第6話 私のやりたいこと 05
「明後日も厳しいと思う」
牧野はきっぱりと切り捨てたのだった。
明日、明後日と誘いを断った牧野に『じゃあ三日後は』と追い縋る気力はなかった。失った血の気をどうにかしようと肺が躍起になっているようで、器官が壊れたように震えていた。
「そ、そっか」
なんとかそれだけ呟いて、呼吸を整える。
――自業自得だ。
と私の心の中でだれかが囁いた気がした。
牧野を描くチャンスはいくらでもあった。
それを『今はまだそのときじゃない』と言い訳をして無為にしていたのは他ならぬ私だ。もともと牧野が準備室に通っていたのだってほんの気まぐれで、私はそれを永遠だと錯覚した。
それを活かしきれなかった私があまりにも愚かだったのだ。ファッションモデルになるという目標を叶え、やるべきことができた彼女は、今後の生活においてそれを優先するのだろう。
私は惨めたらしく彼女が手を差し伸べてくれる瞬間を待つしかないのだ。
「わかった。ファッションモデル、頑張れよ」
これ以上、会話を続ける気力もなかった私は、なんとかそれだけを呟いた。
牧野が返事をしようと口を開くのがわかる。
だけど彼女の仄暗い声を聞くのも今はつらかったから。
大人げないとわかっていながらも、私は一方的に通話を切った。
「あっ、ちょっ!」
――はずなのに、なぜか牧野の慌てた声が聞こえてきた。
スマホに慣れていないせいで巧くタップできなかったのかと画面を見やるけど『LINEオーディオ終了』という文字が躍っていた。スマホ不精の私でも通話が切れたことはわかる。
……だったら今の声は?
と首を傾げた次の瞬間、
「なんで勝手に切るの!」
という謎の叫び声と共に、準備室の廊下側のドアが、勢いよく開いた。
そこには律儀に耳元にスマホを構えた牧野が、慌てた表情を浮かべて立っていた。
「えっ、いや……なんでそんな所にいるんだよ」
私は牧野と顔を合わせて話したがっていたはずなのに。
展開があまりにも唐突すぎて、喜びよりも驚きのほうが勝ってしまっていた。
ドッキリか……? と反射的に周囲を見回すけど、私をドッキリさせたところでだれも得なんてしないことに気づく。だったらすべては、この女の奇行でしかないと考えるのが自然か。
いつもどおりと言えばいつもどおりだったから。
そうと納得してしまえば、それぐらいのことはやりかねないよなと納得してしまう。
「話の続きをしよう」
牧野は私の言葉を無視してそう囁く。
後ろ手で器用にドアを閉めながら、スマホをしまうその様がやけに艶やかだった。
私は話の急展開について行けないまま、牧野のことを目で追うことしかできない。
その私との距離を一歩分、牧野はゆっくりと縮める。
もともと広くない上にものが多い準備室は、一歩分の距離が縮まるだけで、だいぶ顔が近づいたように感じられる。そんなことなどお構いなしに、牧野はさらに一歩、私へと近づいた。
「明日も明後日も厳しいかな」
足を動かしながら牧野は先ほど私を絶望させた言葉を繰り返した。その顔は準備室に入ってきたときとは一変して真剣味を帯びていたから、私もまた意図せず生唾を飲みこんでしまう。
きっと私たちは、互いに不釣り合いの真剣な表情を浮かべながら黙って見つめ合っていた。
それから満を持して、牧野は続く言葉を口にしたのだった。
「だってもうきちゃってるんだもん――ってやりたかったのに!」
その言葉を聞いた瞬間、私は全身の筋肉が弛緩して、頽れそうになった。
……バカすぎるだろ。
牧野の言動にしてもそうだけど、こんなやつの言動に対してあんなにショックを受けていた自分が情けなくて堪らなかった。だけど、なによりも残念だったのは、牧野の一言で一気に元気を取り戻してしまった私の心だった。だから私は牧野のことをジトッと睨みつけながら、
「バカすぎるだろ」
と思ったことをそのまま口にしてしまう。
「バカ!?」
言われたほうも言われたほうで驚愕をそのまま口にだしていたけど。
「……いや、お前、間の使い方がヘタ過ぎるんだよ」
だから最低限、次に活かせるようなツッコミ兼アドバイスを口にしておく。
その声は自分でも笑ってしまいそうになるほど困憊していたが、それ以上に――
――これ以上とないほどの喜びが滲んでしまっていたものだから。
なんだかもう疲れて果ててしまった私は、すべてを吹き飛ばしたい一心で笑った。
突然、壊れたように笑いだした私を見て、牧野は最初戸惑っていたようだけど。
最終的に深く考えることをやめてしまったように、私に合わせて笑い始めた。
身と心に溜まった澱めいた感情の残りカスをすべて洗い流してしまうように。