第7話 君のやりたいこと 01
一頻り笑い終えて、牧野はソファに勢いよく座る。
相変わらずソファは軋みをあげるが、その音が私にはやっぱり喜んでいるように聞こえた。
牧野がいる準備室。
そこに違和感を覚えるほうが難しくなっていたけど、今は状況が少しだけ違った。
私もまたいつもの椅子の上という定位置についてから、おもむろに口を開いた。
「と言うか牧野、なんでこんな所にいるんだよ」
先ほど牧野は『だってもうきちゃってるんだもん』なんて言っていたけど。
その理由についてはまだ聞いていなかった。
「見学はどうしたんだ?」
ファッションモデルの撮影とやらの見学に言ってたんじゃないのか? と、私は自然と牧野を睨みつけるような形になっていたらしい。牧野は慌てたように、言い訳を口にし始めた。
「け、見学には行ってきたよ」
か細く震える声で牧野は呟く。
その声と反応は相変わらず嘘っぽいものだったけど。
そこに混ざる一抹の必死さが、その話が真実なのだと私に教えてくれた。
「私が見学に行ったのは学生モデルの事務所なんだ。クリーンであることを売りにしてて、門限がある子とかも多いから、放課後、なるべく短い時間で済むようになってて。撮影にかかる時間も一、二時間でさ。だから私より年下の子も多かったんだけど、皆プロの顔つきしてた」
最初はごまかしのような雰囲気だった牧野の声が次第に熱を帯びていく。
その声を聞いているだけで、牧野がどれだけ真剣にモデルというものと向き合っているかがわかる。そこに一抹の寂しさを感じるが、同時に胸が満たされる想いがするのも確かだった。
「絶対に私もモデルになりたいって思った」
牧野の声はすでに決意で固まったものだった。
普段の緊張感のない柔らかな声とは一変して。
その声を聞いているだけで私まで体が強張る。
「話、矛盾してんじゃねーの? じゃあ、どうしてここにいるんだよ」
そんなにモデルになりたかったなら、牧野が今いるべきなのはここではないはずだ。見学とは言っても、本当に『モデルが撮影されている姿を見て終わり』なわけがない。牧野は『職業見学』ではなく『スカウトされた身』としてスタジオに行ったはずなのだ。だったらそこで改めて、モデルへの勧誘が行われているはずで、積もる話だって、いくらでもあるはずなのに。
「矛盾なんてしてないよ」
頭の中に広がっていたノイズを、牧野が一言で散らした。普段、お喋りしているときは気づかなかったけど、彼女はその声すら、私の思考や感情を支配してしまうほどに綺麗だった。
「事務所に入るとは言ってきたんだ。だけどその前にやることがある、とも」
美麗な鈴の音のような声で牧野は告げる。
「…………………………」
口を挟みたくて仕方がない。
どういうことだよって、今すぐ問い質したい。
だけど牧野の表情がなによりも真剣だったものだから。
私に口を挟める余地なんて、一切存在しなかった。
「モデルになってだれかに撮影される前に、真辺に描いて欲しかったから」
無言で見つめていた私に、牧野はそんな言葉を囁いた。
真剣な顔と真剣な声。
それはまるで、ある種の告白のように私の心震わせて。
わけもわからないまま、私は涙でもこぼしてしまいそうになっていた。
「私を最初にモデルとして認めてくれたのは他でもない真辺だったから」
そんな私に容赦なく牧野は続ける。
「私、真辺の絵を初めて見たとき、本当に綺麗だなって思ったの。こんなに綺麗に描かれるなら、私もまだまだ捨てたものじゃないのかもなって、そう思えた。だけど真辺はさ、そこで、さらに『もっと綺麗だ』って『もっと美しい』って、バカみたいなこと言ってくれたじゃん」
「バカみたいって……確かにそうだけど」
そうと呟いたのはこれ以上黙っていると、本当に泣いてしまいそうだったからだ。
しかし牧野は私の軽口なんて構わずに続けた。
「ちっちゃい頃からずっと、私はモデルに憧れてた。だけど憧れが強すぎたのかもしれない。私にとってモデルは、自分みたいな凡人には務まらない、神様みたいな存在だと思ってた。だからずっと自分に言い訳をして二の足を踏んでた。どうせ自分には無理だって。モデルなんてなれっこないって。だけど真辺に言われて、ちょっとだけ考えが変わった。真辺がそんなに言ってくれるなら、一歩ぐらい踏みだしてみてもバチは当たらないんじゃないかなって、そう思えた。それでさっそく事務所に応募してみようかなって思って、いろいろ調べてみたら……」
「向こうからスカウトがきたと?」
「うん」
「そんな都合のいい話……まあ、あるんだろうな」
世の中とは得てしてそういうものだ。『やってみたい』と『やってみよう』のあいだには大きな隔たりがあって、それは感情や態度、習慣となって表れて、最終的にその人物が表出するオーラとなる。なによりそういうものを、周りの人間は敏感に感じ取ってしまうものだから。
牧野が覚悟を決めた瞬間にスカウトがやってきたというのも、不思議な話ではなかった。
「私も、最初に牧野をモデルに作品を作るのは私がいいって、そう思ってた」
牧野もそう思ってくれていたという事実が、これ以上とないほど嬉しかった。そのせいで、そうと告げる私の声は自分でもわかってしまうほど浮き足立っていて、少し恥ずかしかった。
「だから電話してくれたの?」
「うん。なんか、あれこれ考えてたら、居ても立ってもいられなくなって」
「私も一緒。モデルの仕事を見てたら、私もあそこに立ちたいって思ったの。だけど、それよりも先に、真辺に私のことを描いて欲しいって思った。だから我慢できなくて、きちゃった」
そうと告げる牧野もまた、恥じらいを隠すようにはにかんでみせる。
その笑みに見惚れそうになりながら、小さく頭を振って口を開く。
「モデルになってくれるか?」
私の問に牧野はまっすぐな視線を返しながら力強く頷いた。
「うん。私はずっとそう言ってるじゃん。あとは真辺が描くかどうか決めるだけだよ」
「そうだよな……」
心強い牧野の言葉に、苦笑が漏れる。
彼女の言う通り、力不足を言い訳にして延期を繰り返していたのは他ならぬ私だ。彼女はいつでも準備は整っていたはずで、だったらそうと尋ねられるのは、不本意だっただろう。
描く準備ができているのか尋ねられるべきなのは私であるはずなんだから。
「……わりい。今度こそ私は牧野のことを描きたい。私に牧野のことを描かせてくれ」
「いいよ」
最後にそう確認を取った私に、牧野は迷いなく合意してくれた。
――よかった。
そう安堵しながら、同時に私は強い衝動に突き動かされていた。
その想いは自分でも制御不能な勢いを持っていて、そのせいで、
「じゃあ脱いでくれ」
気づくと私は牧野にそう告げていた。
「えっ」
それに対して牧野がなんの返答にもなっていないマヌケな声を漏らす。
……なにを戸惑ってるんだ?
牧野のマヌケな声に違和感を覚えるが、
「あっ」
その数秒後に、自らの過ちに気づいた。
「あっ、違う! いや、違くないんだけど!」
話の流れと勢いで、てっきり『すべての許可は取ったもの』と脳が錯覚して先走ってしまったけど。そもそも私は肝心の『裸を描かせて欲しい』という部分を相談していなかった。
牧野の話が普通にいい話だったからな。
そこに被せる形で『相談があるんだけど』とは言えなかったのも仕方ないと思いたい。だからと言ってすべての過程をほっぽりだして『脱いでくれ』も頭がおかしい気がしたけど。
「えっち」
悶々とそんなことを考えていた私に、牧野は容赦なくそう告げる。
「えっちじゃない!」
ただ『えっち』という称号はあまりにも不名誉な濡れ衣だったので全力で否定しておく。




