第5話 私と君の居場所 04
牧野は忌々しい白衣を脱ぎ捨て、それでもしっかり畳んでから所定の位置に戻していた。
それからちょこんと、所定の位置と化しているソファに座る。やたらと高い身長はまったく変わっていないのに、焦燥のせいか、先ほどよりその姿が小さく見えるから不思議だった。
「と言うかなんだったんだよ、今の」
意味がわからない割にやたらと強情だったから、あんな行為にも、なにかしらの意味や理由があったのかもしれない。そう思った私は牧野にそう問いかけてみることにした。
「昔よく枇杷とやったんだよね」
事態が済んでとりあえずは満足したのか牧野はあっけらかんとした調子で答える。
「えっ」
と普段よりちょっとだけ高い、情けない声が私の口から漏れる。
「白衣で?」
それからすかさず私の口からは疑問が続く。
牧野は「違う違う」と笑っていたけど、私はたぶん無表情だった。
「いや、白衣なんてないから普通の服。服が伸びるってお母さんにめっちゃ怒られたけど」
「ふーん……?」
普通の服……? ということは、私より素肌に近い位置だったということか……? いや、牧野は『昔』と言っただけで、それがどの程度の昔なのかまでは口にしていない。もしかしたらそれは肌着すらつけていないような小学生のころの話かもしれない。金剛寺が着の身着のままの牧野の服の内側に閉じこめられる様を想像すると、なんだか胃の底が熱い痛みを訴えた。
辛いものを一気に食したときのようなその痛みに私の心が悲鳴をあげる。
そんな感覚は生まれて初めてだったけど、それは実害を伴って体の不調を訴えていた。
「なに、それって……今でもやんの?」
その痛みに突き動かされるようにして、私は仄暗い声でそう尋ねる。
私の暗さに気づいていないのか、その問を受け取った牧野は、
「えっ?」
なんて軽々しい声で答えて、私の声や言葉をバカにするように笑っていた。
「今? やるわけないじゃん! 子どもじゃないんだから!」
今の小学生のときの話だよ! と牧野に言われて、少しだけ胃の底の痛みが和らぐ。しかし牧野の私の発言を小馬鹿にしたような態度も、私の体の反応もなにもかもが不可解だった。
「それはそうな……?」
と答えつつ頭の中では、
……だったら今のはなんだったんだよ。
という至極まっとうな疑問が沸いてきていた。しばらく考えた末に私がだした結論は『やっぱりこいつは私を生理もきてないクソガキだと思っているのでは……?』というものだった。
「あ、そうだ!」
牧野が浮き足立った声をあげるものだから、また妙なことを思いついたんじゃないかと身構える。私の視線を受けた牧野は「もう、なにその反応!」とぷりぷり怒っていたけど。
怒るならせめて今までの自分の行動を振り返ってからにして貰いたかった。
「で……なにを思いついたんだよ」
そんなことを考えつつこちらから尋ねてしまうあたり私は牧野に甘いのかもしれない。
「さっきの写真送ってあげるからLINE教えてよ」
何気ない調子で牧野が呟いたのは、心底くだらない内容だった。
「あ? やってねーよ。そんなの」
だから掃いて捨てるようにしてそう返したんだけど、
「ええぇっ!?」
牧野はこの世の終わりでも目撃したような過剰な驚愕を示していた。
「LINEをやっていない女子高生……? えっ、スマホは持ってるよね?」
「持ってるよ。だけどLINEは入れてない」
「そんな……」
カルチャーショックを受けすぎて、取り繕う余裕もないようだった。ただ、こちらとしてもこれといったフォローは思い浮かばない。だって私なんかがLINEを入れたところで使うこもない。なぜなら私に連絡を取り合うような友だちなんていないから。よくて月に数回、家族とやりとりをするかしないかといったところで、そのためにアプリを入れるのもバカらしい。
「もしかして私とLINEを交換したくないからそんな嘘を……」
「ち、違うっての! 本当に入れてねーんだよ!」
ジトッと湿気を絡ませるような不快な視線にあてられて慌てて言い繕う。
「……わかったよ。入れればいいんだろ、入れれば」
こうなったらもうさっさとLINEを入れたほうが話が早いし、心的な負担も少ない気がしたから、私は投げやりな調子で告げる。私の言葉を受けて、牧野はパッと表情を華やがせた。
「いいのっ!?」
表情以上に明るく嬉しそうな牧野の声が鼓膜を擽る。
「まあ、連絡取り合う相手がいなかったから入れてなかっただけだしな」
ただ写真を送りたいだけならメールでもいいような気はしたんだけど。
それを口にだしたらまたヘソを曲げられそうだから黙ってLINEを入れておく。登録アプリの指示通りに電話番号を入力したりするだけなのに、牧野は横からしたり顔でアドバイスをしていた。その指示が半分ぐらい間違っていたせいで、余計な時間を食う結果になったけど。
最後の最後に牧野が表示させたQRコードを読み取って連絡先が交換できた。
牧野のせいで徒労感ばかりが募っていたが、募らせた当人はホクホク顔だった。
牧野のLINE上の名前は『マキノ』になっていて、アイコンは友だちが撮影したらしい公園での一幕のようだった。そのままCDのジャケットにでも使えそうな写真にしばらく見惚れていると、牧野が「あ、そうだ!」と先ほどの焼き直しめいた声をあげていた。
「……今度はなんだよ」
今度はなにが飛びだしてくるのかと、恐る恐るといった調子で藪をつつく。
「ちょっとスマホ貸して欲しいんだけど」
「あ? まあ、べつにいいけど」
見られて困るようなものはスマホに入れてないはずだから、ふたつ返事で了承する。なにか初心者にはわからないようなLINEの設定でもしてくれるのかと思ったから。しばらく放置していると牧野は私のLINEを使って、自分になにかを送っているようだった。
「えっ、お前なにやってんだよ」
怪しすぎる行動に堪らずそう尋ねると、
「えっ!? な、なんでもない!」
牧野はいつものごまかす気があるとも思えない嘘を叫んだ。
それだけではなくスマホを私の視線から隠すように背を向けようとする。
「なんでもないときの反応じゃねーか。ちょっと返せ」
個人情報でも抜き取ってるのか? と勘繰った私は牧野からスマホを取り返す。
「あー!」
オモチャを取りあげられた子どもみたいな声をあげる牧野を無視して、スマホをチェックする。牧野が自分のスマホに送っていたのは、私のスマホ画面のスクリーンショットだった。
画像ファイルを開くとLINEのホーム画面で、そこには『友だち1』と表示されていた。
それは私のLINEに登録されている友だちの人数だった。
「お前、この画像使って私のことバカにしようとしてたのか?」
こんなものを自分のスマホに送る理由なんてそれぐらいしか思い浮かばなかった。
「ち、違う違う違う違う! なんでそんな酷いこと思いつくの!?」
しかしそうと尋ねられた牧野は憤慨でもしたように声を荒げていた。
「そんな酷いことって、だったらなんでこんなマネしてたんだよ」
こちらとしては憤慨される意味もわからないのでそうと尋ねるしかない。
「えー……?」
牧野は憤慨から一変して、丸く開いた口から情けない母音を伸ばしていた。




