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第9話 私は君を描く 05




「見るからね……?」


 恐る恐るといった調子で尋ねてくる牧野に私は頷く。その頃にはすでに私の中にあった劣情とでも呼ぶべき感情は霧散していて、私もまた真剣に、牧野の反応を覗っていた。私の視線の先で牧野もまた呼応するように頷いてからひと思いにスケッチブックをひっくり返した。


「うわっ」


 最初に牧野がこぼしたのは、そんな『読めない反応』だった。

 感嘆のようにも受け取れるけど、それ以上に幻滅しているようにも受け取れる。どうにかその感情の中身を受け取ろうと躍起になって見つめていると、牧野は熱っぽい吐息を漏らした。


「……本当に綺麗」


 その吐息に続いて漏らされた熱っぽい言葉を聞いて、私はようやく肩の荷がおりたような心地になる。今の私が描ける最高のものに仕上げた自負はあったけど、周りからの評価――とくに被写体である牧野の納得がなければ、それはただの独りよがりの自己満足でしかない。だから牧野の反応を受けて、私はやっと、きちんと彼女を描けたのだという思うことができた。当人である牧野はそんな余裕もないのか、私の些細な心境の変化など気づいていなかったけど。それぐらい本人のことを夢中にさせられる絵を描けたのだと思えると、ただただ嬉しかった。


 そんなふうにして私はまばたきひとつ見逃さないように牧野のことを見つめていた。だから視線が合ったとき、私の心には交通事故でも起きたような衝撃が襲った。しかし牧野はそんなことなどお構いなしというか、そもそも今は自分の中にある感情しか眼中にないようだった。


「こんなの見せられちゃったら、自分が世界一綺麗なんじゃないか、とか思っちゃうね」


 勢いをそのままに、やたらと熱っぽく、それでいて子どもっぽい口調で牧野が叫ぶ。


「……………………」


 つい数週間前までファッションモデルをやるべきかどうか悩んでいたぐらい、自己評価が低かった牧野がここまで言ってくれたことがただただ嬉しくて、私はつい言葉を失ってしまう。


「あっ、いや、ごめん! 今のなし! 調子乗った!」


 しかしその沈黙の内容を取り違えたらしい牧野が慌てた調子で言葉を紡ぐ。

 感嘆符を過剰に含んだその声は、彼女の感情の起伏をそのまま示していた。


「綺麗だよ」


 ジェットコースターみたいに乱高下する牧野の感情もまた愛おしかったけど。

 それを眺めていたいがために沈黙を続けるほど私もイジワルでもない。


「お前は世界で一番綺麗だから、調子に乗ったっていいんだよ」


 だから私は牧野を安心させるため。

 そして適切な自信を持って貰うために、なるだけ優しい声を意識してそう囁いていた。


「本当!?」


 私の言葉には『真辺の感想』以上の価値なんて存在しないのに。

 牧野はそれが何者にも勝る正式な評価だとでも言うように全力で喜んでみせる。


「私が綺麗だって言ってるだけなのに、そんなに嬉しいのかよ」


 その反応はやっぱり私にとって喜びだったけど。


 私にみたいな根暗な人間にとって、牧野みたいにまっすぐな感情表現は、あまりにも眩しくて堪らなかった。だからというわけではないけど、ちょっとしたイジワルをしてしまう。


「うん!」


 しかし私の屈折した問いかけにも、牧野は屈託のない笑みと共に頷いてみせるだけ。


「こんなに真剣に、それも長いあいだ私のことを見てくれたのは、真辺が初めてだから」


 牧野は眩しさで思わず目を細めてしまいそうになる笑みを浮かべていた。それから、


「だから真辺にそう言って貰えるのは、なによりも嬉しい!」


 そう弾むような声で言って、なぜか牧野はソファから立ちあがると、私の元へと駆け寄ってくる。なにをするのかと眺めていると、牧野は両手を大きく広げ、私へと襲いかかってきた。


 それは恐らく感情が高ぶりすぎた結果のハグだった。

 いつの日かの『露出狂の素振り』を思いだすけど。

 今日の彼女は裸で、露出狂そのものだったから。


 ――いや、脱がせたのは私なんだから、そんなこと言ったら牧野に悪いけど!


 それでも今回は自分が裸であることを忘れて抱きしめてこようとする牧野のほうが悪いと思いたい。さすがにハグはマズいと思い立ち、私は迫ってくる牧野の首を下から押し返す。


「ぐぇっ!」


 急所を押し返された牧野は器官の詰まった蛙みたいな声を漏らしていたけど。


 ――美人がそんな声をだすなよ!


 と思うと同時に、きちんと牧野のことを抑えこめているという謎の高ぶりが私を襲う。


「お、お前! 自分の格好! 思いだせ!」


 それから私は悪落ちしたヒロインを正気に戻そうと叫ぶ主人公めいたセリフを片言を叫んでいた。だれもかれもが余裕を失っていて、先ほどの雰囲気から一変してちょっとした地獄だ。


「あっ!」


 私の言葉は片言でこそあったが、要点だけは押さえていたから牧野も自分の状態を思いだしたらしい。自分が今、体の前面部を見せつけるような格好をしていることに気づき、慌てて背を向ける。正直、前面部よりも先ほど観察できなかった背面のほうが、今の私にとってはありがたかったけど。牧野のはただの気持ちの問題だろうから、あえて指摘はしないでおいた。


「ほら、制服。私、あっち向いてるから」


 机の上に積んであった制服を両手でささえて持ちあげ、牧野へと差しだす。牧野は細かい点を意識する余裕もないのか、いささか乱暴な動作で、奪うようにして制服を引ったくった。


 拍子に一番下に隠れていた『それ』が私の指先に引っかかり、こちらがわに残ってしまう。


「あっ」


 と漏らしたのは私で、それにつられて牧野が「えっ」と無防備な声を漏らす。

 それでも律儀に受け取った制服で胸元を隠しながら、牧野は私の手を見つめた。

 そこにはまるで自分の意志でそうしたように牧野のパンツを持つ私の手があった。


「……………………」

「……………………」


 牧野の視線が自分のパンツを見て、それから私の目を見やる。そのジトッとした粘着質な視線を直視できず、私は普段の牧野がそうしているように意味もなく視線を彷徨わせてしまう。


 しかし視線を彷徨わせようにも、二秒に一回ぐらいのペースでパンツをチラ見してしまう。


 制服に隠れてたのは知ってるけど、どんなパンツを穿いてるかまでは知らなかったから。先ほど牧野を描いていたときのように、無意識的に脳裏に焼きつけようとしているようだった。


 とは言ってもパンツなんて、色と素材と柄ぐらいしか情報量がない。


 一言で言えばそれは『薄桃色で縁がレースで彩られたついたパンツ』だった。


 そうと記憶に刻みこんでなお、私は牧野のパンツをチラ見してしまう。と言うか牧野も牧野で先ほど制服をそうしたように、私の手からパンツも引ったくってくれればいいのに。


 なにをもったいぶってるんだと、彼女の目を睨んでしまう。

 私の視線からなにかを受け取ったのか、牧野はおもむろに口を開いた。


「……欲しいの?」


 しかし牧野の口にした言葉を私はすぐに理解することができなかった。




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