第7話 君のやりたいこと 02
「えっち」
悶々とそんなことを考えていた私に、牧野は容赦なくそう告げる。
「えっちじゃない!」
ただ『えっち』という称号はあまりにも不名誉な濡れ衣だったので全力で否定しておく。
「裸婦っていう題材があるんだよ! 芸術には! だからえっちじゃないの!」
裸婦とか、芸術とか、えっちじゃないとか。
自分で言っていても言い訳がましく、ひどく白々しいと感じる。
牧野もまた同様の気持ちだったのか、どうにもシラけた目で私を見つめていた。
しばらく無言で見つめ合ったのち、先に口を開いてくれたのは牧野だった。
「……なんで裸なの?」
その問いかけはストレートがゆえにもっとも答えづらい質問だった。だけど理由も尋ねずに突っぱねられる可能性も高かったことを考えれば、そうと聞いてくれるだけ優しいのだろう。
だから私も真摯に答えなければならない。
今はもうなにを口にしても言い訳がましく、白々しく聞こえてしまいそうだったから。
私は恥を忍んで開き直り、『裸を描きたい理由』を説明することにした。
「実際、いろいろと理由はあるよ。そもそも私は人物画をあんまり描かないから、着衣で描くにしても、骨格とか筋肉が巧く掴めないんだよ。これは単純に私の力不足なんだけど、どんな牧野を描くにしても骨組みを理解しているに越したことはない。それが鮮明な表現に繋がると信じてる。なによりヘタな衣類を着てるより一糸纏わぬ姿のほうが綺麗だと思ったから……」
私の長広舌は次第に勢いを失っていき、最終的に掠れながら空気に溶けていった。
牧野の返事は、
「そっか」
だった。
モデルになってくれるとは言ったものの、牧野は『脱ぐ』なんて一言も言っていないのだ。あとだしでこんなことを言ってしまうのはフェアではなかったような気がして、後悔が湧く。
「あー……もちろん、イヤだったらそう言ってくれ。そのときは別の方法でも考えるから」
だから私はそう付けたしたんだけど、牧野の表情はなかなか晴れてはくれない。
――そんなことを考えてたなんて! とか失望でもされちまっただろうか。
牧野の表情は無表情に近く、そのせいで私の中には暗澹とした思考ばかりが次々と浮かんでくる。だけど長考の末、牧野は覚悟を決めたような顔で、ジッと私のことを見つめてきた。
その視線は力が篭もり過ぎていて、睨むようになっていたけど。
「……真辺は裸で描くのが、一番、私のことを綺麗に描けると思うの?」
「それは間違いなく」
で、なければこんなセクハラもかくやという提案をしたりはしない。
だから私はそう即答した。
それを聞いて、牧野もまた頷いた。
「……わかった。じゃあ、私……脱いでもいいよ」
「ホントか!?」
まさか了承を得られるなんて思ってもみなかったから、凄い勢いで口から声が漏れる。
「えっ、ちょ、なにその勢い。あと、なんで近寄ってくるの?」
牧野が眉をひそめながら、ジリッ……とソファの上で距離を取ろうとする。そう言われて初めて、私は自分が牧野に近づこうとしていたことに気づき、咳払いをしながら椅子に座った。
「でも……本当にいいのか?」
「いいってば! あんまりしつこく聞かれると、やっぱりやめようかなってなっちゃう」
それはまだ迷っているということなのでは……? と思うけど。
そうと口にだしたということは、そこまで織りこみ済みで、了承してくれたということだろう。ならば牧野の言うとおり、しつこく確認するのは、彼女の想いを踏みにじることになる。
「わかった。ありがとな」
だから私は一言だけ礼を言うだけに留めておくことにした。
「それじゃあ、さっそく……」
それから私は牧野の気が変わらない内にと、絵を描く準備を始めようとしたんだけど、
「やっ、か、描くのは明日にしよう!」
と牧野が大きな声でそれを遮った。
「えっ、でも牧野の気が変わらないうちに――」
しつこく確認されたぐらいで揺らぐような意志なら、今日中に描き始めるぐらいの気持ちでいたほうがいいのでは。そう考えて、互いのためを思ってそう言ったつもりだったんだけど、
「変わらないから!」
ほとんど半ギレと言っていい調子で牧野は叫んだ
「きょ、今日はもう遅いし! 裸とか聞いてなかったし! やる事とかあるじゃん!」
牧野の勢いに気圧されるようにしながら、なんとか「お、おう」とだけ返事をする。
――前も似たようなやりとりしたな。
それこそ牧野と出会ってすぐ、絵を描かせて欲しいと頼んだときの出来事だ。
まあ、やることがあるなら仕方ないなと納得はする。
そりゃあ、やることぐらいだれにだってあるだろうから。とくに牧野は見学後に行われるはずだった話し合いを抜けだしてきたのだ。私なんかよりもやることはたくさんあるだろう。
「やることって?」
そう思って世間話程度の気持ちでそう尋ねたんだけど、
「………………………………」
途端に牧野は口を噤み、例のアホっぽい顔で、その目を部屋の四方八方に彷徨わせた。もはやそれは牧野の恒例行事だったので、私は心のストップウォッチのボタンを押して、時間を測定し始める。牧野は約十四秒で、ソファのそばに置いてあった私のカバンの存在に気づいた。
「……………………宿題とか」
そしてそこから導きだした嘘は、なんとも粗雑なものだった。
ただ、嘘をつくからには嘘をつくなりの理由があるのだろうと乗っかってやることにする。
「……まあ、今日はとくにたくさんでてたからな」
「えっ!? 本当!?」
軽いフォローぐらいの気持ちで乗っかったのに牧野は自ら凄い勢いで墓穴を掘ってみせた。しかも本人は自分が墓穴を掘ったことにすら気づいておらず、純粋に脅えているようだった。
「ああ。たくさんでてたぞ」
「そっかー。大変だね」
それに加えて牧野は他人事のように薄っぺらい感想を呟いていた。
……いや、お前も同じクラスだろ。
と言うか断る理由に『宿題』を挙げてたんだから量ぐらい把握しておけ。最初から『嘘をつかれている』ということはわかっていたけど、ここまで杜撰だと逆に心配してきてしまう。
私の視線を受け取った牧野はしばらく『?』と小首を傾げていたけど、
「本当だよ!?」
私がなにかを疑っていると思ったのか、そんなよくわからないことを口にしていた。
牧野の嘘は筒抜けすぎてもはや疑うとかそういう段階を通り越していたし。
なにより、なにがどう本当なのかすら、すでによくわからなくなっていたけど。
これ以上深く突っこむと牧野はおろか私までわけがわからなくなりそうだったから。
ほどほどの段階で切りあげておくことにした。