるまで牧野が譲らないのはわかっていたから。
「ほら、あーん」
私はなかば投げやりにそう告げる。
その投げやりさとは裏腹に、牧野は従順に口を開けた。
先ほどは柔らかな唇を外側から眺めるだけだったが、今は『本来閉じられているはずの中』を見ている。開かれた拍子に、上顎と舌のあいだに唾液の橋がかかり、プツンと途切れる。
わずかに泡立った唾液は、他の人間のものであれば不快感しか感じなかっただろうが。それが『牧野のものである』というだけで、すべてを許せてしまいそうになるから不思議だった。
それはココアで茶色く染まった舌にしても同様で。
私はその動物臭さとでも言うべき汚れに、今まで感じたことのないトキメキを感じていた。
そんな中で唯一、人為的なものを感じるのは綺麗な歯で。
ホワイトニングでもしているのか、その歯は大理石のように艶やかだった。
これだけ綺麗なら、触るだけじゃなくて、いくらでも舐められそうだった。
――いや、舐めるのはおかしいだろ!?
いつ、だれがそんな話をだしたんだ。
流れるように『見る』から『触る』へ、さらに『舐める』に発展した自分の意識に驚いてしまう。それはもはや自分の欲望でしかないことも薄々わかったから、なおのこと恐ろしい。