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第6話 私のやりたいこと 03




 普段どおり授業をこなして放課後になる。私と牧野は教室で会話を交わすことはほとんどないから、結局、先ほど牧野が告げた『また明日ね』が今日最後の挨拶となったのだった。


 教室から美術室へと向かう道中の人気が減っていくこの感じが好きだった。

 ひとが減るだけではなく、空間を構成する人びとそれ自体が変化していく。


 明確な区切りがあるわけではないが、それは『文武』を分けるグラデーションのようでもあった。当然、美術室の前は文化系寄りで、学校の他のどの空間よりも落ち着いた――悪く言えば仄暗い雰囲気が漂っている。同じ校内なのにこうも露骨に変化する空気が私は好きなのだ。


 準備室に辿り着き、ソファの横にカバンを置くと、定位置の椅子に腰をおろす。

 ギシッ……という椅子のささやかな抗議の声が静かな準備室に響く。


 牧野がいないだけなのに準備室は閑散としていて、沈黙が耳に痛いような気がした。


「いや……今まではこれが当然だっただろ」


 牧野が準備室に入り浸るようになったのはこの一、二週間の話であって、それは決して『当たり前』ではない。むしろ私は今のこの状況にこそ安堵感を覚えるべきであるはずなのだ。


 ……牧野がいないことだし、ひさびさに絵でも描くか。


 すでに遠いもののように感じられる感覚を取り戻すために私はカバンからスケッチブックを取りだす。まあ『ひさびさに』とは言っても、家では相変わらず落書きを続けてはいた。


 スケッチブックを開けば、その落書きも目に入るわけだけど。

 それが目に入った瞬間、私は反射的にため息をついてしまう。


 なぜならそこに描かれていたのは――背中を向けた牧野の裸体だったから。裸体とは言っても脱いでいるのは背中だけで、下はきちんと穿いている。そういう問題でもない気はするが。

 本能のおもむくまま手を動かしたら、このようなことになっていた。


 ――べつに下心があったわけではない。


 なにも身につけていないその肉体がなによりも美しいと思ったから描いているだけだ――なんて言い訳をしてみたところで『背中とは言えクラスメイトの裸を描いている』というのは、ヘンタイの汚名を着せられてもおかしくない行為だろうと思う。だけど彼女の背中のラインを描くようになってから、不思議と筆が進むようになったのも事実だった。制服を着ている彼女は素敵だと思うし、白衣を着ている姿も倒錯的なフェティシズムを刺激するものがある。


 それでもやはりそれらの衣類は彼女の美しさを覆い隠してしまう布でしかなかった。

 私が描きたいのは『牧野の裸』なのだとそのときに気づいた。

 ここ最近、私がなにかをごまかすように教本を読み続けていたのはそれが原因だった。


 ――裸を描かせて欲しい。


 なんて本人に言えるわけもなかったから。私は情欲を持て余した思春期のように、こそこそと牧野の裸を想像して、その姿をスケッチブックに描きためる湿っぽい夜を過ごしていた。


 しかし背中ばかりが描かれた紙面にも、そろそろ飽き飽きしてきた頃だった。

 だから私は記憶と妄想だけを頼りに、ソファに横たわる牧野の裸体を描き始めた。


 こと絵に関することであれば、私は他人よりも格段に想像力が豊かである自信ががあった。そのはずなのに私はの手は大まかな構図を決め下書きを描いたところで、ピタリととまる。

 細かい部分を描こうとすればするほど、私の中のすべてがそれを拒絶する。


 記憶も。

 理性も。

 本能も。


 すべてが等しく、牧野の体はもっと美しく綺麗なはずなのだと囁いていた。

 それでも惰性で手を動かし続けていれば突破口が見えてくるかもしれない。そう自分に言い聞かせて紙面に鉛筆を走らせていたが、芯に気持ちが入っていないせいで雑念が湧いてくる。


 ……牧野は今ごろファッションモデルとやらの見学に行ってるのか。


 今日の所感次第で牧野はファッションモデルになる道を選ぶのだろうか。

 いや、牧野は『ファッションモデルになりたいのだ』とその口で言っていた。

 だったら今日の見学とやらは『最終確認』みたいなものだ、と考えるのが自然だ。


 ――プロのカメラマンに牧野が撮られるのか。


 私とは違う、それでお金を貰っているプロが牧野のことを撮る。

 それはきっと牧野にとっても幸せなはずなのに、私の心は酷くモヤモヤとしていた。


 だけど牧野の美しさを表現するなら、絵よりも、すべてをそのまま映しだす写真のほうが相応しいのではないか? という気持ちがあるのも確かで、そうした雑念が私の手を鈍らせた。


 一枚、二枚、三枚――と描いたところで、スケッチブックを閉じて放り投げる。その投げやりな態度をそのままに、自分の身もまたソファの上へと投げだした。椅子よりも雄弁な軋みをあげるソファに苦笑する。まるで牧野ではなく私が横たわることに抗議しているようだった。


「牧野はもう戻ってこないかもしれないぞ」


 そう告げてやると、ソファはぎしぎしと鳴く。

 その音が本当に悲しんでいるように聞こえたのはどうしてだろう。もはや準備室の備品のようになっているタオルケットを下敷きにして、そこにそっと、自らの顔を埋めてみる。


 じっくりと染みこんだ牧野の匂いが鼻孔を擽る。

 ふわりと思い浮かぶあどけない笑顔を弄びながら私は少しだけ眠ることにした。





 読者の皆様。

 いつも私の小説を読んでくださりありがとうございます。


 私事ではありますが私の書いた『嶋井さん家の三姉妹』という姉妹百合ラブコメが発売されました。小説トップページの下部に表紙が載っていますので、そこをクリックすると詳細に飛べます。

 KindleUnlimitedに加入している方なら無料で読めるみたいです。

『私は君を描きたい』を楽しんでいただけている方ならそちらも楽しめる気がしますので、気になった方はちらりと覗いていってくださると嬉しいです。


 それでは綾加奈でした。


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