第8話 君を描くのは私 04
――そして問題だったのは。
そんな大人と子どもの中間というある種独特な美しさを帯びている彼女が、キャラ物のタオルでその肉体を覆い隠しているということだった。どこか眠たげな顔をしたスヌーピーが座っているそのイラストは、よくも悪くも子どもっぽく、それが逆に牧野を扇情的に見せていた。
私の視線を感じてか、牧野が落ち着きなく、膝同士を擦り合わせる。
「……なんとか言って欲しいんだけど」
それからこんなに弱り切った声を聞くのは初めてだという調子で牧野は呟いた。
返答の代わりに、私はゴクリと生唾を飲みこむ。
やけに粘っこい唾液が喉に絡みついて、言葉を発する邪魔をしてくる。
「……それ、どうすんの?」
だからというわけではないけど、私が発したのは、そんなどこかズレた問だった。
「それって、タオル……?」
質問を質問で返され、言葉を紡ぐ余裕もなく頷く。
「取って……欲しい?」
牧野の問に首肯を続ける。
無様を晒したくないがために頷いているはずなのに、その仕草すら、か細く震えている気がした。だけどタオルを握りしめる牧野の手もまた、ふるふると震えているように見えたから。
「わかった」
言うが早いか牧野はその手を開くことで、タオルケットを床へと落とした。それなりの質量を持っているタオルは、彼女の足の甲の上に折り重なるようにして落ち、体が空に晒される。
当然、今まで隠れていた部位に視線が露わになり、私の視線はそこへ注がれる。
牧野の体を見た私は、飽きもせず、言葉を失っていた。
――形のいい乳房なんてものは、そうそう存在しない。
乳房同士が離れていたり、垂れていたりで見栄えは大きく変わってしまう。さらに言えば、そこに乳首の色合いや形、サイズ、位置といった情報が続く。それは胸の大きさそれ自体よりもコンプレックスになる。数少ない体の突起部分であるせいで、情報量が多く、ひとによって美醜が分かれやすい。ゆえに乳房というものはどこかしらバランスを欠くものなのだと思う。
だけど牧野の胸は『お手本』かなにかのように私の目には見えた。
普段、人目に触れない部位すら綺麗なのかと、感嘆の声を漏らしそうになる。
――私の体にあの胸がついてたら不格好極まりないだろうが。
そんな綺麗な胸と釣り合いのとれたプロポーションや容姿を持っている牧野が異常なのだ。
さらに視線を下方へとズラすと、薄らとした茂みに目がいく。
なだらかな恥丘はシミひとつなく澄んでいて、指を這わせると気持ちがよさそうだった。
――触れてみたい。
とっさに湧いてきたのは、そんな衝動で、
――そういう趣旨じゃねーから!
そうとツッコめる余力があることに安堵する。
だけど肉欲なんてものに関係なく、まともな美的感覚を持つものなら、その体に触れてみたいと願うのは自然な衝動に思われた。それほどまでに、牧野の体は美しいものだったから。
それ以上に彼女の人間性を尊重するのは義務だが。
「……感想は?」
相変わらず無言で体を睨め回していた私に、牧野は尋ねる。
「今すぐ描きたい」
そうと即答できたのは『触れてみたい』という想いを塗り潰すように、その衝動が湧いてきていたからだ。私を帯びていた震えはすでにとまっていて、まっすぐな視線を牧野に向ける。
「わかった」
と答える牧野もまたまっすぐな視線を返していたけど、ぶるりとその体が震えた。
――やっぱり恥ずかしいよな。
と納得しかけるけど、それ以上に牧野は裸なのだという事実にようやく行きつく。
「暖房、つけるか」
十一月の校舎は芯から冷えこんでしまっている。
北海道にはほとんど秋という概念が存在せず、夏が終わるとほぼ同時に冬が訪れるから。
暖房がすでに使用可能になっているのがその証拠だった。
「暑くない?」
「さすがに裸のやつ優先だろ、ここは。それに私は脱げばいいし」
「えっ、真辺も裸になるの!?」
「なんねーよ!」
なぜかちょっと浮き足立っている牧野の雑念を散らすように大声で告げる。
「そうじゃなくて上着でもなんでも、調節できる余地はあるって話」
牧野は「えー……!」と不満たらたらの顔をしていたけど。
描くほうまで脱ぎ始めたら、ただのヘンタイ集団でしかない気がする。
……歴史を辿れば、そういう芸術家もいそうではあるが。
被写体を安心させるためとか、このほうがインスピレーションを得やすいとか、それらしい理由をつけて脱ぎたがる芸術家はいそうだ。なんだかそれなりにいそうでイヤだったけど。
「ポーズとかとる?」
喋ってるうちに緊張が解けてきたのか、牧野はいつものあどけない調子で尋ねてくる。
「前と同じがいいな。ソファで横たわってるやつ」
「えっちじゃん」
気持ちに余裕ができたせいで、牧野は自分からそんなことを言い始める。
性的な魅力と芸術的な美しさ。
それらを明確に区分することは難しいし、そこに意味があるとも思えない。だけど、
「えっちじゃねーよ」
気づくと私は、そう告げていた。
「綺麗なんだよ、お前は」
とも。エロスが低俗だとは思わなかったけど、牧野がそうやって自分のことを揶揄するようなマネをするのは許せなかったから。その声はどこか、冷たさすら帯びていたかもしれない。
「いいから早く描かせろ」
悲願が目の前にある私にフォローを入れるのは難しく、だからさっさと本題に入ることにした。これ以上、余計な会話を続けていると、焦りのせいで余計なことを口走りそうだったし。
「ん……わかった」
牧野もまた真剣な面持ちで頷いて、そっとソファに横たわろうとして、
「あはっ、冷たい」
肌がソファに触れた瞬間、そんな黄色い声をあげて喜んでいた。
「あ、これ、どうしよ」
牧野はソファの端に置かれた制服を指さす。
たぶん本人としては綺麗に畳んだつもりなんだろうけど、それは服の畳み方を知らない人間が無理やり畳んだのが丸わかりだった。 それがなんとも牧野らしくて、私は自然と笑う。
「こっち置いとくよ」
さいわい机の上のスペースがあいていたから、牧野から衣類を受け取ることにする。積みあげられた衣類を下からささえ、それから崩れないように上から抑えこむような形で受け取る。
「…………………………」
瞬間、私の体が凍りついた。
下から衣類をささえている左手が、制服とは違う、つるつるとした感覚を捉えていたから。自分でも意図せぬうちに指が動いて、その生温さと質感、形をより鮮明に捉えようとする。
……パンツだ。
そうと気づいた瞬間、一気に心拍数があがり、身動きが取れなくなる。制服に隠れている色も形もわからない下着を触れているという特殊すぎる状況が、私の想像を無闇に掻き立てる。
「なに?」
制服を受け取った瞬間、体を凍りつかせた私に牧野は不審そうな視線を向ける。
「あ、いや……なんでもないです……」
その牧野が裸であることを思いだして、私は無理やり体を動かした。
……いや、裸を見てるのに、なにパンツぐらいで狼狽えてるんだ。
そう自分に言い聞かせて意識をパンツから引き剥がし、なんとか制服類を机の上に置く。それから私は、今しがた牧野の下着に触れていたであろう左手をマジマジと見つめてしまう。
なんの変化もない。
ただ少しだけ下着を介して、その温もりが私の指に移っていたというだけ。
自分の左手と制服、それから牧野の下腹部を見比べる。
……いや、どう考えてもえっちじゃん。
どうして下着がトリガーになったのかわからないが、私は先ほど牧野に告げられた言葉を思いだす。煩悩に捉えられた私がそこから逃れるのに、一〇分ほどはかかったのだった。




