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第1話 私は君を描きたい 02




 まずは描き始めるにあたって、対象物の観察を行うことにする。

 古今東西、横たわったり、眠ったりしている女性を描いた絵画は多い。

 ソファと牧野の描く自然な曲線美は、どう見たって芸術品そのものだった。


 重力に引かれてスッと落ちるプリーツスカート。


 そこから伸びる健康的な色味の太股は――ちょっとえっち過ぎるから、顔のほうに視線を向けていく。柔らかな腰元、上体は薄手のカーディガンによって覆い隠されているが、横たわっているせいで、普段ならお目にかかれないボディラインが、しっかりと露わになっていた。


 ――胸デカいな。


 と偏差値が急に駄々下がりした私の本能がそんなことを囁く。それに加えて、


 ――えっ、いや、太股あんなに細かったのに、なんで胸がこんなにデカいんだ?


 しかも今は横になってるんだから、こう、左右の乳が重なり合って――


 ――って、違うだろ!


 エロオヤジとしか思えない自分の表現力に嫌気が差して、私は牧野から視線を逸らす。これじゃあ『観察』じゃなくて『視姦』だ。視姦した挙げ句、エロオヤジじみた感想を抱くなんて最悪すぎる。それでも、最低限一周だけはしておこうと、牧野の顔だけは見つめておいた。


 冷ややかさすら感じるような輪郭が、今は枕代わりにした自らの腕に押し潰されている。

 その柔らかな質感とのギャップが、なんとも言えない艶やかさを醸しだしている。


 その顔を見ていると、なぜか喉が渇いた。

 これ以上見つめていると、体調に甚大な被害がでそうだったから、私は顔の観察も諦める。

 だから私は見たまま、ありのままの彼女をそのまま描くことに努めようとした。


 きっと私は夢中になっていた。

 だってひさしぶりに意識がトんでいたのだから。


 私の意識が浮上してきたのは、牧野の「んんっ」という譫言が原因だった。

 それに続いて牧野の上体が起きあがったものだから、私の意識がバグる。


「ふわああっ、よく寝た」


 私の気なんて知らずに、牧野はそんな呑気なことを言っていた。

 どうやら私の意識は極度の集中状態にあったらしい。

 描いていた対象が動くという最悪の形で集中力が途切れたせいで完全にパニックになっていた。その場であわわわわわ! と、ただただ慌てることしかできなかった私に牧野も気づく。


「あれ……」


 気づいたものの『あれ』と呟くだけで、そこに言語が続くことはない。

 小さい声で「あー……」と言ってるのだけは聞こえた。


 ……こいつ、私の名前、覚えてないな。


 その『あー……』が記憶の採掘作業の際に漏れるものであることを、なぜか私はすぐに理解できた。と言うか、牧野の表情がわかりやすすぎるせいで、推理の余地もなかったんだけど。


「さー……」


 牧野は『あー』から強引に『さー』へと持っていく。

 一応、一文字目は合ってたから、こちらも様子見を続けておく。


「なー……」


 私の反応を確かめながら探り探りで発せられた二文字目も合っていた。

 牧野の顔がパッと輝くが、しかし、すぐに陰りを見せる。

 肝心の最後の文字が思い浮かばないのだろう。私と合っていた視線が、答えを求めるように左上やら右上やらを彷徨い始める。そんな天井付近に私の名字が描かれてたら怖いだろうが。


「……………………」


 そんなことを心の中でツッコみながら、私は無言で牧野のことを見つめる。

 助け船をだすというのもおかしな話だと思ったから。


「……………………」


 牧野もまた外界から情報を集めるのを諦めたのか、私の目をジッと見つめる。

 そのまましばらく牧野は口を『あ』の形にしたり『お』の形にしたりして、自分の記憶を探ろうとしていた。その様があまりにも迫真だったものだから、なぜか私も応援してしまう。


 ……が、頑張れ! 牧野!


 我ながらなにをやってるんだという感じだったけど、牧野の空気はそれぐらい迫真だった。

 そしてとうとう牧野が覚悟を決めた目で私を見た。

 ごくり……と生唾を飲みこんだ私の視線の先で、


「べ」


 牧野は濁音や半濁音を含めた約七十音の内から回答を口にした。


「……………………」

「……………………」


 私の名前は『真辺』だから、それで正解だった。

 正解だったんだけど、それをどう伝えればいいのかわからない。

 ピンポンピンポーン! とかやるのが絶対におかしいことだけはわかる。

 めぼしい反応がないせいで牧野は存在しない四文字目を探し始めてるし。


「あー……」


 と牧野の声が少しずつ軽くなっていく。

 なぜか存在しないはずの答えに近づきつつあるようだった。


「せ、せいかいー!」


 このままだと私が改名する必要がでてきそうだったから、慌ててそう告げる。妙な間があったせいで不審がられないか、そもそもこのノリ自体寒くないか? と不安が押し寄せる。


「……………………」

「……………………」


 不安を後押しするように、牧野が無言で私を見つめる。

 だけど先程と同じくらいの沈黙を共有したあと、牧野は諸手を挙げて、


「やったー!」


 と喜んでみせたのだった。


 ……なんだったんだ、今の間。心臓に悪いからやめてくれ。


 学校にきても授業中から放課後まで絵を描き続けているせいで、私は学校で丸一日口を開かないなんてこともザラだった。そのせいで、この時点で私の一日の会話量を超えていたのに、


「真辺もサボり? あはは、マジメそうなのに意外だな。悪いやつめ」


 牧野がそんなボケなのか、天然なのかわからないことを宣っていた。




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